我と和

和を以て貴しとなす?

マネジメントで重要なのは、「我」と「和」のバランスである。

そして、そのバランスは「我」が1、「和」が9くらいが丁度いい。

「我」が多すぎても、少なすぎてもいけない。

そんなことを最近は考えている。

というのも、ここ最近の僕は「和」の部分を大事にし過ぎていたのではないか、というある種反省があったからである。

なんのこっちゃ、と思う方も多いかもしれないけれど、今日はそんな話をしていこうと思う。

プレイングマネージャー(笑)?

チームマネジメントにおいて、マネージャーが出しゃばるとロクなことがない、というのが僕の基本スタンスである。

それは今も変わらない。

多くのマネージャーは「プレイングマネージャー的」であって、社会的にも「その方が望ましい」と思われているようだけれど、僕はその風潮に反対である。

プレイングマネージャーなんてロクなものではない。

そんなものはマネジメントができない人の言い訳に過ぎない。

そういう考え方は変わらない。

マネージャーの「我」の割合

でも、だからと言って、全くマネージャーが我を出さない、というのもそれはそれでどうなのかな、と最近は思っている。

もちろんここには反省も含まれている。

チームの構成にもよると思うけれど、僕は基本的には営業のチームというのは個性の塊であって、それぞれがぶつかり合う傾向が強いと思っているので、そこにマネージャーの「我」が加わると、しっちゃかめっちゃかになってしまう、というように思っている。

でも、現在僕が運営しているチームはどちらというと大人しい人達が多くて、そこにはもう少しマネージャーの「我」がないといけないのだな、ということが何となくわかってきたのである。

我が儘も時には必要

ここで言う「我」というのは、リーダーシップというのとはニュアンスが違うものである。

どちらかというと、「我が儘」「我の強さ」みたいな感じである。

「気に食わなさ」というか「嫌らしさ」というか「反感を買う」というか、とにかくメンバーからちょっと嫌われる類の個性みたいなものをイメージしている。

それがチームマネジメントにおいても必要なのではないか?

そんなことを考えているのである。

正直性を優先させる

僕は過去の反省も含めて、あまり自分の我を出さない方がチームマネジメントにおいては効果的である、という考えを持っている。

それは僕自身がプレイヤーとしてのプライドがあり、放っておくとかなり高いものをメンバーにも要求してしまう(そしてそれを自分では高い球であると思っていない)、という自身のキャラクターに合わせたマネジメント手法だと自分では思っている。

その方がチームは円滑に回る。

それは事実である。

ただそれはそれでフラストレーションが溜まる

自分ではそれを外に出さないことを「良かれ」としていたのだけれど、時折出した方が「正直性」が増すのだな、というのがここ最近の気づきである。

自己抑制というのは、行き過ぎるとチームに悪影響を及ぼすことにもなる。

それは自分では抑制できていると思っているけれど、本当は抑制できていないからである。

気付かないうちに、自分の嫌な部分が漏れてしまっているのだ。

それならそれを隠さずに、オープンに出してしまったほうが健全なのではないか?

その方がマネージャーに対する信頼性というのは増すのではないか?

というのが、今回の話の趣旨である。

マネージャーには演技が必要だが、それは言行不一致にも繋がりかねない

言動と行動が伴っていないこと(言行不一致)が、信頼性を失わせる要因としてはとても大きい。

これは再三このブログ内で言っていることである。

ただ現実的には、そうは言ってもマネージャーとしての振る舞いが求められる訳で、何から何まで自分に正直に仕事をするというのは不可能でもある。

そこにはある種の「演技」みたいなものも必要になるのは事実であるのだ。

和と持って貴しとなす、ではないけれど、マネージャーが個を消すことでチームというのは円滑に回るものなのである。

これがベースである。

鬼の部分も役に立つ

ただ、時折、それを搔き乱す必要がある。

チームに規律をもたらしたり、緊張感を生むためには、マネージャーの「鬼」の部分を出す必要がある、そんなことを思うのだ。

経験を重ねたせいか、歳を取ったせいか、僕は自分のプレイヤーとしての我の強さを上手に隠すことができるようになってきた。

結果として、メンバーも僕は「温厚で物分かりの良い上司である」というような勘違いをすることが増えてきた(ように感じている)。

でも、それは間違いである。

そして、それが間違いであるということを伝えることも時には必要なのではないか、というように思うようになってきたのだ。

ドラゴンボールにおける、気を開放するみたいな、隠していた戦闘力を露わにするみたいな、そういうことをやらなければならない局面があるのだな、ということが最近わかってきた。

というか、そこまでやらなければいけないほど僕のマネージャーとしての振る舞いは板についてきた、ということの証左なのかもしれないけれど、それはそれでマイナス面もあるよね、ということがわかってきたのだ。

僕自身は何も変わっていない。

僕の本性はクソみたいなままである。

それが時には役に立つこともあるのだ。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

自分の我の強さに困惑していた僕は、それを上手に隠せるようになったことで、また困ることになってしまった。

それが今回の話です。

マネジメントとはバランスの問題である、というのは日々思うことではありますが、あまりにも聞き分けが良すぎるのもチームにとっては弊害になりうる、というのは僕には新鮮な気付きでした。

マネジメントは実に奥が深い。

日々精進していきましょう。