課長に手柄はいらない

わかる人だけわかればいい

課長だって手柄は欲しい。

その気持ちはとてもよくわかる。

過去プレーヤーとして名を揚げた人であれば尚更だ。

誰だって褒められたい。

自分の成果だって誇りたい。

でも、マネージャーになったからには、その気持ちは捨てた方が良い。

あくまでも黒子に徹する。

わかる人だけがわかればいい。

そういう気持ちで仕事をしていく。

そんなことを今日は書いていこうと思う。

お前の物はオレの物、オレの物もオレの物

個人的な経験が多分に関係しているから、こんな風に僕は言っているのかもしれない。

というのは、プレーヤー時代に、当時のマネージャーがこのタイプだったことがあって、そのマネージャーのことが僕は大嫌いだったからだ。

そのマネージャーはたちの悪いことに、自分の手柄のみならず、僕の成果も自分のものだと言う人であった。

今となってはその人の気持ちがわからなくもないけれど、当時は「なんて奴だ!」と思っていた。

と、同時に「絶対にこういう上司にはなるまい!」と僕は心に誓った。

そこから数年を経て、僕はマネージャーになった。

そしてその時の誓いを今まさに実行している。

僕は自分の成果を誇ることを過剰に抑制している(そういう意味では、その鬱憤の反動がこのブログ内に充満しているのかもしれない。鼻につくことが多いと思うが、そのような背景があることを斟酌して、どうか大目に見て頂きたい)。

感謝を継承していく

もちろん、「どう考えてもマネージャーのおかげ」という成果は日々あるものだ。

でも、それは大仰にしなくても、勝手に知れ渡る。

というか、知れ渡らなくても、担当者がそれに感謝してくれていて、いつかその感謝を未来の部下に返してくれればいいのだ。

僕はそのような「善意の継承(ペイ・フォワード的な)」が強い組織を作るのだと考えている。

そこで「オレがオレが」となってしまうと、折角の成果も汚されてしまう。

価値が失われてしまう。

(もちろんこんなものは美学の問題なのかもしれない。きっとただのナルシシズムなのだろう。それでも、と僕は思うのだ。それはやめた方が良い、と)

課長の手柄はマネージャーの実力を端的に表してくれる

では、なぜ「オレがオレが」となってしまうのか?

それはマネージャーの実力というのは外形的にわかりにくいからだと僕は思っている。

どんなに高い成果をあげたとしても、「運」という言葉で片づけられてしまう。

「外部環境」という言葉で薄められてしまう。

「たまたま」だと言われてしまう。

そんな時に「いや、そうじゃないんだ! オレが頑張っているからなんだ!」と叫びたくなるのはとてもよくわかる。

それを手っ取り早く示すことができるのが、この「課長の手柄」だ。

狩りから帰ってくる狩人のように、獲物をぶら下げて雄叫びを上げる。

それはとてもわかりやすく、自分の実力を明示してくれる。

お立ち台の上に登って、ヒーローインタビューに答えたくなる。

アドレナリンもドーパミンもたくさん出ているだろう。

気持ち良くなってしまうだろう。

ジャイアニズムと俺すげえええええ!感

マネジメントにおける日々のフラストレーションがこの傾向に拍車をかける。

部下の「できなさ加減」に日々うんざりしている。

成果の上がらなさに不満ばかりを抱いている。

上司からも叱責されている。

どうやって打開しよう?

メンバーは役立たずだ。

時間もかかる。

じゃあどうしようか?

オレが、出よう。

それが手っ取り早い。

実際に課長が出張ると、数字は上がる。

ほら、見たことか。

それを繰り返していく。

もっともっと手柄が欲しくなる。

ジャイアニズム満載で、部下の手柄も自分の手柄にしたくなる。

実際にしてしまったりする。

「オレすげええええええ!」感で、満たされていく。

上司から見たオレ様マネージャーを想像してみる

でも、僕の個人的な経験を脇に置いておいたとしても、この種のやり方はやめた方がいい。

それは単純にその(自分の)上司から見た自分を想像すればわかることだ。

あなたの部下であるマネージャーが自分の手柄を自分のものだと主張していて(もっと言うと、部下の手柄も自分の手柄だと主張していて)、あなたはそのマネージャーを評価するだろうか?

僕ならしない。

それはプレーヤーの仕事だと思うからだ。

お前の仕事は、部下を鼓舞して、個人では到達できないような成果をチーム単位で出すことではないのか、と思うからだ。

もちろん、緊急事態であれば、頼もしく思うこともあるだろう。

目の前の成果がどうしても必要な状況というのは、確かにある。

ただ、その状況が恒常的に続いているのであれば、僕はそのマネージャーを無能だと判定する。

無能、という言葉が強すぎるのであれば、不適格、であると判断する。

そういう人はプレーヤーとしてプロフェッショナルを目指せばいいのだ。

少なくともチームの指揮は任せられない。

僕ならそのように考える。

自分の手を使わなくても成果が上がるような仕組みを作るスキル

これは第三者的な評価というある種の打算の要素によるものだけからお勧めしているのはなく、単純にマネジメントの面白さを味わえない、ということもある。

折角マネージャーになったのであれば、自分の両手を縛っても成果を上げられるというスキルを身に付けるべきだと僕は思う。

そしてその上で、自分はプレーヤーとしてやっていくのか、マネージャーとしてやっていくのかを判断すればいい。

僕はプレーヤーに郷愁を感じながらも、マネージャーの面白さも知ってしまった。

だから、もしあなたが現状に悩んでいるのであれば、騙されたと思って、マネジメントに特化してみて欲しい。

苦難を乗り越えた先に、新しい展開があるはずだ。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

プレイング・マネージャーという言葉が、どちらかというと褒め言葉として使われているのが僕にはよくわかりません。

それは単純に組織として未熟なだけであると僕は思うのですが、どうやら世間的にはそうではないようです。

マネージャーがプレイすることで得られる成果というのはたかが知れています。

マネージャーの仕事はそのような「ちょっとした付加」ではなく、成果を大きく増やすこと足し算ではなく掛け算的に、もっと言うと指数関数的に)だと思っているのですが、そのように(プロフェッショナル・マネージャー的に)考える人はあまり多くはないようです。

成果を誇りたいのであれば、どこかの誰かのようにブログでも開設して、そこに自慢話を書けばいいと思うのですが、そういう考えにはならないようです(ブログなんて書いている時点でだいぶ病んではいますが…)。

異端児のまま、僕は淡々と成果を上げていこうと思っています。

どこかで同じように闘っている人がいるなら嬉しいです。

共に頑張りましょう。