年上部下とどう付き合うか
僕は好かれたくて無理をしていた
年上の部下について悩んでいるマネージャーは相当数いると思う。
かつての僕もそうだったし、今でも(以前ほどではないが)迷うことはある。
僕が最初に課長になった時、課のメンバーの半分は年上だった。
想像していたことではあったものの、これはなかなか厳しかった。
「お手並み拝見」という態度がありありと現れていたし、それに応えられるほどの力量もなかったし、そもそもどのように接するのが正しいのか、全然わからなかった。
僕自身が年下の上司に仕えた経験がなかったことも関係しているのだろうと思う。
自分自身に置き換えてみると、「年下の上司がいる状況」は明らかに面白くない。
何とか足を引っ張ってやろう、落ち度がないか探してやろう、と僕なら思うはずだ。
そして相手もそう思っているに違いないと自分自身も考えているから、余計にうまくいかない。
表面上は上手くやっているように見えても、「裏があるんじゃないか」とこちらも勘ぐってしまうという悪循環だ。
一緒に飲みに行っても、酔っ払っているように見せているんじゃないか、と疑ってしまうし、本心なんて言うわけないよなと、と思ってしまう。
今振り返ってみると、考えすぎだったと思う。
というか、そこを考えても仕方ないことなので、もっと割り切って付き合うべきだったと思う。
僕は良い課長になりたかったのだ。
好かれる課長になりたかったのだ。
自分自身にそんな素晴らしい人間性がないにも関わらず、そうなろうと無理をしていた。
マネージャーというのは「立場」に過ぎない
そこから5年を経て、僕も歳を重ねた。
違う部署のマネージャーとなった今でも部下の半分は年上だ。
でも今の方が関係性は良好だと思う(僕が一方的にそう思っているに過ぎないかもしれないけれど…)。
では何が違うのか?
当たり前のことかもしれないけれど、マネージャーというのは「立場」であって、別に年上だろうが、年下だろうが関係ない、ということにようやく僕は気づいた。
別にマネージャーだから偉い訳じゃないし、人間的に素晴らしくなければいけない訳ではないし(素晴らしいに越したことはないけれど)、ただ役割を全うすればいいのだ、ということがだんだんとわかってきた。
年上の部下には敬語を使うべきか?
敬語についても意見が分かれるように思う。
というか、部下であっても年上なのだから、敬語を使うべきだというのが一般的な回答だと思う。
これは僕も賛同する。
でも一方で、敬語というのは一線を引く行為でもある。
距離感が生まれる。
微妙なニュアンスであることは重々承知しながらも、僕は最近こう思っている。
適度にタメ口も混ぜるべきだ、と。
もちろんキャラクターもあると思う。
僕は自分でも生意気な感じだと思うし、それを曲げられる程人間ができていないので、そのような人間だと思われることが多い。
それは大きな欠点であるのだけれど、敢えてそれに乗っかってみようと思ったのが最近の僕の気づきだ。
以前はこれを隠そうとしていた。
寛大で大人びたマネージャーを演じていた。
それが良いと思っていた。
もちろん中身が伴っているのならそれはとても素晴らしい。
でも、どうやら僕には難しいようだということに途中で気づいた。
そこからはあまり隠さないようにした。
もちろん社会性は大事だし、敬意も必要だし、節度も大事だ。
ただ残念ながら素の部分はあまり変わらない。
そこで(元々の人間性はすぐに変わらないので)、時間も味方につけることにしてみた。
するとありがたいことに、だんだんと僕と付き合う時間が長くなってくると、そんなに失礼な奴ではないということに周りも気づいてくれるようになった。
こいつは思ったよりもまともな奴だと。
この辺のバランスが難しいのだけれど、現在の僕はこういう自分のキャラクターを利用している。
ただ年齢が上がったおかげなのかもしれないし、もう少し歳を重ねたら違うアプローチを取ることになるかもしれない。
でも今現在は自分の身の丈と合っていて、無理がないので、気持ちがとても楽だ。
「オープン」な関係性を構築する
前にも書いたかもしれないけれど、僕はマネージャーと部下の関係性は「普通」でよいと考えている。
というか、諦めた、という方が適切な言い方かもしれない。
好かれることは無理なので、せめて「普通」でいたい、というのが本当のところだ。
「オープン」というと綺麗な言葉になってしまうけれど、僕は以前よりもオープンに自分の考えや感情を話すようになった。
もちろん、そこにはある種の演技が含まれているし、敢えてそうやっている側面があることも確かだ。
