緩と急

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「急」だけではマネジメントができない時代

マネジメントには緩急が大切で、その比率は時代と共に変わっていく。

昭和時代においては、「急」が重要視されていて、緩めることなくひたすら追っていく(追い詰めていく)、というようなマネジメントスタイルが一般的であったし、社会的にもそれを容認していた。

今から考えれば「ハラスメント」と呼ばれるようなことが横行していたし、受ける側も理不尽だとは感じながらも、「まあそんなものかな」「仕方ないな」と許容していた。

そういう意味では、ある種大らかな時代であったと言えるのだろう(良いとか悪いとかではなく)。

ただ、時代は変わり、「急」ばかりではマネジメントすることができなくなった。

それは上記した「ハラスメント」というものが社会化したこともそうだし、経済的に成長していく、金銭的に豊かになっていく、ことに対するモチベーションみたいなものが減衰していることも関係しているのだと思う。

そんな時代において、マネジメントはどのようにすべきなのだろうか?

今日はそんな話をしていく。

「緩」型マネジメントは最初がキツい

結論から先に述べると、僕は「緩」のマネジメントを行っている。

はっきり言って、メンバーに任せっきりである。

それは「自主性を重んじている」と言えば聞こえはいいけれど、「放任」とも言える種類のマネジメントスタイルだ。

だから、成果が出ている時には手放しで称賛されるが、そうでない時には「怠慢である」とか「マネジメント放棄だ」とか真っ先にやり玉に上がる種類のマネジメントとも言える。

そして成果というものは、臨んだ時に出てくれるとは限らないものでもある。

もう少し詳しく言うと、僕のような「緩」のマネジメントは、最初の3か月から6か月くらいは、それ以前のマネジメント時代の成果よりも下がる傾向にあるので、その期間を我慢できるかどうかというのが非常に重要になってくる。

もちろんその期間を潜り抜けることができれば、そこからの成果というのは指数関数的に増えていくのだけれど、往々にしてここまで我慢してくれる上司というのは少ない、というのが現実である。

「緩」型マネジメントは少数派

個人的な経験になってしまって恐縮であるが、僕の世代以上のマネージャーの大半は、「急」型のマネジメントスタイルしか知らず、だからこそ僕の「緩」型のマネジメントは歯がゆく感じるのだろう。

僕は職場内で声を荒らげることはないし、部下を追い詰めることもないし、何というか淡々と仕事しているように映るのだろう。

これはある種の思想の違いというか、考え方の違いだとは思うのだけれど、僕は部下を追い詰めれば数字が上がる、という考え方に懐疑的である(これは昔からずっとだ)。

でも、多くのマネージャーは部下を追い詰めることがマネジメントであると考えている(もちろんその強弱の度合いはあるが)。

なので、僕らは分かり合えない。

いつまでも分かり合えないのだ。

批判ばかりで疲れます

もちろんこんなことを言っている僕でさえ、チームの雰囲気が弛緩しているな、と思えば、ピリッとさせるようなことは言う。

ただ、その度合いはすごく少なくて、「緩」9割:「急」1割、みたいな感じである。

そしてそのスタイルはいつも批判される(これまでもずっと批判されてきた)。

でも最後に勝つのはいつも僕なのだ。

そりゃまあ生産性も低くなりますよね

日本企業の生産性が低い、ということが言われ始めてから随分と経つ。

ただ、その間にマネジメントが変わったとは言い切れない。

僕は(何度も言っているように)日本企業の低生産性の原因はマネジメントにある、と考えている。

そして実際に日本の一企業で働いている僕から見れば、「そりゃまあ低生産性になるますわな」と思うようなことが日常的に頻発するので、より自分の考え方に固執してしまうわけである。

部下が自分の頭で考えることが大事

上司のマリオネットとして動くことが良しとされる文化において、生産性の向上が見られるはずもない。

大事なのは、自分の頭で考えること(上司が頭脳、部下が手足ではない)。

それもメンバー全員が、複数の自分の頭で考えることである。

(これは知のクラウド化、分散コンピューティングみたいな概念とも結びついてくるが、その話はまたどこかでする)

重要な概念は「待つ」「我慢する」ということである。

雌伏して時の至るのを待つ、ではないけれど、ある一定期間はメンバーが試行錯誤することを待たなければならないのだ。

遺伝子操作と突然変異

自分の頭で考えること(それも今まで考えてこなかった)はとても大変なことである。

ただそれをさせなければ、オリジナリティは出てこない。

僕はそれぞれのメンバーのそれぞれの偏愛ともいえるような思考の好みの違いにワクワクする。

そしてその異質性みたいなものが多様性を生み、その多様性が変化への強靭さを生むのだ(これは生物の進化の歴史みたいなものだ)。

上手く言えないけれど、「急」型のマネジメントは遺伝子操作みたいなもので、上司の意思に基づいてチームを変えていくような思考であるのだけれど、「緩」型のマネジメントは雑多な遺伝子交配を待つ、突然変異を展望する、みたいな考え方で、チームが予期せぬ方向に進化していくようなイメージである。

シャーレは自由な方がいいのだ。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

今回の話は、「培養」という概念を念頭に書いています。

マネージャーにできることは、突然変異が起こる環境を作る(そして待つ)、ということだと僕は考えています。

もちろん意図的にそちらの方向に動かすよう仕向けますが、実際にそこで行われるか(起きるか)どうかは、僕の範疇を超えたことです。

「急」型マネジメントは、未来が決まっている時には有効ですが、現代のような不確実性が高い時代には不向きです。

突然変異を楽しんでいきましょう。