セクハラと(異性の)部下へのマネジメント

Photo by Mihai Surdu on Unsplash

セクハラは外形的にわかりにくい

当ブログではパワハラのことを執拗に取り上げてきたが、セクハラについての言及が少なかったように思うので、今日はセクハラについて書いていく。

パワハラと同じように、セクハラも厄介な問題だ。

パワハラと比べて、セクハラというのはその境界線が曖昧であることがその厄介さの原因なのではないか、と僕は考えている。

職場内において、パワハラが行われていれば、そこにいる職員の大半は「ああ、あれはパワハラだ」と気づくだろう(もちろん、それに対して声を上げるかどうかは別であるし、以前よりも見えないところで行われるようになってきているのは事実であるが)。

しかしながら、セクハラというのは外形的にわかりにくいことが多い。

そしてパワハラに比べて、主観的な要素が強い

やや抽象的な話になりそうだけれど、今日はこのテーマで書いていこうと思う。

※大前提として、パワハラもセクハラも実際にやっている人がとても多いし、そういう人は本当に断罪されるべきだ、と僕は考えている。今回の話はその前提をクリアした後の話であることを理解して読み進めて頂きたい。

当人だけでなく、周囲がどう思うかも重要

このブログの対象である「若くしてマネージャーになった人」にまず知っておいて欲しいことは、ハラスメントというのは「受け手の感じ方」によってその意味合いが大きく異なる、ということだ。

そしてセクハラに関して言えば、その対象となる本人だけでなく、周りの人の受け止め方にも大きく左右される、ということは心に留めておいて欲しい。

もう少し有り体に言うのであれば、本人同士はセクハラだと思っていなくても、周りの人がセクハラだと思えば、それはセクハラなのだ。

だんだんとセンシティブな話になってきたが、もう少し詳しく書いていこう。

個人的な連絡を取るのは愚の骨頂

セクハラだと言われない為の基本のキは、異性の部下に対して「個人的な連絡を取らない」ということだ。

マネージャー初任研修等でも事例としてよく上げられることであるが、ラインを送るなんていうのは愚の骨頂である。

正直言って、その文面(内容)は関係ない

個人的にやり取りをしている、ということ自体が本人はもちろん、周りからの批難を生む。

業務上の連絡を取らなければならない、ということはあるだろうけれど、それでも細心の注意を払うべきだ。

火のない所に煙は立たぬ、ではなく、火がなくても煙が立つのがセクハラというものであるからだ。

用心しすぎるくらいで丁度いい。

繰り返しになるが、肝心なことは本人だけでなく周りの人にも注意をする、ということだ。

そして、その周りの人には善意もあれば悪意もある。

親切もあれば、嫉妬もあるのだ。

面談室のドアは開けておく

次は1on1だ。

これも基本的な話になるが、1対1での面談は密室で行わない、ということが大原則となる。

人事評価であるとか、やや込み入った話であっても、面談室のドアは必ず開けておく。

とてもベーシックなことであるけれど、まだまだこれができていない人は多い。

これも上記したことと同様の理由である。

当の本人は何とも思っていなくても、「あの2人はよく密室で面談しているな。何かあるんじゃないか」と焚きつける人は必ずいる。

これは何も異性に限ったことではない。

同性の部下や同僚や上司が、自分の出世を妬んで、「あいつを蹴落としてやろう」と思って、そのような根も葉もないことを言いだす、なんていうことはザラにある。

いや、冗談ではなく、本当にあるのだ。

追い落とす為の武器として使われることもある

そういう意味では、今回の話を纏めるとこのようなことになる。

セクハラという行為自体は言語道断であり、絶対にするべきではない。

しかしながら、「セクハラ的な要素がある行為」というもの(本人に全く邪な考えがなくても、傍目から見ると疑われる可能性があるもの)も存在するので、そこをできるだけ通らないようにする。

それは善意(「あの子セクハラされてる! 助けなきゃ!」)からも悪意(「あいつのやっていることセクハラっぽい! ちょっと密告してやれ!」)からも身を守る為である。

書いていてうんざりするけれど、セクハラがパワハラと違うのは、悪意の要素が大きい、悪意で使われることが多い、ということだと思う(もちろんセクハラというクソみたいな行為をする男がそもそも多すぎるということは大前提だ)。

誰かを追い落とす時に、ハラスメントというワードは昨今においてとても強いものだ。

もちろん本人に非があれば話は別であるが、その領域に多少足を踏み入れそうになることはあるし、それを鬼の首を取ったようにあげつらう人もいる。

ましてや若くしてマネージャーになっている人には敵対者も多い(はずだ)。

妬みややっかみがそこには必ずある。

そして誰もが「失敗しろ!」と願っている。

人間は醜い。

マネージャーを経験すればするほど、それを実感するようになるだろう。

上司部下の関係を超えた仲間意識は大事だけれど…

昨今はコロナウイルスの影響もあって、飲み会で失敗するとか、異性の部下とどこかに行く、ということはまずないだろう。

そういう意味では、以前に比べればセクハラのリスクは少ないと言える。

ただ、本当に良いチームを作っていこうとすればするほど、部下との距離感は縮まっていくものだ。

同性にしろ、異性にしろ、そこには上司部下の関係を超えた仲間意識みたいなものが芽生えてくることが必ずある。

本来的にはそこに飛び込んでいくことが更に高い成果を出す為には大事なのだろうけれど、昨今のハラスメント環境を考えるのであれば、それはリスクでしかない。

淡々と、上司部下の関係性のまま、職場での関係性のまま、成果を出す方法を見つけるしかない。

つまらない話になってしまった。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

ハラスメントに関する話はとても難しいです。

僕はある時は女性の部下との距離感が近すぎると言われ、そのリスク回避の観点から男性の部下とばかり親しくしていたら、ゲイなのではないか、と言われた経験があります(そういう意味では、今回の話のタイトルを「異性の」と書いている時点で時代錯誤なのかもしれません。)。

その後、どちらの性とも距離を置きながら仕事をしていたら、今度は「部下との間に距離がある」という批判されたりします。

他人というのは本当に面倒くさいし、若くしてマネージャーになるということは妬みとの戦いでもあります。

自分に何の非がなくても、追い落とそうとする人は山ほどいます。

もちろん、ハラスメントは言語道断ですし、それに本当に苦しんでいる人達がたくさんいることも理解しています。

ただあまりにも行き過ぎるのも考え物だとも思っています。

「ハラスメント警察」が断罪されないことに違和感を覚えながら、今日も僕はビジネスライクに仕事をしています。

(難しいかもしれませんが)共感していただけたら幸いです。