話が通じない人への対処法

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半分無視しよう

ミドルマネージャーは(その名前からしてそうなのだけれど)、上司・部下との関わり合いの中で仕事をする(というか、せざるを得ない)ので、その人達と「話が通じるかどうか」というのはとても重要なファクターである。

そして残念ながら、中には話が通じない人がいる。

それもまるで通じない人(上司の場合が多い)もいる。

そんな時にどのようにすべきか、対処していけばいいのか、というのを僕なりに書いていく。

結論から言うと、「半分無視する」ということになる。

それでは始めていこう。

合う人合わない人

僕は営業経験が長いからか、相手と話を始めた数秒で「こやつできるな」と忍者のように相手の力量がわかる。

それは何も「オレすげええええ!」ということではなくて、「波長が合う」というか、「話していて心地良い」というか、「脳がドライブしていく」というか、そんな感覚である。

そういう人と話すのは、社内・社外問わずとても楽しい経験である。

でも、一方で「そうではない人」もいる。

トピックスは同じであっても、「何となく話が盛り上がらない」とか、「リズムが合わない」とか、「言葉を選ばなければならない」とか、そのように感じることがある。

以前であれば、それは「自分が悪いのだ」と思っていたのだけれど(特に相手が上司の場合)、最近は「そうでもないのでは?」と思うようになってきている。

もちろん相性という問題はあると思うのだけれど、それを差し引いても相手側に明らかに問題があるケースもある。

そしてその相手が継続的に関わらなければならないタイプである場合もある。

そんな時にどのようにすべきなのか?

相手に合わせてみる。が…

努力して合わせようとする、というのが1つの対処法である。

実際に僕もこの試みを取ることが多い。

相手の語彙レベルに合わせて言葉を選び、リズムを調整する。

言い方は悪いけれど、「手加減をする」訳だ(偉そうになってしまうけれど、相手のレベルが高すぎて話が通じない、という事象は、僕が社会人になってから生じたことがない。…いや、たぶん僕がそれに気づいていないだけだろう)。

大抵の場合はこれで上手くいく。

ダテに長く営業をやっている訳ではない。

ある程度のレンジの相手であれば、(自分は心地良くなくとも)相手には心地良く思わせることはできる、そう自負している。

しかし、だ。

どうしても無理な人もいる。

白旗を上げて、降参したくなるような相手である。

そのような相手にはどのように対処すべきであるのか?

それが「半分無視する」ということである。

どういうことか?

もう少し詳しく書いていく。

調整しすぎず、言葉を乱暴に投げてしまう

やや感覚的な話になってしまうけれど、これは「調整しすぎない」ということである。

僕は相手の好むコミュニケーションスタイルに合わせて自分側の目盛りを調整することで、その場を円滑にしようとすることが多いのだけれど、それを半分諦める

程々の調整はするけれど、それ以上はしない。

ある程度乱暴に言葉を投げてしまう。

「たぶんわかんねーだろうな」と思いながら、それでも言葉の強度を落とさずに話してしまう。

当然ながら、場に言葉が浮かんだままになる。

そして、「あとは受託者責任ですよー」と思うようにしている。

日本的な要素を極力排除する

これは「契約ベース」みたいな感覚に近い。

日本的コミュニケーションにおいては、文脈というものが非常に重要視されて、そこでの語感や温度感、空気感みたいなものが話の展開を左右していく。

もちろん僕もそうなるように努力はする。

でもそれが不可能だと分かった時、それを欧米風に切り替える。

ここで言う欧米風というのは、あくまで僕の感覚であって、ファクトベースでのやり取りその言葉通りの意味、みたいなものを重要視する概念である(と僕が勝手に定義している)。

他意も忖度も慮りもなし。

エモーショナルなものもなし。

あるのは文字通りの意味のみ。

そういうやり取りをするようにする。

機械的コミュニケーションというか(これは欧米風のコミュニケーションをディスっている訳ではない。むしろ、余計なものがなくて良いものだと僕は思っている)。

言葉の体温を下げてしまう

曖昧なものを排除し、「淡い」の部分をなくし、できるだけ硬質な言葉を使うようにする。

自分がAIになったかのように、言葉の体温をぐっと下げる。

そして事実のみ、必要なことのみを伝えていく。

これが僕の対処法である。

双方の持ち出しがある状態でないとコミュニケーションは成立しない

これはコミュニケーションとは呼ばない、と僕は思っている。

「示達」に近いニュアンスである。

もちろん僕は営業マンなので、あからさまにはやらないし、たぶん傍目から見ても気づかれないと思うのだけれど、僕からしたら扉を閉ざしている訳で、だから「半分」無視する、ということになるのである。

いつも書いていることであるけれど、他者と話す意味は自分の概念を壊すこと、そしてそこから何か新しいものを協働して立ち上げること、にある。

双方の持ち出しがあって、コミュニケーションというものは成立する。

でも話が通じない人というのはこの感覚がないのである。

それなら僕も持ち出しはしない。

あくまでそこにあるものだけで話をするのだ。

気にせずにいきましょう

何も生まない。

何も起こらない。

でもそれでいいのだと思う。

というか、それしか方法がないのだと思う。

悲しい事実ではあるけれど、その時間をもっと別の人と話すことに使った方が建設的である。

他者は変えられない。

その厳然たる事実に思い悩む必要はないのだ。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

今回の話は割と高度な話だと自分自身は思っています。

というのは、ある程度のコミュニケーション・スキルがないとこの感覚は分かり得ないだろうと思うからです。

想いを伝えるというのは、言語という(やや不自由な)手段を通じて、何とかして相手にそのままの状態を届けたい、というある種アクロバティックな技法が必要になるのですが、そもそもどう頑張っても伝わらない種類の人というのは存在していて、そういう人に対してはそこまで頑張らなくてもいいのではないか、というのが今回の話です。

そういう人に対しては、事実ベースのみを伝えれば十分です(というか、そういう人にはたぶん僕が言っている話の違いがわからないでしょう)。

ニコニコしながら、テキトーにあしらってしまいましょう。