届く言葉

UnsplashKate Macateが撮影した写真

To○○

メッセージの宛先、ということを考える時がある。

メールで言えば「To誰々」というアレである。

結論から言えば、それはいらないのではないか、というのが今日の話となる。

僕たちマネージャーは、部下に対して様々な言葉を尽くして仕事をしている。

そしてそれは「それぞれ宛て」に届くようにと思って言葉を使っている。

でも、そんなのいらないんじゃないか、というのが僕の今の考えである。

届けるんじゃなくて、勝手に届く。

今日はそんなことを書いていく。

意図も打算もない言葉

ありがたいことに、僕は色々な人から、「あの時の課長の(ウエノさんの)言葉で救われました」と言われる。

でも、僕自身はそのメッセージをあまり覚えていない。

というか、もう少し正確に書くと、その人宛てに届けようと思ったメッセージは思ったよりも届いていなくて、どうでもいいタイミングで言った言葉の方が届いている、そんな感覚の方が多い気がしている。

そこには意図がない。

打算がない。

それが良いような気がしている。

部下への純粋な善意は届かない

大袈裟な言い方をすると、誰かに言葉を届けようなんて考えること自体がきっとおこがましいことなのである。

部下育成なんてことを考えると、僕たちは自分の手元にあるリソースを何とか伝えたいという熱情から、言葉を選んで必死に話を展開する。

それは純粋な善意である。

もちろん巡り巡って自分の為になるという考えがない、とまでは言わないけれど、本当に他意なく、その人の為になると思って話をしていることが多い。

でも、それは届かない。

だから、僕たちは「部下が育たない」と嘆く。

「あいつらは何にもわかっていない」と愚痴る。

その気持ちはよくわかる。

ただ、たぶん部下育成ってそういうことではないのだ、きっと。

選ぶのは部下

僕は言葉を並べる。

たくさんの言葉を、それこそ散弾銃のように、まき散らす。

時には道端に置いておく。

それを取捨選択するのは部下である。

もう一度言う。

選ぶのは部下なのだ。

もちろん拾って欲しいとは思う。

願いはする。

でも、僕にできることは、できるだけ質の高い言葉を、そこに置いておくことだけなのだろう、と思うのだ。

シンとした空気の中の言葉は届く

僕は自分のマインドが「良い状態」になる瞬間みたいなものを大事にしている。

それは狙って出せるものではないのだけれど、なるべくそのような心持ちになるように心掛けている。

それはスポーツで言えば、「ゾーン」に近い感覚なのだろうと思う。

熱し過ぎても冷め過ぎてもおらず、でも感覚は研ぎ澄まされているあの感じ。

時間の流れが少し止まるような、心の中がピンと張っているような。

外で雪が降っていて、その様子を部屋の中から見ているような。

その状態で話した言葉というのは、きっと誰かに届いている。

僕はそう思っている。

ちょっとだけ体温がある言葉

具体的な結びつきが思いつく訳ではない。

たぶんそうだろうな、くらいの浅い認識ではある。

でも、その状態の僕が話す言葉は、フラットなトーンで、かつ若干の熱を持っている。

それが時に人に届く。

そんなことを思うのである。

場に魂は宿る

言葉は即興性が大事で、相手との会話の中でドライブしていくもの、僕はそう考えている。

事前に用意したものではなく、アドリブ的に、内から湧き出てくるもの。

自分自身でもそう考えていたのかということを事後的に理解するみたいな、不思議な感覚で交わされる対話。

そこに魂が宿るのだと思う。

場を立ち上げる

コロナウイルスによって、対話の重要性に否が応でも気づくようになって、僕はやっぱり誰かと対面で話をすることが好きなのだということを思う。

グルーヴ感というか、インプロビゼーション感というか、とにかくよくわからない方向に話が進んでいって、そこに自分なりのエッセンスを加えていくという感覚がとても好きなのだ。

場を立ち上げる作業。

気まぐれ的な悪戦苦闘。

そこにきっと良い言葉たちが並んでいる。

日々の何気ない言葉に質量を込められたら部下は変わっていく

僕がマネージャーとして優れているとしたら、たぶんその部分であると思う。

何気ない会話。

日々交わされる他愛のない話。

そこに少しでも質量を込められるなら、部下は少しずつ変わっていく。

上手く言えないけれど、育てようと思っても育つものではないのだ。

別室で、一生懸命言葉を尽くしたからといって、伝わるものではないのだ。

ちゃんと生きること

僕が言う下らない冗談。

酔っ払って言ったクサいセリフ。

そういうものの中に、僕の人間性や価値観みたいなものが染み出して、それが彼(彼女)らに時に届く。

だからこそ、マネージャーはきちんとしていなければならないのだ。

それはきっと生き方みたいなもので、そこがちゃんとしていれば、部下というのは勝手に察知する。

この人の言葉は聞いてもいいヤツだ、と認識する。

それが大事なのだと思う。

願いの類

受信機をチューニングさせることはできない。

僕にできるのは、ラジオ放送を続けることだけである。

いつか、どこかで、誰かがその周波数に合わせてくれる。

だからと言って僕のおしゃべりは特に変わらない。

毎日毎日、同じような言葉を、ただ電波に乗せて話すだけである。

届いて欲しいとは思う。

でもそれは願いに過ぎない。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる。

僕はそんな風に言葉をまき散らしています。

でも、時に、それこそゾーンに入ったみたいに、「いい言葉」が出せるモードになることがあって、それをできるだけ再現したいといつも思っています。

歳を重ねるにつれ、その感覚が段々と薄れつつあるのは残念ですが(若い頃の方がもっと言葉が鋭敏だった気がします)、それでも何とか精度を高めて話をしていくつもりです。

駄弁ばかりですが、これからもお付き合い頂けたら幸いです。