懐を大きくするには?
回答:懐が小さいと思われないようにすればいい
だいぶ振りかぶったタイトルで恥ずかしいが、これは後輩のマネージャーから聞かれた質問であり、それに対する僕なりの考えを書いていこうと思う。
ちなみに、僕は自分の懐が大きいとは全く思っていない。
ただ、長くマネージャーをやってきて、昔と比べると最近はそう言われる機会がだんだんと増えてきたのも事実である。
この乖離(ギャップ)が今日の話の回答になるような気がしている。
端的に言うなら、懐が小さいと思われるような行動(言動)をしない、ということになるのかもしれない。
以前はしていたけれど、最近はしなくなった、だから結果的に懐が大きいと言われるようになった(中身はまるっきり変わっていないのに)、ということなのだろう、きっと。
くだんの後輩のように自分の懐の大きさについて悩んでいる人には参考になる部分があるかもしれないので、こっ恥ずかしいが取り敢えず始めていく。
得点を取るよりも、失点を防ぐ
「マネジメントにおいて大事なのは、得点を取ることではなく失点を防ぐことだ」
最近はそんなことを思う。
それも大きな失点をしない、ということは強調してもし過ぎることはないような気がしている。
「それを言っちゃあおしまいよ」というような、大失点をしないこと。
それを続けることができれば、自然とマネージャーとしてそれなりの尊敬を集めることができるようになる。
そして、いつしか「あの人は懐が大きい」という勘違いもしてくれるようになる。
そんな風に思うのだ。
経験を重ねる、それだけ。
その為に必要なことは、「経験を重ねる」ということに尽きると僕は思っている。
誰しも初めての事態にはうろたえてしまうから。
逆に、既知のことであれば、どんなに器が小さかろうが、懐が小さかろうが、うろたえることはなくなる。
そういう意味では、懐の大きさというのは「どれだけ場数を踏んできたか」とも言えるような気がしている。
と言っても、別に人間修養を重ねる必要はない。
滝に打たれたり、座禅を組んだり、精神を統一する必要はない。
ただ、経験値を増やすだけ。
それで懐というのは自然に大きく(見えるように)なる。
経験を浴びに行け
では、経験を増やすためにはどうしたらいいのか?
特にまだマネージャーに成り立ての場合には、どのような態度でいるのが望ましいのか?
これは進んで「経験を浴びに行く」というマインドが重要である。
それも大きく恥をかくとか、失敗するとか、そのような経験を踏むことが大事である。
「できなさによる辱め」を体に刻み込む
僕から見える多くのマネージャー、特に若手のマネージャー達は、失敗することを極端に恐れる。
マネージャーがこんなこと言ったら恥ずかしいとか、こんなことできないと言ったら見くびられるとか、そんな風に考えているように見える。
もちろん、できるならそれに越したことはない。
でも、できないなら、はっきりとできないと言うべきだ。
そしてその「できなさによる辱め」みたいなものをきちんと全身に刻み込むことが重要である。
これを生半可にやってしまうと、経験年数だけ長いマネージャー(でも何もできない)になってしまうのだ。
経験をしたことがある、という事実に意味がある
「若い頃には恥をかくべきだ」という格言はその通りで、そのような通過儀礼(イニシエーション)を経ないと、人というのは器を大きくできないようにできているのである。
もう少し丁寧に言うなら、その恥をかいた経験というのが、他者に対する寛容さに繋がることが大事なのだと思う。
それは別に人間性が高まるとかそういう高尚な話ではなくて、ただ自分も経験したこと(既知)であるという事実、そこに意味があると思うのである。
「何事も経験だ」というのは本当にそうで、一旦味わってしまえば、今後訪れるであろう苦痛や恥ずかしさの射程がわかるので、そこまで動じることはなくなる。
「この程度になるだろうな」という予測が成り立つようになる。
それが周りから見れば、「懐の大きい人」という評価に繋がるのだろう(ただ過去に経験しているだけなのに)。
既知なだけ
「他者の失敗に寛容だ」とか「よくあそこでキレなかったですね(私だったら絶対に無理ですよ)」ということを言われることがあるけれど、それは別に僕の人間性が向上した訳ではなく、そこで起こるであろうことが既に分かっているからに過ぎないのだ。
「この話はこうなって、こうなるだろう、その過程においてこの人がこのような態度を取り、このような事態が巻き起こるだろう」というような計算ができるようになる。
そうすれば、自分の懐が小さくても、大きな失敗をすることはなくなる。
少なくとも、「お前が悪いんだ!」とキレたり、「オレのせいじゃない!」と責任逃れをすることはなくなる。
「ああ、それね。オレも昔やったし。以後気を付けてね」くらいのことは淡々と言えるようになる(内心はドキドキしていても)。
それが続くと、「あの人は懐が大きい」という勘違いが勝手に生まれるようになる。
それだけのことなのだ。
他人の評価に自分の評価を預けない
最後に付け加えるなら、他者の評価に自分の評価を預けない、ということも重要だ。
僕は僕自身を一番よくわかっている。
他人の評価が気にならないと言えば嘘になるけれど、そのような評価が当てにならないことも同時に理解している。
そのような心持ちでいられると、安定したマネジメントができるようになるはずだ。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
自分に自信がない。
だから他人の評価に頼ってしまう。
そんな相談をされることがあります(ウエノさんはそうじゃなくて羨ましいです、という言葉つきで)。
僕は自分に自信がある訳ではなく、他人に興味や関心がないだけです。
そして信頼も。
それよりは、自分の方がまだ信頼できる。
本文にも書いたように、自信のように見えるものは、ただの経験に過ぎません。
経験を重ねれば、誰だって自信を持てるようになる。
でも、その過程においては辛いことがたくさんある。
それをくぐる勇気を持った者だけが、そこで他者への絶望を味わった者だけが、自信のように見える(真の)経験を積むことができます。
結果、他者に寛容になることができます(期待していないから)。
勇気を持って辛い経験を積んでいきましょう。