名将と迷将は紙一重だ?

マネジメントを学ぶ意味はない?
名将と迷将。
その違いは外形的にはそんなにはわからない。
マネジメントの仕事をしていると、よくそんなことを思う。
マネージャーの「質」、マネジメントの「レベル」というのは、外側にいる人には測定が難しいようで、AとBどちらのマネージャーが優秀であるかという質問への回答はバラつきがちになるような気がしている。
となると、マネジメントを学ぶ意味なんてあるのだろうか、という疑問に繋がってくる。
結局のところ、誰もその違いなんてわからないのだから、一生懸命学んだところでそれはただの自己満足に過ぎないのでは?
そんな疑問が頭をもたげてくる。
でもやっぱり違うんだよなあ。
今日はそんなことを書いてみようと思う。
多くの人にはマネジメントの質はわからない
サッカーW杯の時にも感じたことだけれど、多くの人はマネジメントの質が優れているか否かということはわからない。
それはある種「雰囲気」に近いものである。
僕はマネジメントという仕事をやっていてそんなことを思う。
高いレベルのマネジメントをやっていたとしても成果が出ないこともあるし、マネジメントのレベルが低くても成果が出ることはある。
それが何度も繰り返される。
そうなると、結局のところ、「運」なのでは? というイメージが湧いてくる。
まあ、確かに。
「運」の要素はある。
それは否定できない。
確率論には運の要素は含まれる
僕は日頃から言っているように、マネジメントというのは「確率を上げること」であるので、確率が上がったからと言って勝てる訳ではない、そこには運の要素が必ず含まれる、それは事実である。
でも、だからと言って、名将と呼ばれるような人と、迷将と呼ばれるような人に差がないかと言われれば、「いやいや、そんなことはないですよ」と答えたいと思う。
多くの人にはわかりえない、その違いとは何なのか?
わかり易く、「これだ!」と提示できるようなものはないかもしれない。
でも、確実にその差はあるのだ。
それを書いてみようと思ったのが今日の話である。
アドリブの有無にその差が出る
僕がパッと思い付いたのは、「策」があるかどうか、というところにその差があるような気がする。
それも、準備していたものがダメだった時に、次の策を瞬時に出せるかどうか、というところに、名将と迷将の差があるような気がしている。
アドリブができるかどうか、というか。
静的な準備。動的なアドリブ。
僕はマネジメントにおいて、戦略・戦術というものを大事にしている。
それは「静的」というか、じっくり考えて行うものである。
でも、現場の状況というのは時々刻々と変わっていくもので、それに合わせて「動的」に動いていく必要性が生じる。
当然ながら、意に沿わないこと、イメージと違う展開、そんなものが頻発する。
その時に、どの程度まで理想を曲げるのか、逆に貫くのか、そのバランス感覚みたいなものがとても大事になる。
メンバーのコンディション、メンタル状況、外部環境、その他諸々の状況に合わせて、どのくらいの強度で自我を出していくか(もしくは出していかないか)、というのはある種の即興性が要求される。
その時にどのようなパフォーマンスを出せるか。
それが重要であるような気がしている。
策と現実
僕が考える「策」というのはそのような意味である。
「策士策に溺れる」のもいけないし、策を考えなさ過ぎるのも違う。
理想を保持しながらも、現実に合わせて適切にアジャストしていくこと。
それを繰り返していくこと。
それが名将の条件である。
思い付きと即興は違う
でも、冒頭に書いたように、即興性に応じて出された策というのは、外部から見れば「思いつき」で出された策と違いが分かりづらいのだ。
だから、時に迷将を名将と言ったりする。
たまたま当たっただけの策と、じっくり考えられた後に調整されたものは違う。
でも、短い期間では見分けが付きづらい。
だから、ある程度の期間が必要になるのだ。
自己満足と自負
何シーズン(決算期)にも亘って、高い成果を出し続けられているマネージャーというのは、やっぱりその部分が大きく違う。
部下を壊すことなく、顧客を痛めつけることなく、いい仕事を続けながらも高い成果を出すこと。
ある種わかる人にだけわかる世界。
それが良いマネジメントなのだろう。
もちろん自己満足という誘惑には気をつけなければならないし、それに浸っていてはいけないのだけれど、自負は必要となる、というか。
運と確率を見極める目を
「運」という言葉の解釈は難しいけれど、「確率」というものに置き換えて考えるなら、マネジメントが介在する要素はある、と僕は考えている。
それはダイレクトに関係する、1対1で即応する、ということではないけれど、緩やかな相関性はあって、継続的にマネージャーの業績を追っていくとそれが事後的にわかる、そんな風に思うのだ。
それをきちんと評価する仕組み、「運」と「確率」を見極める目、そういうものを会社として(社会として)フォローしていくこと。
そのようなマネジメントに対する理解の醸成が深まれば、現在のこのような停滞感は打破できるのではないか。
最後は少し大きな話になった。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
監督にも色々なタイプがいるように、マネージャーにも色々なタイプがいていい、と僕は思っています。
でも、「長期に亘って安定的に勝ち続けられる」という条件は、名将には不可欠である。
そして、その長期の期間においては、適切な淘汰圧が発生する。
ただ、それは露見されづらい。
それが今回僕が言いたかったことです。
マネジメントを学ぶことはもしかしたら自己満足に過ぎないのかもしれません。
でも、全く無駄ではない(と信じたい)。
僕はそう思っています。
引き続きご愛顧頂けたら幸いです。