でも、それをうまく活用することで、年上の部下であっても関係性を築くことはできると思う。
年上の部下がミスをしたり、課の運営に不満を言ったり、他の人に悪影響を与えている時に、それを注意するのはなかなかハードルが高い。
嫌われたくなくて、そういう勇気がなくて、指摘できないマネージャーはごまんといる。
僕もそうだった。
なんというか、誤魔化して、なあなあの状態にしていた方が、表面的には上手くいっているように見せられるからだ。
でもそれでは数字は上がらない。
オープンに話をすることで誤解を解く
5年かけてようやく僕はこのことに気付いた。気づき始めた。
現在の僕はそういう状況が続いた場合には1対1で面談することにしている。
正直な話、こちらも感情的になってしまう場合もあって、その面談時に解決できることはあまり多くないと思う。
でも、そこで良いとか悪いではなくて、「オレはこう思っている」ということを伝えるのは非常に大切なことだと考えている。
大抵の人間関係の原因は、誤解、先回りし過ぎの誤解、であるからだ。
本当は上司なのだからきちんと指導したり、命令した方が良いのかもしれない。
でも、僕は自分がろくでもない人間だという負い目があるので、そういう風に話すことができない。
なので、こういう形になってしまう。
マネージャーに向いていない、と自分でも思う。
でも、僕なりに何とか課を良くしたいと考えたり、マネージャーとしてしっかりしなくちゃいけないと思い悩んだ結果が、この形だ。
100点満点には程遠い。
でも僕なりには合格点は付けられる形にはなったと思う。
マネージャーというのはただの役割に過ぎない
何度かの気まずい面談(でも腹を割った面談)を経ると、だんだんと関係性は良化してくる。
自分で言うのもなんだけれど、僕は口だけではないということが伝わっていくからだと思う。
僕は他人にも厳しいけれど、自分にも厳しいと思う。
そして少なくとも仕事の面では頼りになる(使える)奴だと思っている。
だから、そういう日々の振舞いのようなものが、言動と一致することがここでは非常に大事だ。
別に仲良くなる必要はなくて、仕事上のパートナーとして信頼してもらえれば十分なのだ。
換言すると、僕はただの「課長」という役割を演じる役者で、彼らは「部下」という役割を演じる役者であるだけだ。
そこに貴賤とか上下とかそんなものはない。
ただの役割。持ち場みたいなものだ。
与えられたポジションで良いプレーをする
本当は人間性にも優れていれば、もっと良好な関係性を築くこともできるのだろう。
でも、現在の僕にはそれはちょっと難しそうだ。
だから、その役割を全うすることに全力を注ぐ。
マネージャーらしい仕事をしようと思う。
時に偉そうなことも言わなければいけない。
じゃあ自分でできているのかよ、と自分に突っ込むことだってたくさんある。
でもそれは立場上必要なことだ。
僕はマネージャーとして言わなければならないことがあるから、それを言う。
ちょっとずるい気もするけれど。
例えは悪いかもしれないけれど、野球部の上下関係ではなくて、サッカー部の上下関係と言ったら何となく伝わるだろうか。
昭和の体育会系と、令和の体育会系と言った方が適切だろうか。
試合で使えれば、年下だろうが年上だろうが関係ないのだ。
もちろん敬意を前提としてだけれど、ただ与えられたポジションで良いプレーをすればいいのだ、と最近の僕は考えている。
そこでの上だとか下だとかというよりも大切なのは、試合に勝つことだからだ。
結果を出すことだからだ。
だからそんなことにかかずらっている場合ではないのだ。
良いプレーをしよう。
僕が今わかっているのはこれだけです。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
編集後記
年上の部下に限らず、マネージャーは人間関係に悩まされることが多いです。
当たり前の話なのかもしれませんが、組織には複数の人間がいて、複数の人間がいると必ず不満が生じ、対立が起こります。
その絡まった糸をほぐすためには、結局のところ、ありのままの人間性と、日ごろの行いによって勝負するしかありません。
人間的に優れていない自分は、どうしてもそこを取り繕いがちになるのですが、それは不要であるということにようやく気付きました。
それよりも与えられた役割をきちんと遂行する、できれば良いプレーでチームの役に立つ、そんなことを考えて仕事をしています。
仲良くならなければダメだ、という呪縛から逃れると、マネージャーの仕事はだいぶ楽になります。
もちろんベストではないと思いますが、何らかの打開策にはなれば幸いです。