マネジメントとは全力を出せないこととの戦いである
全力を出しても部下が付いて来ない
今日の話はタイトルの通りである。
マネージャーとして辛いのは、常に手加減して仕事をしなければならない、ということである。
こんなことを書くと反感を買いそうであるけれど、実際そうなのだから仕方がない。
「そんなこと言ってないで全力でやれよ!」
そう青筋を立てる方の言い分もわからなくはない。
ただ、ある程度の期間マネジメント業をやってきた人間からすると、もしあなたが全力を出せば成果が出ると思っているのであれば、まだまだマネジメント初級者である。
それはなぜなのか?
それは「全力を出しても部下が付いて来ないから」である。
よくわからない?
では話を始めていこう。
本気を出すのはやめよう
このブログの初期の方の記事に「本気を出すのはやめよう(6割で十分)」というものがある。
この記事もまだまだリーダブルであると自分では思っているし、実際に書かれている内容についても(手前味噌だが)まあまあ良いことを言っている。
今回はそれとはまた別の観点(もしかしたら焼き直し?)からの話をしてみる。
全力を出すとは、言葉を感覚的に使うこと
僕が考える「全力」というのは、言葉を感覚的なものにする、ということに近い。
生の状態を維持し、ある種ぞんざいに、乱暴に投げることで、鮮度を維持する、そんな感覚である。
当然ながら、生の状態なので、臭みもあるし、味も整っていないので、食べにくい人も多い。
だから、大抵の場合は、調理をする。
でも、調理をする(言葉を加えたり、論理を加えたり、数字を加えていく)と、どんどん鮮度は落ちていく。
でも一方で、万人には食べ易くなる。
わかりにくい例えかもしれないけれど、僕は「全力」をそんな感じで捉えている。
プレイヤーは自分の感覚を言語化できればいい
マネジメント業務がプレイヤー業務と違うのは、プレイヤーというのは自分で自分の状態が分かっていればよくて、それを誰かに伝える必要がない(マネージャーはその逆)、ということである。
だから、プレイヤーは自分の感覚を自分でわかる言葉に置き換えておけばことが足りる。
そして、自分の感覚を自分で言語化するのはそんなに難しいことではない(というか、これができるかどうかでその人のプレイヤーとしての実力がわかるとも思う)。
ただ、これを誰かに伝えるとなると話は別だ。
それも複数人となると途端に難しくなる。
同じ言葉であっても、他者がイメージするものは異なるからである。
マイルドな言葉は味気ない
例えば、部下と一緒に相手先に訪問し、営業のオープニングトークが上手くいかなかったとする。
これは自分では「あの場面」がターニングポイントであったということは分かるし、それを次回には修正できるのだけれど、その感覚を部下に伝えることはとても難しい。
「あの場面」というのは、その時の空気感、場の温度、話の流れ、相手の表情、こちらの使った言葉、タイミング、間、その他諸々を複合したものであるからだ。
それを「いや、タイミングが良くなかったよね」であるとか、「相手がちょっと嫌な顔をしたでしょ?」と言ったとしても、その「タイミング」の意味するものがどのくらいの質感であるのか、「ちょっと嫌な顔」がどのくらいの程度感なのかは、相手の部下それぞれによって異なるのである。
なので、全般的に当たり障りのない言葉を使わざるを得なくなる。
ある程度汎用的に理解してもらえるような言葉を選択せざるを得なくなる。
すると、確かに部下への浸透度合い(広さ)というのは高まるのだけれど、「深さ」がなくなってしまうので、自分としては何となく物足りない気持ちになってしまう。
本来的にはもっと強い言葉や感覚的な言葉を使いたいのだけれど、それでは相手が理解できないと思うから(そして実際に理解できないから)、マイルドな言葉を使う、それによって全力を出せなくてモヤモヤした気持ちになる、というのがマネジメントなのだろうと思う。
何度言っても…
でも一方で、時間を味方につければ、この辺のモヤモヤについては多少は改善できる、ということを書いて今回の話を終わろうと思う。
自分もそうであったけれど、1回言えば大体わかる、というのがプレイヤーとしての感覚であると思う。
何度も言わせるな、と。
でも、多くの人にとっては1回で理解するのは不可能である。
それは能力の問題もあるし、こちら側の伝え方の悪さもある。
先程から書いているように言葉の強度を落としているということもある。
とにかく、複合的な要因で、大抵の場合は1回では伝わらないし、5回言っても10回言っても伝わらないことだってあるのだ。
繰り返すことは無駄なことではない
ただ、だからと言って全くの無意味であるか、と言われるとそんなこともない。
日々の業務を通じて、また1on1を通じて、手加減した言葉を伝え続けること。
自分のモヤモヤした気持ちは取り敢えず脇に置いておいて、相手が理解できるように繰り返し説いていくこと。
それは決して無駄なことではない。
祈りや願いの類ではあるけれど
それはある種の「願い」みたいな類のものであるのかもしれない。
実際に任期の間に部下が開眼するみたいなことは滅多なことでは起こらない。
ただ、起こらなくもないのだ。
自身のフラストレーションを抱えながら悪戦苦闘している日々は必ずしも無駄にはならない。
そう信じて。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
マネージャー初任者は、なぜ自分の言葉がこうも伝わらないのか、ということに悩むことが多いような気がします(自分もそうでした)。
そして、なぜこうも部下というのは仕事ができないのか、ということも同時に思うものだと思います。
思いの丈を話しても、情熱をぶつけても、部下というのは応えてくれるものではありません。
結果的に、ただのスタンドプレーになってしまい、自分の熱量と部下が体感する温度感はどんどん乖離していってしまいます。
そういう方にできるアドバイスは、マネジメントというのは「そういうもの」であるし、あんまり完璧にやろうとすると部下も苦しくなるのでやめたほうがいい、ということです。
全力を出せないのは確かにつまらないですが、それは諦めるしかありません。
違うことを始めて、そちらに全力をぶつけていきましょう。