サブスク的マネジメント

マネジメントをサブスクリプションの文脈で捉えてみる

今日もまた変なことを書いていこうと思う。

それはサブスクリプションのような考え方でマネジメントを捉えるとどうなるか、というものだ。

生物学的マネジメント論」という記事に書いたことと近い結論になるのかもしれないし、アプローチの方向がバイオロジーなのかテクノロジーなのか、という違いに過ぎなくて、同じことを言っているような感じになりそうな気もするけれど、頭から離れないのでちょっと書いてみようと思う。

サブスクリプション=継続的に関わっていくこと

サブスクリプション、という言葉の中で僕が意味しようとしているのは、「月額課金」ではない、ということを最初に書いておく。

もちろん、サブスクリプションの料金の取り方=「月額課金制」ということになるのだろうけれど、僕がこれから書こうとしているのは、料金体系と言うよりも関係性の話であって、「継続的に関わっていく」「(レスポンスを受けて)継続的にアップデートしていく」「完成品ではなく永遠のβ版を販売する」みたいな考え方のことである。

そして重要なのは、「製品」そのものではなくて、製品から得られる「体験」の方であることも付言しておく。

サービスが改善され、体験が上質になり、競争力が生まれる

工業化社会においては、製品を売ったらそこでおしまい(あとのことは知らないし、マーケティングやら広告やらでとにかく「売る」ということが重要)であったのに対し、ポスト工業時代においては、その製品を通して体験できることが重要になった。

もっと言うと、製品(モノ)がなくても体験(コト)さえ得られればそれでいいのだ。

ウーバーがそれを端的に表している。

大事なのは車を所有することではない。

車をなぜ所有するかというと、移動したいからだ(もちろん他にも顕示的な意味合いなどもあるだろうけれど、ここではもっと本質的な意味を考えることにする)。

車という製品ではなく、移動という体験に焦点を当てる。

それを顧客との継続的な関わりの中で最適化していく。

サービスというのは、メンバーシップというものと同義で、売る・売られるという関係性ではなく、同じ方向を向いている同志として対等な関係になる。

顧客があるサービスを試して、そこから得られるデータや知見を、サービスの改良に繋げていく。

結果として、サービスはより良いものになり、顧客はより良い体験が得られるし、企業も良いサービスを提供しているので競争力が生まれる。

そしてそれが永遠に続いていく。

もう少し詳しく言うと、そのサービスというのは「個人化」されたものでもある。

自分の生活様式に合ったサービス(パーソナライズド)を適切な対価(アップグレード・ダウングレード)で受けることができる。

未完成のまま、向上し続ける

これはマネジメントにおいても適用できる考え方だと僕は考えている。

労働力というものを企業に売るのではなく、企業というプラットフォームを使って継続的に提供していく。

企業側もインフラを整えたり、働き方をそれぞれの従業員に合わせてアップグレードしたり、ダウングレードしたりする。

従業員もそれに合わせて、労働時間や労働の質をアップグレードしたり、ダウングレードしたりする。

そしてどちらも「完成」しない。

継続的にデータとサービスを提供し続け合いながら、向上し続けていく。

安っぽい言い方をするのであれば、双方がウィン・ウィンであり続ける。

乗り換えていく。契約を解除していく。

重要な概念は「対等」だ。

サブスクリプションがサービスを向上させ続けなければ、顧客が契約を契約し続けないように(他社の同様のサービスに乗り換えるように)、企業も労働の条件を改善し続けなければ(労働者も然りだ)、他の企業に乗り換えていく。

一方で、その環境が自分に合ったものであって、自分がどんどんと向上するような感じがしていて、理念も一致しているのであれば、そこで働くことを(主体的に)選んでいくだろう。

もちろん、労働には「食っていく為には働かなくてはならない」という抜き差しならない側面があるので、こんな綺麗事ばかり言っていられないということは重々承知している。

ただ、どうせ働くのであればマシな方が良い、というのもまた事実であると思う。

サブスクリプションの契約者が契約を解除するように、働く側もその環境が適切でないと思えば、その契約を解除してしまえばいいのだ。

労働を「個人化」していく

以前「管理職から支援職へ」の中にも書いたことだけれど、これはマネジメントにおける「支援」の概念に近いものだと思う。

管理職が「正しい」(と思う)ことを部下に押し付けるのではなく、部下から得られるフィードバック(データ)を基に、マネジメント自体をアップデートしていく。

一律的に「これをやれ!」というのではなく、それぞれの部下の状況に合わせてマネジメントの形態を変えていく。

それを継続しながら、更に高いところを目指していく。

そしていつまでも完成しない。

たくさん働きたい部下にはたくさん働ける環境(アップグレード)を、色々な事情があってそれができない部下にはそういう環境(ダウングレード)を、与えていく(一律に労働時間を削減するのではなく)。

そうやって、労働というのは「個人化」されていく。

そして個人化された時に、チームというのはより意味を持つようになる。

そこと契約をし続けることで、自分がアップデートしていくような感じ。

高い体験価値を得られるような状態。

そんな風に僕はマネジメントを捉えようとしている。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

自分の中でもしっかりとした概念に落とし込めていないので、ぼんやりとした文章になってしまいました。

ただ、僕が言いたかったのは、動的な関係性(静的な関係性ではなく)がマネジメントにも必要であって、それは常に最適化し続ける、ということです。

テスラの自動車が販売後もアップデートし続けるように、最近のゲームが購入後もアップデートされ続けるように、マネジメントも良い方向にどんどん変化し続けるべきである、と僕は考えています。

生物学的マネジメント論の項でも書いたように、僕はそのような動的なマネジメントがきっと好きなのでしょう。

ただそこに今回の風味を付けるとするなら、働く側(マネジメントされる側)もそのサービスを主体的に選んでいく、というところです。

サッカー選手が自分のプレースタイルに合うチームに移籍するように、僕らも自分の力が発揮できたり、その能力を伸ばせるような環境にフレキシブルに移動できたりしたら、もう少し働くことは楽しくなるような気がしています。

選手から選ばれる監督になれるよう、これからも頑張っていきましょう。