課長になんてなるものか

UnsplashNadine Shaabanaが撮影した写真

課長業は楽しくない

管理職になりたくない若手が増えているという。

そりゃそうだ、と僕は思う。

僕だって課長になんてなりたくなかった。

元々一人で仕事をする方が性分に合っているし、明らかに理不尽な目にあっている当時の課長達を見ていると、課長なんてやるもんじゃない、そう思っていた。

そしてそれは現在も変わらない。

相変わらず、課長業は楽しくない。

というか、もっと環境は悪化しているとすら言えるかもしれない。

でも、そんな愚痴ばかり書いていても仕方がないので、どうやったら課長というポストが魅力的になるのか、その可能性があるのか、を今日は書いてみようと思う。

組織の矛盾のしわ寄せが向かう場所=管理職

課長にみんながなりたくないのは何故か?

もちろん様々な理由があると思う。

その中でも僕が思うのは、組織の矛盾のしわ寄せがいっている、ということである。

日本的雇用制度は制度疲労を起こして、現代の雇用環境と合わなくなってきている。

もちろん、色々な修正を施して何とか維持しようとはしているのだけれど、それにも限界があって、そこから漏れた部分は管理職が何とか埋め合わせている。

そしてそこに焦点が当たることはあまりない。

それがみんなが課長になりたくない理由であるような気がしている。

属人性で対応しようとするのが日本企業の問題点

メンバーはメンバーで好き勝手なことを言って、トップはトップで見当違いのことをやっている。

コンプライアンスの問題働き方改革なんてものもある。

DXへの対応、原材料価格の高騰、人材不足、その他諸々の問題もある。

それをどうやって埋め合わせるのか?

その解は日本企業にはない。

制度疲労に対して、制度(仕組み)として対応するなんてことは考えもしない。

属人対応。

人に、特に管理職に、しわ寄せがいっているだけなのだ。

自分の任期の後は関係ない

制度の問題というのは、どんなに頑張ったとしても解決できるものではない。

多少の「緩和」にはなるかもしれないけれど、問題は問題として残存し続ける。

でも、それは見て見ぬふりをされてしまう。

問題があると認めてしまうと、自分の進退に関わるから。

自分の任期だけを全うできれば、その後のことはどうでもいいから。

直接的にそうは言わないまでも、そのような印象を受けることが僕にはある。

理不尽を減らしたら、課長になりたい人は増えるのでは?

そうやって、「騙し騙し」この制度を運用していく。

もちろんそれは1つの判断ではある。

でも、それには限界があるし、そもそも管理職の成り手がいなくなったらどうするのだろうか?

僕らの世代までは、ギリギリではあるけれど、「そうは言っても会社員だから、嫌なことも受け入れなければならないよね」という論理が通用しているけれど、それ以降の世代にはこのような感覚は通用しないはずなのだ。

「嫌なものは嫌」

「間違っているものは間違っている」

それが新しい世代の感覚である。

それなら、課長になんてなりたがるはずがない。

理不尽の極みだから。

それなら、その理不尽を減らしたら?

そしたら、課長になりたい人も増えてくるのでは?

その考え方(問題提起)が次の話に繋がってくる。

プレイングマネージャーという概念が理不尽の根源

理不尽を減らすこと。

理不尽にはたくさん種類があるけれど、その中でもおかしいなと思うのが、「管理職=プレイングマネージャー」という概念である。

管理もプレイもするのが当たり前。

それができてこそ一人前。

ここに様々な理不尽の根源があるような気がしている。

マネジメントだけをやらせ、マネジメントだけを評価する

僕が何度もこのブログで提起しているのは、「日本社会にはマネジメントを(本当の意味で)理解している人が殆どいない」「それが日本社会の低生産性や活力の低下に繋がっている」「だからきちんとマネジメントができる人を増やさなければならない」ということである。

ではマネジメントができる人を増やすにはどうしたらいいのか?

マネジメントだけをやらせればいいのである。

そしてマネジメントだけを評価すればいいのである。

プレイヤーとマネージャーに必要な能力は異なる。

そんな当たり前のことを組織として真正面から捉えて、マネージャーになった人はマネジメントで勝負させる。

結果として、マネージャーに向いていない人も出てくるだろう。

それなら、マネージャー以外の仕事をやってもらう(降格も含めて)。

そういう意味では、「管理職=偉い」というような概念も消さなければならないはずだ。

「社内で昇進する=管理業務をやる」といったキャリアパス以外のものも選択できるようにしなければならない。

でも、今日のテーマである「課長になりたい人を増やす」ことを念頭に置くなら、管理職というものの価値をもっと高めることが大事なのではないか?

人を育てられる人を厚遇しよう

マネジメントに特化し、人を育て、チーム自体の生産性を高められる人。

ひいては、それが組織全体に波及し、活性化をもたらせることができる人。

それは外形的に評価しづらいものではある。

でも、そこに焦点を当て、きちんと人を育てられる人を厚遇すれば、もっと課長になりたい人は増えるのではないか?

スポーツの監督はプレイなんてしないだろう?

何らかの世界大会で好成績を上げると、すぐに日本のメディア(国民も)は監督を持ち上げるけれど、それを実生活にも適用したら?

僕はそんな風に思うのだ。

監督は大事。

でも、選手も大事。

それを混ぜるのはちょっと違う。

その概念をもっと当たり前のものにしたら、課長になりたい人ももう少し増えるような気がしている。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

管理職から支援職へ

ブログ初期に書いた言葉です。

管理よりも支援をするのが僕らの仕事。

そしてそれに付け加えるなら、育成職でもあるのがマネジメント業です。

スポーツ選手の活躍を見て、人を育てることをあれだけ礼賛しているくせに、身近な部分はないがしろにされている。

そんなことを思ったりもします。

管理の概念と、プレイングマネージャーの概念を捨てて、マネジメントに特化していきましょう。