怒らない訓練
怒る人ばかり
怒るマネージャーは多い。
というか、マネージャーに限らず、怒る人はとても多い。
街中でも、会社でも、たくさんの人が怒っている。
それも(僕からすれば)ささいなことで。
それを見るたびに、「よくそんなエネルギーがあるよな…」と感心してしまう。
もっと言うと、「よくそんなに自分が正しいと思えるよな…」と思ってしまう。
怒るのは自分の中にある正しさに反するからだ。
でも、その正しさを相対化できれば、怒らなくて済むことが増える。
そしてマネージャーにとって、怒らなくて済むならそれに越したことはない。
今日はそんな話をしていく。
正義の押し付け
自分の中に一本筋を通すこと。
それは悪いことではない。
でも、それはあくまでも自分の内部で納めるからであって、それを他者に強要するとなると、弊害が出てくる場合がある。
正しさの強要。
正義の押し付け。
大きな話をすると、それは戦争にすらなる。
あなたの言う正しさって本当に正しいのか?
正しさというのは厄介なシロモノで、取扱注意の赤い札が付いていることを自覚しながら扱わないと、とても面倒なことになる。
相手にとってもそうだし、自分にとってもそうだ。
「なんでこんなに明らかに正しいことが、あいつにはわからないのか?」
そうやってイライラしているマネージャーはとても多い。
でも、その正しさって本当に正しいのだろうか?
「あいつ」の言う正しさは、あなたの中では許容できない種類のものなのだろうか?
グラデーションの中の様々な正しさ
もちろん、オールOKと言うわけではない。
物事には「程度」というものがあって、明らかにダメなものはある。
でも、グラデーションというか、レンジの中には様々な正しさがある。
それを自分は正しいとは思わなくても、理解したり、面白がったりできること。
それが怒らない為には重要である。
僕からすれば正しくない価値観ばかり
世の中には様々な人がいる。
社会で働くようになって、本当にそれを実感する。
僕からすればあり得ないようなことが毎日巻き起こっていて、それでも多くの人は平然としているという、「正しくない」日常。
そしてマネージャーという仕事をしていれば、その「濃度」が更に濃くなるというか、その「正しくない」価値観と日々濃密に関わらなければならなくなるという苦行。
怒りたくなる気持ちもわかる。
でも、それにいちいち怒っていたら体がもたなくなる。
自分の正義を相対化する
あらゆる物事は相対的だ。
こういう物言いはややズルいけれど、でも、本当に僕はそう思っている。
善悪表裏一体というか、何でもありというか、たくさんの嫌なことを目撃し、体験してきた僕には、「正しさ」とは何なのかがよくわからない部分がある。
そこにはもちろん自分自身も含まれている。
僕は自分の存在が不確かで、自分の言っていることが間違いだらけであることを自覚している。
もちろん僕なりの正義はある。
でも、多くの人たちのように、「これが絶対に正義だ!」と真っ赤な顔で凄まれると、「確かにオレの正義ってそこまで強く主張できるようなものじゃないんだよな…」と思ってしまうくらいの軟弱なものなのだ。
少なくとも、僕は「自分の正義」が強要できる種類のものではないことを自覚している。
そんなに大層なものじゃないことを理解している。
たくさんある価値観の中の1つに過ぎないこと。
それを理解することが、怒らないことには重要な気がしている。
経験値の差
後輩のマネージャーから、「すぐカッとなってしまう」という相談を受けることがある。
良い言い方をするなら、それは「自分を持っている」ということになるし、悪い言い方をするなら、「キャパが小さい」ということになる、と僕は返答することが多い。
全く怒らないのもどうかと思うけれど、何でもかんでも怒るのもまた違う。
少なくとも、理解した上で怒るのと、理解していないで怒るのは全く違う。
それは経験値の差であるような気もしている。
人間は愚かだ
僕はマネージャーになって、本当にいろいろなことを経験してきた。
どちらかと言えば(というかどちらかと言わなくても)経験したくないようなことを、たくさん見聞きしてきた。
その中で、僕が思うのは「人間は愚かだ」という(やや哲学的な)ことである。
そして、もちろんそこに自分も含まれている。
自分を含めた人間は愚かであり、そこで愚かな正義を主張し合っていることが、僕には時に滑稽に思えることがある。
それだけのエネルギーを注ぐだけの対象があることが羨ましくもあり、痛ましくもある。
怒るというのは熱があるからで、僕には熱がないのだ、きっと。
冷めている。
仕事にも、人生にも。
自分を相対化する訓練
もちろん、僕だって、怒る時はある。
でも、それは内なる怒りというか、少なくとも他者に対して強いエネルギーを放出してぶつけるような種類のものではない。
静かに、ただ立ち去る、そんな感じである。
怒らないようにするためには、自分なりの哲学を維持したまま、他の人の価値観を認め、相対化することが必要である。
そしてその為の訓練として、マネージャーという仕事はうってつけである。
こんなにも理不尽な仕事はない。
でも、本当にごく稀に、人間というのは素晴らしいものだ、という瞬間に立ち会えることがある。
それだけが僕を前進させてくれるのだ。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
人間は愚かだ。
でもそれを滑稽だと思えるようになれば、怒りは自然と消滅する。
そんなことを思う時があります。
感情というのは自分がそこに存在していることを自ら祝福しているからこそ強くなる訳で、僕のようにあまり自分が存在していることを言祝げないのであれば、感情をコントロールすることはそんなに難しいことではないようにも思います。
相対化すること、俯瞰すること、は一見素晴らしいように見えますし、僕もその考え方に賛成ですが、それは一方で「生への欲望の減少」みたいに思う時もあって、「怒れる」というのはそれはそれで羨ましくなる時もあります。
怒らずに、でも欲を失わずに、生きていきましょう。