グダグダ話す時間も必要

UnsplashJarritos Mexican Sodaが撮影した写真

腹落ちの有無で行動は大きく変わり、成果も大きく変わる

マネージャーを10年近くやってきて僕が思うのは「過程の共有の重要性」である。

これは一見すると、面倒くさいし、時間の無駄であるように思える。

でも、これを経ないと、部下が腹落ちせず、行動が歪んでしまう(その結果もたらされる成果については言うまでもない)。

現代はコスパ(タイパ)の時代である。

インプットを如何に極小化した上で、アウトプットを最大化するかが常に求められる。

ただ、そんなことは現実的には難しい。

インプットを極小化すると、やっぱりアウトプットは貧相なものになる。

それも最初は良くても(良さそうに見えても)、時間を経ると瘦せ細ったものになってしまう。

それを防ぐには、インプットに時間や労力をかけることが重要であるのだ。

何だか時代とは逆行しているように思えるけれど、今日はそんなことを書いていこうと思っている。

それでは始めていこう。

働き方改革と生産性向上

グダグダ話す時間の減少。

それは今に始まったことではないけれど、結果として組織の力を弱めているように感じている。

上記したように、現代はコスパ(タイパ)の時代である。

残業時間も削減しなければならない。

それが働き方改革である。

そのような流れ。

でも、本当の働き方改革って、労働時間を削減することだけではなく、生産性を上げることなのではないか、と僕は思っている。

残念ながら、現代の働き方改革によって生産性が上がっているようには僕には思えないのであるが、そのような考えを持つ者はあまりいないようだ。

もちろん、少ない労働時間によって高い成果を出すことは僕の望みではある。

ただ、インプットを減らすことだけではそれは実現できないのではないか、とも思っている。

要は、そのやり方に問題があるのだ。

インプットにもっとリソースを注ぐべきでは?

僕はインプットのところに厚めにリソースを注ぐべきなのではないかと考えている。

それはこのブログの立ち上げから書いているように、戦略や戦術を考えることや、それを実行に移す際の部下の腹落ち具合が、成果の向上にとって物凄く重要であると思っているからである。

そこを蔑ろにしたり、なあなあにしてしまうと、その後のアウトプットが高まることはない。

面従腹背がデフォルト

多くの人達は、「事前に徹底したんだから大丈夫だろ!」「会社員なんだから指示には従うだろ!」と考えているようだけれど、そんなことはない。

実際に起こるのは「面従腹背」というか、ガワだけを取り繕う行動のオンパレードである。

ただ節穴過ぎる上司たちはそれが見抜けない。

というか、本当は見抜いているのだけれど、それを見てしまうと色々と面倒なことになるので見ないようにしている。

結果、日本社会はハリボテ化し、成果は停滞している。

そんな風に思うのである。

飲み会などの「余剰の時間」の減少

僕はこの流れを変えたいと思っている。

その為には、グダグダ話す時間をどこかで確保する必要がある。

以前であれば、仕事が終わった後ダラダラとデスク周りで話をしていたりとか、それこそ飲みに行ったりだとか、そのような「余剰の時間」において、その行為を代替していたのである。

でも、それは中々難しくなった。

働き方は多様になり、またそのような多様性を尊重すべきだというのはその通りの話でもある。

では、それをどうやって実現したらいいのだろうか?

デジタルツールによるプロセスの開示と共有

僕は「プロセスの開示」がその解であると考えている。

これはプロセス自体をチャットツールや動画録画等によって、そのまま開示してしまうことをイメージしている。

もちろん、実際にグダグダと話をすることに比べてライブ感はだいぶ落ちる。

でも、そこで話し合われている内容や、そこで出た反対意見、また懸念事項などがそのままの状態で保存される。

それを適宜各々のメンバーが空いている時間に見たり、そこに加わったりする。

そのようにして、仮想的にグダグダ話す時間を共有していく。

これしかないのではないか?

本当はリアルでやるのがいいのかもしれないけれど…

と言っても、それをリアルの場でやる人には(当たり前の話であるが)それなりの時間を割いてもらう必要がある。

ただ、それを一堂に会してやるのは、流石に負担が大きすぎるようにも思う。

だから、ある程度メンバーを絞り、そこでグダグダ話してもらう、それを他のメンバーにも共有していく、というのが現実的な所なのかなと思っている。

それがプロジェクト毎に同時発生的に行われていくようなイメージである。

負担感は一緒?

もちろん、トータルの時間は結局のところ一緒なのではないかという気もする。

プロセスの過程を見たり、そこで疑問を呈したりするのには、それなりの時間がかかるから。

でも、それぞれの働く場所や空き時間が違う中で強制的に時間を設けるのと、そうでないのでは、後者の方が現実的であるようにも思うのだ。

結論だけで腹落ちできるならそれに越したことはない

結論だけを共有するのは、確かに効率的だろうし、コスパも良いように思える。

そして、それで納得し、適切に行動できるメンバーが揃っているなら、その方法の方が有効であることは事実だろう。

ただ、そんなことは現実にはあまりないはずだ。

となると、疑似的に(仮想的に)そのようなグダグダ話す時間を確保するしか方法はないのではないか、と今のところ僕は考えている。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

僕は戦術や戦略を考える時、「途中の状態」でメンバーに見せることをよくやっています。

それによって、僕の思考の流れがわかって貰えると考えているからです。

非常に不遜な言い方にはなりますが、彼(彼女)らが考える不満のようなものは、僕くらいの経験があればすぐに思いつきます。

そして、それを熟慮した上で結論(完成系の戦略)を出しているのですが、そのような形を取ると、「現状を理解していない!」といったような反射的な不満に議論が留まってしまい、やりたいことができないと思っています。

だから、未完成版を出す。

意味合いが違うかもしれませんが、これは「推し活」的な要素もあるような気がしています。

自分もそこに参画している、一緒に成長して行っている、そのような過程の共有化が、戦略を「我が事」化し、行動を変えていきます。

無駄だと思えるプロセスの共有化を積極的にしていきましょう。