部下は上司の動きをよく見ている

火のない所に煙は立たぬ? いや…

今日の話はタイトルの通りだ。

部下は上司の動きを本当によく見ている。

というか、気にしている。

気にしていないような部下であっても、実際はとても気にしている。

これを頭に置いておくことが大事である。

そしてできるだけどの部下とも「等距離で接する」ということも併せて意識しておきたい。

火のない所に煙は立たぬ、というのは僕からしたら甘すぎで、火のない所だって煙は立つし、立てられもする、からである。

では話を始めよう。

冗談みたいだけれど、本当の話

職場における何気ない会話、電話での相手との会話、部下との打ち合わせ、などなど、マネージャーにとっては仕事の一環であるものに対しても、部下は物凄く意識を向けて仕事をしている。

たぶん部下に聞いても否定するとは思うが、これは事実である。

一挙手一投足というと大袈裟かもしれないけれど、本当にそのくらいまで意識を向けている。

そういう意味では、マネージャーの振る舞いというものは「見られている」ことが前提となるわけだ。

ある種全ての行動・言動が「オフィシャル」でなければならない。

舞台上の俳優として振舞わなければならない。

この意識がとても大事である。

フラットな関係性なんて幻想だ

マネージャー自身は意識していないことが多いと思うけれど(実際に僕も駆け出しの頃には意識していなかった)、マネージャーとメンバーには間違いなく「一線」があって、それは結構大きな隔たりであるのだ。

もう少し嫌らしい言い方をすると、評価者と被評価者という意識が必ずある、と言える。

どんなに下らない話をしていたとしても(下らない話をしているとマネージャー側は思っていたとしても)、そこには配慮忖度が働いている。

フラットな関係性など存在しない。

それを肝に銘じて置くべきである。

オフレコなんてないのだ。

とても窮屈で堅苦しいとは思うけれど、マネージャーになったからにはそのくらいの意識が必要なのである。

壁に耳あり障子にメアリー

そして、これと関連するが、マネージャーはどのメンバーとも「等距離」で接しなければならない。

例えばあるメンバーと話をしていたとする。

1on1ならいざ知らず、職場内の誰からも見えるし聞こえる場所で話をしていたとしても、他のメンバーは「何を話していたのか?」ということを気にするものである。

冗談のように聞こえるだろう?

実際僕も「マジで?」と何回も思ったものだ。

そこで行われている会話が実に他愛のないものであったとしても、他のメンバーから当のメンバーに対して、「マネージャーは何を話していたの?」という聴取が入るらしいのである。

これを聞いた時に僕は本当にびっくりした。

そして、同時にとても恐ろしくなった。

世の中の多くの人は他人の動向をとても気にする、ということが僕には感覚的にまだよくわかっていなかったし、それは対マネージャーであっても僕は大して変わらないのに、多くの人はそうではない、ということに気付いたからである。

迂闊なことは言えない。

壁に耳あり障子に目あり。

冗談みたいな話だけれど、これは本当にそうである。

邪推の森

上司は孤独だという話がある。

マネージャーになってそれを本当に実感する。

こちらは純粋な相談だと思っていても、そこには自然と上下関係が生じてしまって、それを他のメンバーが見ていたりする、となると、なかなか気軽に相談できなくなってしまう。

みんな他人に興味があるのだ。

そして簡単なことで嫉妬したり、事実誤認であっても勝手に妬んだりするのだ。

これは相手の属性に関係がない。

同性であっても、異性であっても、年上であっても、年下であっても、そうである。

異性の部下なら「まあ確かにそう勘ぐるのもわかるよね」と何となく理解はできるのだけれど、年上のおじさん部下と話をしている時にこの話を漏れ聞いた時には、本当にびっくりした。

「いや、そこに、何がある?」

でも、それは、通用しないのだ。

褒めるの裏側には妬むがある

マネジメントにおいて難しいのは、マネージャーも人間なので、部下それぞれに対して好き・嫌いが必ずあるけれど、それをできるだけ見せないようにする、ということであると思う。

公平、という概念は本当にチームマネジメントにおいて重要である。

特に褒めるという行為の裏側には妬むという他者の視線があり、そのバランスを意識しながら行うことが重要なのである。

そういう意味においても、部下との距離は「普通」でいいのだ。

サイコパス・マネージャー

誰かを寵愛したり、毛嫌いしたりすることなく、どの部下とも等距離で接する。

冷たいマネージャーだと言われることもあるだろう。

でも僕はそれでいいのだと思っている。

そして、本当に向き合ってくれる部下とは、上司と部下という関係性を離れてからきちんとつき合えばいいのである。

僕には(ありがたいことに)職場を離れても、定期的に会う部下がいる。

そこで交わされる会話は他愛のないものではある。

ただ、戦友というか、共に戦った者同士の繋がりがあって、その時にもう少し距離を詰めた関係性を築いていけばいいのだと思っている。

それまでは氷の心で。

仮面を被って。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

今回の話は敢えて書く必要があるのかな、という種類の話ではありますが、テクニカルに利用すればチームマネジメントが格段に楽になる、という功利的な側面もあります。

「職務(仕事)としてマネジメントを行っている(に過ぎない)」と公言することは、寂しい側面があることは事実ですが、余計なことに関わらなくて済みますし、マネジメントというのがとてもシンプルになります。

僕は感情が理解できないサイコパスなマネージャーである。

そう自己定義することは、多くの面倒くさい人間関係を打開する一つの方法であると僕は思っています。

ドライに行きましょう。