脱「井の中の蛙」的育成論
エコーチェンバー的若手社員の増加
井の中の蛙大海を知らず。
若手社員の育成をやっていると、よく思うことである。
そしてその思いは年々強くなっている。
それはただ単に、僕がおじさんになっているからかもしれない。
でも、何というか、「それだけが原因ではないのでは?」とも思うのである。
それがSNSの普及によるものなのか、教育制度によるものなのか、僕には判断しかねる。
ただ、フィルターバブル的というか、エコーチェンバー的というか、「自分にとって心地よい情報しか知らない(知りたくもない)」世代が増えてきて、視野が明らかに狭くなっている、そんな印象を持つのである。
最終的には、「働く」という行為は個人の価値観に依存するものであるのは確かだろう。
でも、そこに刺激を与えるのは、外の世界を知らせるのは、僕たちマネージャーの最低限の仕事なのでは?
そんなことを思ったので、今日は育成論について書いていこうと思う。
感じ良いが物足りない
小粒な若手が増えたな。
新入社員や若手社員が僕のチームに来るたびに思うことである。
良く言えば「まとまっている」、悪く言えば「殻に閉じこもっている」、そんな印象の若手が多くなった。
彼(彼女)らは総じて感じが良いし、仕事をそつなくこなせる。
ただ、「突き抜け感」はない。
全くない。
そこに僕は物足りなさを感じるのだ。
「返し」が面白いかどうか
営業マン的な目線で言うと、ちょっと前までは一目置くというか、若手であっても侮れないなと思うようなメンバーが時々いたのだけれど、そのようにこちらが「んっ?」と感じる人はいなくなってしまった。
何というか、テキトーに対応しても大丈夫な感じなのだ。
僕は新人教育において、「レスポンス(返し)」をすごく大事にしていて、これが上手にできる人は営業も上手く行くし、そうでないと厳しい、そのような判断基準を持っている。
その意味で言うなら、この「返しが面白い若手」は激減してしまったように思う。
そして、(僕は残念だと思うのだが)彼(彼女)らは、別にそれを何とも思っていないようなのである。
イエス・ベースド・コミュニケーション
クローズドな環境で育ってきて、異物とあまり交わったことがないような感じ。
そして、生物がそうであるように、そのような馴染みのない環境に置かれると、上手く適応できない、結果淘汰圧にさらされる、そんなことを思うのだ。
これは(以前にも書いたかもしれないけれど)彼(彼女)ら世代のコミュニケーションが「Yes」を前提としたものになっているからだと僕は思っている。
この「Yes」は、「いいね」でも「グッド」でもいい。
要は、「肯定」をベースにコミュニケーションが構築されているように思うのだ。
確かに肯定をコミュニケーションのベースにすれば、人間関係は良好に進む(ことが多い)。
でも、「何かが生まれる」というような事態は生じづらい。
僕はそんな風に思うのである。
目立つ=晒される
相手を否定しないこと。
それは彼(彼女)ら世代の長所であると言える。
と同時に、「悪目立ち」という言葉を蔓延させてしまっているようにも感じる。
何かに秀でることは「目立つ」ことと同義で、「目立つ」ことは「晒される」ことと同義になるから、「良くないこと」となる、そんな印象を受けるのである。
下方にも上方にもぶれずに、平均値(中央値)近傍であること。
それが彼(彼女)らの行動指針であるように僕には見える。
平均点で「いいね!」は押せない
それはそれで悪いことではないのだろう。
そして、最終的には価値観の問題である、とも言える。
でも、平均値近傍で「いいね!」とされてしまうと、営業を生業とするチームではなかなか厳しいのも事実である。
それをどうやって打破するか?
それを書いて本稿を終えようと思う。
肌で感じる経験を
キーワードは「体感(体験)」だと僕は思っている。
ネット上(SNS上)の情報ではなく、フィジカルに外の世界を感じてもらうこと。
この経験が一つのきっかけになるのではないか、と僕は考えている。
そして、この外の世界の体験は、あまりにも自身の身の丈と離れすぎていてはいけない。
昭和時代であれば、高ければ高い刺激ほど好ましい、という感じであったと思うけれど、彼(彼女)ら世代はそれだと自分事から切り離してしまうので、ちょっと背伸びするくらいが丁度いい。
それが身近な世代であれば、尚のこと望ましい。
社内インターンなのか、兼業なのか副業なのか、出向みたいなものなのか、やり方は様々だと思うけれど(そしてそれは会社がやるべきことなのかとも思うけれど)、実際にその場に行って、一緒に仕事をしてみる(差を感じる)という経験が、彼(彼女)らには必要であると僕は思っている。
外の風を浴びる、というか。
想像力を働かせることは期待できないから
もちろん、それをやったからと言って、何かが劇的に変わる訳ではない。
でも、少なくとも、想像力だけで彼(彼女)らが超克する(超克することを期待する)ことは起こらない。
想像上のライバルと競う、それにより自分を高める、なんて思いもよらない。
だから、実際に経験させる。
それが「井の中の蛙」から脱するきっかけになると僕は思っている。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
ネットにあることが全て(ネットは全能)。
若手と話をしていると、そのような印象を受けることがあります。
一方、僕のようなおじさん世代は、ネットは話半分で受け止めるべきだと思っています。
虚実混交というか、でもその嘘も面白いというか。
そのような「ネタ性」みたいな、裏の笑いみたいなものは、若手社員には通じず、彼(彼女)らはそれをガチで受け止めている、そこから先の世界は存在しないような印象を受けます。
MR(複合現実。我々の世代)とVR(仮想現実。若手の世代)。
彼(彼女)らの世界は、作られたオープンワールドゲームみたいで、世界の果てが決まっている、でもそれに彼(彼女)は気づいていない(考えもしない)、そんな風に僕は思う時があります。
世界を作るのはオレたちだ、とまでの勇ましさは流石にありませんが、現実というのはネットと入り混じっているし、変容していくものなのだ、とは感じています。
トリビアルなことを幾ら知っても(検索してわかった気になっても)、知性にはならないぜ?
現実を知らせ、変容を促していきましょう。