「サイコパス=優秀なマネージャー」ではない

UnsplashLiza Polyanskayaが撮影した写真

人間性は自分ではどうしようもない

マネジメントについて究極的に考えていくと、「そこに人間性は必要なのだろうか?」と思う時がある。

僕は「結局は人間性」というタイトルのブログも書いているように、マネジメントには人間性が不可欠であるし、それがなければ高いレベルのマネジメントを行うことはできないと考えている。

でも、人間性というのは自分でどうしようもできない項目であるのも事実で、そのような壁にぶち当たった時に、それなしでやる方法はないのか、という方向に意識が向かって行くのは、言ってみればまあ自然なことではある。

そして、そのように考えた末に、サイコパス的なマネジメントを行う人が一定数存在することに気づく。

ここで言うサイコパス的なマネジメントというのは、部下や周囲などの感情に配慮することなく、合理的に物事を進めることを最善とする考え方である。

こう書くと、僕が普段から主張していることもある種このような傾向を帯びていることがわかる。

でも、本当にそれでいいのだろうか、というのが今日の話である。

それでは始めていこう。

心がない方が有利

マネージャーを2種類に分けるとするなら、心があるマネージャー心がないマネージャーに分けることができる。

そんなことを思う。

そして、「成果」というものを最優先で考えた時には、心がないマネージャーの方が有利であるし、結果として実際に成果も出しやすいと僕は考えている。

それなのに、「サイコパス=優秀なマネージャーではない」というのが今日のテーマである。

これはどういうことなのだろうか?

一流、二流、三流

僕はサイコパス傾向を持っている方がマネージャーには向いていると考えている。

でも、一方でそれでは一流にはなれない、とも思っている。

纏めるならこうだ。

一流…人間性が本当に優れているマネージャー。

二流…サイコパス傾向を持ったマネージャー。

三流…心がある(だけの)マネージャー。

多くの人は、この分類の中で言えば、二流と三流での争いを続けている、それが僕の主張である。

1.5流を目指そう

冒頭にも書いたように、人間性というのは自分ではどうしようもできない種類の物事でもある。

とするなら、(僕も含め)多くの人達は、二流を目指す方が三流になるよりはマシ、という考え方になるのもおかしいことではない(本人はそれが二流だとは思っていないと思うが)。

でもさ、というのが、ここに続く。

それでも、僕は心が必要なのではないか、と考えている。

そして、本来的に人間性に優れることは難しくても、そこを目指すという考え方や性質(志向性)があれば、一流にはなれなくても、1.5流くらいにはなれるのではないか、というのが僕がこのブログ全体を通して主張していることなのだ。

そうすれば、そこらへんにたくさんいるサイコパス・マネージャーの上に立つことができるから。

というか、その方がきっと日本社会全体にとって良いことだと考えるから。

心を捨てるのは簡単だ

なので、心を捨てるという安易な道はできれば取らないで欲しいと思うのである。

確かに、情に流されて、本来やりたいことができないといったようなマネジメントは間違っていると僕も思う。

それは優しさではなく甘さである。

また、そのような種類のマネジメントを行う者もとても多い。

だからこそ、非人間的なアプローチを取るサイコパス型マネジメントが誉めそやされたりするのだろう。

「管理」を有難がり過ぎ

部下は駒ではない。

もちろん、そのようなイメージが必要な場面もある。

マネジメントにはリソースの最適配分を考え、それを実行するという側面もあるから。

でも、人間というのは不思議なもので、マネージャーがそのように考えていることは確実に部下に伝わるし、そうすると持っている以上の力が出るという事態は殆ど起こらない。

ましてや、チームの力が、個々の力を合わせた以上のものになるなんてことはない。

大事なことは、いかに成果を等比級数的なものにするかであって、その為にはサイコパス的なマネジメントでは限界がある。

そういうことなのである。

「管理」というものを皆が有難がり過ぎることが問題なのだ、きっと。

僕は人間を信じている

これは安心を誘う。

実際に管理をしているマネージャー自身もそうだし、それを監督している上司もそうだ。

管理しているから大丈夫だ、そのように考えてしまいがちである。

そして、その管理方法が情にほだされず、合理的に行われていればいるほど、マネジメントが機能しているのではないか、と錯覚してしまいそうになるのも理解できる。

でも、それは錯覚だ。

マネジメントの機能というものは、そんなものではない。

というか、人間というものは、そんなものではない

そういう意味において、僕は人間を信じていると言えるのかもしれない。

テイラー主義を超えていこう

科学的管理法。

テイラー・システムのようなマネジメント手法。

それを如何に効率的に行うかがマネジメントではない。

そういう人たちを凌駕すべく、僕は人間性のない状態で、人間性があるマネジメントを行い、圧倒的な成果を出そうとしている。

その仲間に加わって頂けるなら、こんなに有り難いことはない。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

目の奥に光がない人たち。

優秀と呼ばれている人達の大半がこうである現実に、僕は疑問を抱いています。

もちろん、そうなってしまう理由はよくわかります(僕だって伊達に10年マネージャーをやっている訳ではありません)。

でもそれは安易だし、僕はそうなりたくはありません。

そいつらを凌駕すべく、高い成果を上げていきましょう。