ノーペイン・ノーゲイン
TANSTAAFL
僕はフリーライダーが嫌いだ。
でも世の中にはこの手の人はとても多い。
真面目に働いているのが馬鹿らしく思うことだってある。
ただ時代は変わりつつある。
まやかしのもの、嘘くさいもの、そういうものが排除されて、正体が暴かれてきている。
本音ベースで話をすることが求められている時代。
欺瞞への嗅覚が物凄く発達している時代。
そのような時代において、無傷でいられることはない。
手を伸ばさなければ、返り血を浴びなければ、得られるものはない。
There ain’t no such things as a free lunch.(TANSTAAFL)
今日はそういう話をしていく。
部下を売る上司と部下を売らない上司
マネージャーには2種類いる。
部下を売る上司と部下を売らない上司だ。
あなたはどちらだろうか?
部下から信頼を得たいのであれば、後者であることを徹底しなければならない。
どんな状況にあっても、例え全責任をマネージャーが被ったとしても、部下を売らないと心に決めること。
それによって、罵倒されようとも、非難されようとも、その一線だけは絶対に超えないという覚悟を決めること。
そのくらいの痛みがなければ、部下からの信頼は得られない。
これは(マジで)肝に銘じておいた方がいい。
それができないのに、「部下から信頼されてないんですよー」なんて言うのは、僕からしたら笑えない冗談である。
危機ほど本当の人間性が出る。
追い込まれた状況で出る行動がその人の本質である。
口だけなら誰でもできる。
いや、本当に。
好かれるためには嫌われなければならない
僕には嫌われる勇気がある。
いや、もちろん僕だって嫌われたくはない。
でも、好かれる為には嫌われなければならないのだ。
ポジションを取らなければ、体重を乗せなければ、事態は進展していかない。
永世中立国ではいられないのである。
ようやく自分のことを信頼できるようになってきた
マネージャーをやっていて、最近になってようやく僕は僕自身を信頼できるようになってきた。
僕がそうなりたいと思っていたマネージャーに近づきつつある、と自分では思っている。
というか、なりたくないと思っていたマネージャーにはならないで済みそうであるということが、自分を信頼できるようになってきた理由である。
僕はどんなに非難されても、それを受け入れることができる。
生贄を差し出すことなく、シニカルに笑って、それを享受できる人間である。
そう思えるようになったことが僕の2021年の一番の成長である。
部下を売らないこと、ポジションを取ること
僕にはお世話になった人がいる。
その人は僕が仕事に行き詰っていた時に救ってくれた、いわば恩人である。
もう会社にはいなくなってしまったけれど、今でも親交は会って、僕はその人と会うことで、自分の基本位置に戻ることができる。
初心に還る、というか。
僕はその恩返しの為だけに今の会社でマネージャーを続けている。
そしてその誓いというのが、部下を売らない、ということと、ポジションを取る、ということである。
倒立の練習
僕は僕が思う「いい仕事」をしたいとずっと思っている。
というか、いい仕事をせずに、仕事をする意味なんてないとすら思っている。
フィリップ・マーロウの名言を借りれば、「優しくなければ生きている資格がない」し、「撃っていいのは撃たれる覚悟がある奴だけ」である。
でもそれを貫くのはなかなか難しいことである。
人間というのは弱い生き物であるからだ。
ただ、それができた時、ほんの少しでもできた時には、必ず味方になってくれる人がいる。
僕はそれがずっと信じられなかった。
というか、半信半疑だった。
でも、ポジションを取った時、勇気を持って一歩踏み込んだ時、「ああ、そうなんだ。確かに味方になってくれる人がいるのだな」ということが、体感として実感できるようになった。
倒立の練習で相手に足を預ける時みたいに、やってみればなんてことはないのだけれど、やってみるまでは怖くて仕方がない、そんな感じである。
通過儀礼
自分の体重を預けることができれば、マネージャー業というのはとても楽になる。
外部の雑音など封殺できるようになる。
もちろんそこには痛みが生じる。
失うものがある。
でもその通過儀礼みたいなものを潜らなければ、次のステップには行けない。
他人には興味がないけれど、歓待はされたい
6年もかかってしまったけれど、僕はそれを実感することができた。
今の僕には何も怖いものがない。
いや、怖いことは怖いのだけれど、「別にいいや」というように開き直れるようになった。
僕は自分を信じられなくなる方が怖い。
そつなくこなすことで、上昇していくことは僕のスキルならそんなに難しいことではないだろう。
でも、その時に、自分の足跡を振り返った時に、自分を信じられなくなることのほうが僕には怖いのだ。
他人には興味がない。
でもだからこそ他人から歓待されたい。
そんなアンビバレントな感情を持ちながら、僕は仕事をしている。
何かを得る為には失うものがある
誰にも理解されないだろうと思っている一方で、誰かに理解されたいと思っている。
ヤマアラシのジレンマ。
ハリセンボンの孤独。
言葉は何でもいい。
でも何かを得るためには失うことがある、ということをきちんと理解している人とこれからも僕は付き合っていきたいと思っている。
それは簡単なことではない。
でもだからこそ、僕たちは分かり合えるのだ、きっと。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
信頼、というのは、体を預けることである。
それもある種無防備な状態で。
そんなことわかっているつもりではいたのですが、実際にできるようになってきたのはここ最近のことです。
バンジージャンプみたいに、僕は剥き出しの自己を晒すことで、マネージャーとしての次のステップに行けたのではないか、と自分では思っています。
まだ上手く表現できないのですが、自分の中ではサイヤ人がスーパーサイヤ人になったくらいとても大きな変化で、そこからマネジメント業務が各段に楽になりました。
どんどん自分を晒していきましょう。