暗黙知と共有知
非リモートワークのメリット
コロナウイルスをきっかけとして、日本企業でもようやくリモートワークというものが定着していきそうだ。
リモートワークのメリットについては様々な所で書かれているので、今回は逆に「非リモートワーク(1つの場に集まって仕事をすること)」のメリットについて書いていこうと思う。
結論から言うと、それは「暗黙知を共有知にできること」だ。
もう少し詳しく書く。
(僕の場合はチーム単位で仕事をしているので、そこでのメリットだと思って読んで頂けるとありがたい)
チーム内の暗黙知は外科的に抽出できない
仕事をしていてよく感じることであるが、僕らは仕事において必要となる「知」を外部化している。
それはもちろん個人にも所属しているものであるけれど、どちらかというと、チームの間にある空間に存在している、という方が感覚としては近いと思う。
今風に言えば、クラウド化している、となるのかもしれない。
ここで言う「知」というのは、知識だけでなく、ノウハウやメソッドや、その他諸々のものを含んでいるものだ。
このような暗黙知は、形を持ったものとして外部に出すことがなかなか難しい。
「これが暗黙知です」と外科的に抽出することは難しい。
というよりも、本人も普段はそれを意識せずに使っている。
空中から取り出して、いとも簡単に。
暗黙知をクラウド化していくことで分業化(専門化)が進む
暗黙知の共有は分業化に繋がる。
複数人集まるチームにおいては、仕事は自然と分業化されていく。
アダムスミスやリカードを持ち出すまでもなく、我々程度の小さなチームにおいても、分業は有効だ。
これは専門性と相対する概念であると思うのだけれど、専門的な知は自分の中に、それに付帯する知は外部に、それぞれ置いておくことで、仕事がより効率的になる。
そしてその外部化された知も、それぞれのメンバーによって得意分野が異なるので、自然と棲み分けがなされていく。
僕たちは仕事のちょっとした場面で、これを外部のクラウドから「取り出す」。
現象的には、「ちょっと隣の人に聞く」という形で現れる。
その間、僅か数秒の世界だ。
共有知を「0負荷」で活用する
これが「非リモートワーク」のメリットであると思う。
この暗黙知を外部の共有知として活用することで、チームメンバーそれぞれはそれぞれのことに特化できる。
より専門的な部分を深堀りできる。
「いやいや、リモートワークだってネット環境があるのだから、そんなもの簡単に調べられますよ」「それこそクラウド化すればいいじゃないですか」という反論が聞こえてくる。
間違ってはいないと思うけれど、ニュアンスがちょっと違うと僕は考えている。
ここにおいて大事なのは、それが「暗黙知」であるということだ。
僕らはそれに対して普段あまり重きを置いていない。
でもちょっとした瞬間に、その暗黙知が必要となる。
隣の人に「0負荷」で聞くことで、作業を中断せずに戻ることができる。
もっと言えば、そのちょっとしたコミュニケーションの間に、違うインスピレーションが湧いてくるかもしれない。
共有知を自由に活用することで脳がドライブしていく
よく言われることではあるが、イノベーションというのは無から生じるものではなく、既存のものを新しく組み合わせること(新結合すること)で生じる。
このような無数の無意識的なコミュニケーションはリモートワークでは実現しにくい。
それは必ずと言っていいが、負荷を伴う。
メールでも電話でもスカイプでもチャットでも、そこで作業は中断される。
脳がドライブしていかない。
良いチームが高パフォーマンスを継続できるのは、このような「共有知」が頭上に浮かんでいて、それを誰もが自由に取り出して活用することができるからだ。
専門的なことはわからないけれど、太古の昔から、僕たち人間はそのような形で脳というハードディスクの容量不足を補ってきたのだろう。
言語というものを介して、そういう共有知を僕らは自然と繰り返し活用している。
だからメンバーが変われば、そこにおける知の体系も変わっていく。
もちろん新しいフィットする形が形成されるのだけれど、そこまで行くのにはしばらく時間がかかる。
それが固定的なメンバーで同時場で働くことの大きなメリットであると思う。
もちろん、ネット回線が更に高速化して、ARやMRが発展していけば、僕らはリモート上で現実と同じようなテンポ感でコミュニケーションを取れるようになるのかもしれない。
そうなれば、ここで書いていることがリモートワークにおいても実現できるようになる。
しかしながら、しばらくの間は今の状態で働き続けなければならない。
創造性とは?
暗黙知を顕在化させるようなコミュニケーション手段が少なくなっている現在において、創造的な仕事をすることはやや困難になっていると僕は感じている。
もちろんリモートワークのメリットもたくさんあるのだけれど、こと創造性については、ちょっと疑問を感じながら働いている。
下らない冗談も、どうしようもないバカ話も、僕らには必要だ。
一見関係ないと思われる雑談がビックディールに繋がったりする。
仮想現実が現実化するその日まで、僕らはこの状態で仕事をしていくのだろうか?
そこに本当の意味での創造性は付帯するのだろうか?
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
リモートワークの短所に気付き始めた企業はサテライトオフィスのような、自宅でも職場でもない環境(サードプレイス)を構築しようとしています。
その効果の程は現状ではまだわかりませんが、個人的に思うのは、「同時場」に「同じメンバー」がいないと、脳のドライブは難しいんじゃないか、ということです。
もちろん、横に座る人が違う部署の人で、その人たちと交流することで新しい発想が湧くということは起こりうることだと思います(現状のフリーアドレス制のようなイメージ)。
しかしながら、それはどちらかというと表層的なものに留まってしまうような気もします。
もちろん、同じメンバーがずっと変わらないというのも固定的発想になってしまうのでデメリットはあるのですが、「初めまして」の環境ばかりだと、その「前段」の作業で終わってしまう(何となくクリエイティブな感じはするけれど…)ような気がしています。
6Gや7Gくらいになれば、僕らは拡張現実を通じて初めましての人に対しても「前段」のコミュニケーションを超えた話ができるようになるのかもしれませんが、現状ではそのハードルはとても高い。
一歩間違えれば「馴れ合い」になってしまうデメリットも感じながら、僕はそんな風に考えています。
アナログな僕たちには、ある種アナログな会話が必要です。
それがチームで働くメリットです。
そこにある共有知を0負荷で活用しながら仕事ができる方法を模索していきたいと思います。