元気を出させる
僕たちは何のために働いているのだろうか?
仕事がつまらない、会社を辞めたい、どうにもやる気が出ない。
そう感じるのは別に珍しいことではない。
そんなことを通勤電車に揺られていると思う時がある。
乗車している人達が皆心なしか疲れているように見えるのは、個別の会社の問題だけでなく、仕事自体の無意味性を感じているからなのではないか。
僕たちは何のために働いているのだろうか?
そしてそのような人が多数派を占める時代に、マネージャーができることとは何なのだろうか?
今日はそんなことを書いていく。
斜陽する国におけるカウンセリングの必要性
マネージャーとしての経験がある程度蓄積されてきてから、僕は自分の仕事がカウンセリングに近いものになっていると感じるようになっている。
多くのマネジメント本やマネジメント記事には、「部下育成」とか「チームビルディング」とか「コーチング」というようなワードが並んでいるのだけれど、僕は自分の仕事の大半はカウンセリングだと思っているし、そちらの方が現代には必要なスキルであるように感じている。
それは何というか、「斜陽」している日本という国の中で、前向きに働くことが困難になっている、それは個別的な要因だけによるものではない、そんな「大きな流れ」みたいなことが関係しているからなのではないか、そんなことを思うのである。
皆一様に疲れている。それは僕も一緒だ。
皆一様に疲れている。
それは僕自身も例外ではない。
でも、仕事だし、稼がなければ生きていけないし、だから仕事に行く。
そこにやりがいも、メリハリも、向上心もない。
停滞。
僕はそんな環境で仕事をしている。
鬱になりそうな現実の中で
前時代には通用したであろうあらゆる言葉が形骸化して、自分のやっている仕事に無力感を感じて、それでも何とか自分を騙しながら仕事を続けている。
それは別に珍しいことではない。
一歩間違えれば鬱になってしまいそうな現実の中で、僕は「部下育成」に励み、「チームビルディング」を行い、「コーチング」をしている。
でも、そこに虚しさはいつも付きまとっている。
それは部下も同様である。
組織の言う空疎な言葉。
それに抗うこともできず、唯々諾々と従う無力な自分。
我に返ったら、負け
皆悶々と仕事をしている。
もちろん、それは表面には出てこない。
職場は職場なので、それ相応の振る舞いをしながら、皆気を張って仕事をしている。
でも、ふとした瞬間に、その気配が襲い掛かる。
我に返る、というか。
そのような部下に対して、マネージャーができることとは何なのだろうか?
僕はよくわからないでいる。
キラキラした世界観(笑)⁉
綺麗な言葉を並べることはできる。
キラキラした世界観を、僕自身は微塵も信じない中でも、それっぽく話すことは、僕の話術をもってすれば難しいことではない。
でも、それを続けていると僕自身が崩壊する。
そんなものはまやかしだと、僕自身が一番思っているから。
ただ駄弁ることを僕は格好つけて1on1と呼んでいる
僕は毎週部下と1on1をしている。
以前にも書いたように、それは1on1と言っていいのかわからないくらいの代物である。
ただ駄弁っているだけ。
世間話と無駄話。
それを僕は1on1と呼んでいる。
でも、それがこのような時代には大事なのではないか。
営業にセールスは不要だ
僕は営業マンだった時から、「ウエノさんと話をすると元気が出ます」「頭の中が整理されます」ということをよく言われてきた。
その時から「ふーん。そんなものかな…」と思っていたし、今もそれが何でなのかはよくわからないままである。
別に何か励ますようなことを言っている訳ではないし、有能コンサルタントみたいな「論点は3つあります!(ビシッ!)」みたいな話し方もしていないし、ただ単に思ったことをダラダラ喋っているだけである。
でも、それなりの営業成績を上げることができていた。
僕は一時期から所謂「セールス」というものを一切やらなくなって、ただの「お節介」みたいなことをやるようになったのが関係しているのだろうとは思っている。
自分の考えに基づくフラットな言葉。
それが結果的には人の為になっていたのだろう。
前向きになることが必ずしも良いことだとは思わないけれど
翻って現在。
僕は部下から同じような言葉をよく言われる。
「課長と話すと何だか元気が出ます」「もう少し頑張ってみます」
それが望ましいことなのか、僕にはよくわからない。
そしてそのような方向に進もう(話を進めよう)としている訳でもない。
冒頭から書いているように、僕は会社や社会がポジティブな方向に進んでいるとは思っていない。
どちらかというとネガティブな方向に進んでいると思っている。
そのような時代に、仕事自体にやりがいを持つことはかなり困難なことである、そんな風に思いながら仕事をしている。
僕の1on1にキラキラワードは一切ない。
「頑張ろうよ!」なんてことは言わない。
でも、元気が出ると言われる。
その言葉は少しだけ、僕がそこにいる意味を与えてくれているような気がする。
沈みゆく船の中で
沈みゆく船の中で、元気を出すことに何の意味があるのかはわからない。
でも、どうせ生きるなら、同じ環境で仕事をしていくなら、元気であることに越したことはない。
そこに少しでも貢献しているのであれば、僕がマネージャーをやっている意味もあるのかもしれない。
今日は鬱々とした話になった。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
わかりやすい動機があればいいな、とよく思います。
目の前にぶら下げられたニンジンはとうに腐っていて、でも僕らはそれが腐っていないかのように振舞わなければならなくて。
そしてそれは会社を変えたからといって、好転する訳でもなくて。
そんな中でマネージャーにできることとは何なのでしょうか?
僕にはよくわかりません。
でも、僕と関わる人が少しでも楽しく毎日を送ることができるなら、そこに僕がいる意味はあるのだと思っています(思いたいと思っています)。
鬱の沼に飲まれないよう、淡々と仕事をしていきましょう。