犬好き? 猫好き?
犬型マネージャーと猫型マネージャー
突然ですが、皆さんは犬が好きですか? 猫が好きですか?
今日はそんな質問からブログを始めてみる。
因みに僕は猫の方が好きだ。
といっても、犬も嫌いではない。
というか、犬も好きだ。
ただ、あまりにも強い愛情を恒常的にぶつけられると、「そんな素晴らしい奴じゃないんだよなあ…」と何となく申し訳ない気持ちになってしまうので、猫の方が気が楽、そんな程度の理由である。
さて、何の話だったか。
そう、今日は犬好きか猫好きかによって、マネジメントのスタイルが変わるのではないか、という仮説を立てて話をしてみようと思っている。
自分に忠実なメンバーに囲まれる状態を好む犬型マネージャー。
自由奔放なメンバーに囲まれる状態を好む猫型マネージャー。
あなたはどちらのマネージャーだろうか?
それでは始めていこう。
日本では犬型マネジメントが主流
日本におけるマネジメントスタイルの大半は犬型である。
僕はそんな風に考えている。
犬型、という言葉が適切でなければ、権威型マネジメント、もしくは、家父長的マネジメントと言い換えても良いかもしれない。
要は、マネージャーがそのチームの主で、メンバーはその下にいる、そのような上下関係を基にしたマネジメントである。
いや、もう少し正確に言うと、そこにはやや強めの主従関係が含まれている。
マネージャーの言うことは絶対。
権威によって言うことをきかせる(意識しているかどうかは別として)。
そんなマネジメント。
でも、段々とこれは時代にそぐわなくなってきている。
憧れと正反対の現実
僕は昔、犬型マネジメントに憧れていた。
マネージャーになった当初からしばらくの間は、そのような状態を夢想しながら仕事をしてきたと言っても過言ではない。
自分の言うことに対して、メンバーがビビッドに反応し、規律も取れているチーム。
それでいてそれなりに尊敬も得られるような。
そんなことを思いながら、僕はマネージャーとしての初期時代を過ごした。
でも、実際に起こるのはそれと正反対のような出来事ばかりだった。
そこには自分の経験不足(実力不足)という要因が多分に含まれていることは間違いない。
ただ同時に、自分にはそのようなマネジメントスタイルは合っていない、とも思うようにもなった。
猫型マネジメントへのシフト
元来の性格か、僕はあまり人に対して「こうしなさい」ということが好きではない。
憧れてはいるものの、実際にそのように指示することには抵抗を感じる。
何というか、自信がなくなってしまうのだ。
自分の言っていることが完全に正しいとは思えないし、その人にはその人なりのやり方があるよね、みたいな軟弱なことを思ってしまうのである。
その辺から、僕は犬型マネジメントに憧れるのをやめて、猫型マネジメントをするようになっていった。
そしてその方が性に合っていると気づくようになった。
もっと言えば、猫型マネジメントであっても、高い成果を上げることは可能なのだと理解することができるようになった。
以下、もう少し詳しく書いていく。
どちらがお望み?
「部下が言うことを聞かなくて困っている」
「自律性のない部下ばかりでウンザリだ」
このような愚痴をマネージャーの同僚から聞くことがある。
それも同じ人から。
でも、よくよく考えてみれば、この2つの愚痴は二律背反している。
「部下が言うことを聞かない=部下が勝手に動いている」
「自律性のない部下ばかり=指示待ちの部下」
矛盾しているでしょう?
願望と現実の乖離はマネージャーの対処がマズいことによって引き起こされているのかもしれない
これを今日のテーマに即して言うなら、上の愚痴は犬型マネジメントへの憧れを、下の愚痴は猫型マネジメントの憧れを示していることになる。
「で、どうしたいの?」というのが僕からの問いだ。
もちろん、メンバーそれぞれによって動き方が違うので、上記の話はそれぞれに対する異なる愚痴なのかもしれない。
でも、僕がその愚痴から受ける印象はもう少し広い意味を持ったもので、全員とは言わずとも、チームの大半が自分の望む方向に動いてくれたらいいな、という願望が含まれているように感じるのである。
そして、その願望と現実の乖離というのは、マネージャー自身がそこに適切に対処できていないことから引き起こされている可能性がある(もしかしたら、「高い」かもしれない)。
パーソナライズされたマネジメントを望む時代
犬型マネジメントを望むなら、それに合ったマネジメント手法が求められる。
猫型も同様。
ただ、両取りは不可能。
そして、時代の流れは猫型マネジメントに移ってきているようにも思える。
それぞれがそれぞれのキャリアを目指す現代。
そこには会社という一応の枠組みはあるけれど、必ずしもそこに囚われる必要はなく、ある種流動的に変化していくことが前提とされている。
そういう意味では、パーソナライズされたマネジメントが必要となる、とも言えるのかもしれない。
「そういう時代」
もちろん、それを過保護という向きもわからなくはない。
でも、好むと好まざるとに関わらず、「そういう時代」なのだ。
そこでマネジメントという仕事をやるなら、その手法を身に付けておいても損はない。
メンバーのそれぞれが自由に動くことを許容しながらも、チームとして成立し、かつチームとしての力を発揮する状態。
それは簡単なことではない。
でも、その分可能性も大きいと僕は思っている。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
どの程度まで自由を与えるか?
そして与えた自由をどこまで部下が自由と感じるか?
この辺が非常に難しい時代になっているような気がしています。
緩み過ぎるのも問題ですが、ピンと張り詰めたような空気もまた問題です。
自分のキャラクターに合わせたチームビルディングを行っていきましょう。