「やればできる!」なんてない

無策であることを隠すなよ?

僕は精神主義(根性論)否定論者である。

以前にも書いたことだけれど、ギリギリのせめぎ合いの時にはメンタルというのは重要な要素を占めると思うし、そうでなくとも心のありようみたいなものは行動を決める上で重要なファクターであることは否定しない。

僕が嫌いなのは精神「主義」だ。

ある種の「信仰」と言ってもいいかもしれない。

ただの無策であるのに、それを隠そうと精神論を持ち出すマネージャー達の言動や行動にうんざりしている。

「お前らができないのは気持ちが足りないからだ!」

「一生懸命やれば、必ず達成できる!」

反吐が出る。

今日はそんな話だ。

ビジネスにおいても実力差は歴然とそこにある

マネジメントにおいて精神主義を持ち出したら終わりだと僕は思っている。

というか、末期症状だと思うようにしている。

それは、万策尽きて、何も打開策がない、ということを声高に主張しているに過ぎない、と考えるからだ。

あなた自身や、周囲の人間がそのような話を持ち出し始めたら、注意した方がいい。

ろくでもない結果になることは明白である。

これもあまり共感してもらえないのだけれど、ビジネスにおいても実力差は実力差として歴然とそこにある。

でも、それは簡単に乗り越えられる類のものだと思っている人が多いように感じる。

地区予選1回戦敗退のチームが甲子園常連校に根性で勝てることはない(100回やって1回勝てるかどうかだろう)。

ただビジネスではそうは思わないようだ。

それは「どうにかなる」ものだと考えられているようだ。

戦力差を一気に解決する方法なんていうものはない

適切な例えかどうかはわからないが、実力差がある時に大事なのはまず練習することだ。

地道な素振りや走り込みによって、その差を少しずつ埋めていくことだ。

根性や精神力によって、一気にそこを解決する、なんてことは現実には起きない。

あるのはただ平凡で単調な毎日だ。

そこにおいて、競争相手よりも少しだけ多く、密度の高い練習をすること。

それもより効率的な戦略の下で練習し続けること。

それに勝る精神なんてものはない。

もう一度言う。

精神主義では勝てない。

「やればできる!」なんてことはない。

スポ根大好き!

こんなことを言うと、「空気を読まないやつだ!」とか「水を差すな!」とか言われるのがオチだ。

みんな精神主義が大好きだからだ。

スポ根をビジネスにも持ちこもうとする。

そして僕が我慢ならないのは、その結果については問わない、というスタンスだ。

成果が出ていない現状を打開するために精神主義を持ち出す、実際に活動する、結果が出る、そこまではまあいいだろう。

では、その結果の部分はどうだったのか?

高い成果になったのだろうか?

それを分析することはない。

いや、仮に成果が出ていなかったら、「気持ちが足りなかった」とでも言うのだろう。

「外部環境」のせいにするのだろう。

そして、さっさと「次」に向かうのだろう。

本当にうんざりする。

量ではなく、質を

営業をやってきた人間として、「量」というものが重要であるということは十分に理解しているつもりだ。

絶対的に「量」が足りなければ、確かに数字は伸びていかない。

ただ、ある程度のところからは「質」が決定的に重要になる。

使い古されている言葉だけれど、この「量」×「質」の部分を如何に継続的にできるかというのが、高い成果を出せる人とそうでない人を分けていく。

昭和時代のようなキャッチアップ型経済においては、量をやれば成果もついてきた。

経済自体が大きく成長していた環境下では、どんなやり方(質)であっても、量があれば、成果というのは伸びた。

ただ、現代はそうではない。

質がなければ成果はない。

で、その質を高めるのに重要なのは根性ではない。

努力ですらない。

戦力差を分析して、勝てるかどうかを吟味する

では、何なのか?

それは「分析」なのだろう、と僕は思う。

ある種の試行錯誤から得たデータをどのように解釈して、次回の戦略にどう活かすか、その繰り返しの中にこそ質というのは生まれてくる。

もちろんそこには「突然変異」的な不確定要素が不可欠である。

この「線形と非線形の組み合わせ」が大きな成果に繋がっていく。

感情と理性、という言葉で言うのであれば、感情は排して、理性的に考えていくことが必要なのだと僕は思っている。

理性的であるということは、決して空気を読まない訳ではないし、冷たい訳でもない。

ただ冷静に戦力(差)を分析して、勝てるかどうかを吟味する行為だ。

竹槍で戦車に勝つのは不可能

これも議論が難しいけれど、チームビルディングの段階であれば、できるだけ「負け試合」は回避した方がいい。

それは特に弱いチームであればあるほど、自信がなくなってしまうからだ。

「当然負ける試合」「結果として負けてしまった試合」、というのは本質的には異なるものであるはずなのに、それをどちらも同じように扱ってしまうことはマネジメントとしてはうまい手とは言えない。

勝てる試合を確実に勝っていくこと。

裏返せば、戦力差がある場合には勝負すらしないこと。

無理やり精神力という魔法のようなものでカバーしようとしないこと。

竹槍では戦車には勝てない。

それを言明することをタブーとしてはいけない。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

コロナウイルスへの報道でも感じることですが、日本人はいつになったらデータを基に理知的に議論をするようになるのだろうか、と僕は感じています。

もちろん、大抵の市井の人はそのように思っていると思うので(僕は日本の一般の人の感性を信頼しています)、あくまでもこれはメディア上の話に過ぎないのかもしません。

ただ、メディアが精神論を持ち出したり、感情論を持ち出したりすることで、さも「世論」が形成されているように映し出される(そして実際にそれによって行動が抑制される)ことに、何というか不条理を感じますし、実際にそれに感化される人も一定数いるのだろうな、と思っています。

「空気」に弱い私たちは、簡単に「欲しがりません、勝つまでは」とか「一億総玉砕」みたいなスローガンに染まってしまいます。

精神主義もその亜種の一形態です。

やってもできないことはあるし、無理なものは無理です。

そしてそれを言うことは別に悪いことではありません。

空気に囚われずに、建設的な議論を行っていきましょう。