グダグダ話す

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居酒屋以外で上手な人間関係を構築するには?

居酒屋談義がコロナによって封じられてから、もう1年半くらいになる。

以前であれば、職場での話と居酒屋での話を分けながら、職場では建前を、居酒屋では本音を話すことで、上司や部下との距離感を適切に保つことができた。

日本的だ、というそしりもあるかもしれないけれど、そうやって両面を使い分けることで、特に居酒屋において距離を詰めることで、関係性を構築するのが1つのスキルとして有効であったので、それができない現在はどうやってそれをなすべきなのか、ということに悩んでいる人もいる(多い)と思う。

特に、職場内において厳格な立場を取ることが多い人、またそういうキャラクターである人、というのは、この状況におけるマネジメントには苦労しているのではないか。

関係性の構築にはプライベートな人格を知ることが必要である、と僕は考えている。

社会人的人格ではなく、素の部分の人間性を知ることで、その人との距離を詰めることができる。

その1つの方法として居酒屋談義があった訳だけれど、しばらくその手法は使えない公算が高い。

ではどうするか?

答えは、グダグダ話す、ということだ。

今日はそんな話をしてみようと思う。

敬意と距離

部下(特に若手)と接していて思うのは、必要以上にマネージャーに対して畏まる傾向がある、ということだ。

もちろん心の奥底部分はわからないけれど、少なくとも表面上はすごく丁寧であるし、緊張しているような印象を受ける。

裏を返せば、そこには壁がある、ということでもある。

一線を引くというか、分をわきまえるというか、パーソナルスペースを確保するというか、とにかく「上司と部下」という関係性から一歩踏み入れるということに対して、僕が部下だった頃に比べると、抵抗感が強いような印象を受ける。

それは決して悪いことではないのだけれど、そこにはある種のよそよそしさがある訳で、何というかチームとしての力が出づらい要因でもあるような気がしている。

それはそれ、みたいな感じというか。

素の部分を理解してもらうには居酒屋談義は有効だった

僕はどちらかというと個人主義的な人間であるし、「みんなで頑張ろう!」みたいな雰囲気が嫌いでもあるので、そういう意味では全体的な傾向については賛成ではあるけれど、ことマネジメントにおいてはパワー不足を感じるというのも事実である。

居酒屋談義が有効であったのは、マネージャーとしての仮面を脱げるというか、管理者としての鎧を外せるというか、立場ではなくて人間の部分を見せられる、ということが人間関係の構築には重要であるからだ、と僕は考えている。

弱みというか、だらしなさというか、素の部分のマネージャーは大したことがない、ということを理解してもらう、ということに役立っていたのだと思う。

もちろん本来的にはそこにアルコールというものは不要であるのだろうけれど、手っ取り早く「スイッチOFF」にすることができるというのが居酒屋談義のメリットなのだ(最悪、アルコールのせいにもできるし)。

昭和時代における社内行事の有効性

もう少し言うと、僕は昭和世代の社内運動会とか社員旅行とか、アホじゃないか、という感覚を持っていたのだけれど、マネージャーになった今となって思うのは、社内における普段の仮面を被った姿以外の部分をお互いに知り合う、という意味ではすごく効果的であったのだろうということだ。

もちろん負の側面も多分にあると思うし、それをやろうという気持ちはさらさらないけれど、では現代において、そのような関係性を部下と築くにはどうすればいいのか、という課題は残る訳だ。

そしてここからが今回の主題になる。

僕の答えは、グダグダ話す(居酒屋にいる時みたいに)というものだ。

日本的コミュニケーションをシンプル化する

以前「飲み屋のマネジメント」という記事の中でも話したことだけれど、コロナ環境が続く中で、その重要性について改めて実感している。

ここでのポイントは建前と本音をできるだけ使い分けない、ということだ。

マネージャーのキャラクターにもよるのだろうけれど、現代の部下達(特に若手)に対しては、腹芸、みたいなものは伝わりづらい。

「本音と建前」もそうだし、「微妙なニュアンス」もそうだし、「察する」もそうだし、「行間」もそうだし、とにかくそのような「日本的(複雑)コミュニケーション」が不得手である、ということを前提としたコミュニケーションを取ることが効果的なのだ。

複雑なものは排除し、できるだけシンプルであること。

そのままのマネージャーであること。

アンビバレント性をなくすこと。

最短距離は必ずしも望ましいものではない

その為には、職場内においても、あまり気取ることなく、カッコつけることなく、グダグダと話すことが有効である。

そこに意味はいらない。

ただ思いつくようなこと、どうでもいいこと、を話す。

それはマネージャーも人間であり、下らないことを考えている、ということを意識的に知らせる必要がある、という考えに繋がってくる。

僕は「そんなの当たり前だ」と思っているけれど、どうやら若手社員にはそうではないようだ、ということが最近わかってきた。

そうやって自己開示をしていく。

そして結論ありきおじさんはどうしても最短距離を教えたくなるし、その方が彼らにとっても有益だと思ってしまうけれど)ではなくて、一緒に迷子になる、迷路に迷いこみながら、答えを探していく、ということが彼らには心地良いのだろう、と感じるからだ。

兎角「上から目線」というものが毛嫌いされる世の中において、まずは彼らの地平に立って、同じ視点から物事を考えていくことが必要なのだと僕は考えている。

職場において「無駄口を叩くな!」という考えをお持ちの先輩諸氏には怒られるかもしれないけれど、一回騙されたと思ってやってみて欲しい。

若手社員との距離がぐっと縮まるはずだ。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

年長者を敬う(年長者の意見を有難く拝聴する)、というのは安定した時代においては有効な考え方であると思いますが、変化の激しい時代においては必ずしも有用ではないのではないか、ということを考えています。

僕が若手と話していて思うのは、「昔はな!」というある種の反発が彼らの根底にはあって、それが知識やスキルの伝播における一つの壁になっている、ということです。

もちろん、普遍的なスキルというものはいつの時代においてもあるので、彼らのスタンスはそれはそれで問題ではあるのですが、そこを超克するためには、まずこの壁を越えなければなりません。

僕はグダグダと話をすることで、自分のパーソナリティも理解してもらいながら、仕事を円滑に進めています。

参考になる部分があれば幸いです。