(当たり前の話だけれど)部下は他者である

UnsplashChris Lawtonが撮影した写真

マネジメントはドライに

最初からよくわからないタイトル(部下は他者?)の話である(いつもか)。

でも、マネジメントをする人間においては、このことは頭のどこかに入れておく必要がある。

部下との関係性というのは、究極的には「他人」であり、仕事という限定的な領域においてたまたま人間関係ができているだけ、そのような割り切りが時に必要となる。

僕はサイコパスなので、この辺の考え方に全く違和感はないのだけれど、多くのマネージャーには人情があって(ウェットで)、そこまでスパッとは割り切れないようである。

だから、その距離を詰めようとする訳だ。

かつてはそのようなマネジメントが有効だった時代もあったのだろう。

でも、現代はもう違う。

もっとドライに仕事を行う必要がある。

今日はそんなことを書いていこうと思う。

マネジメントとは部下によって成立する仕事である

マネージャーの悩みの多くは部下によってもたらされる。

それは仕事の性質上、必然とも言えることである。

マネジメントという仕事は、部下との関係性なくして成立しないし、彼(彼女)らの動き如何で、その成果の度合いは大きく変わっていく。

そのパフォーマンスを如何に高めるか?

高い成果を出せる確率を上げられるか?

それが僕たちマネージャーの仕事である。

距離を詰めれば、仕事は容易になる?

でも、一方で、だからこそ僕たちは部下との関係性に悩むわけである。

思うようにいかないこと、言ったことがその通りの意味として伝わらないこと、その他様々な要因によって、僕たちの関係性はギクシャクしたり、時に上手くいったりする。

その際に、もっと距離を詰めれば、関係性が良くなれば、仕事がし易くなるのではないか、成果が上がるようになるのではないか、という考えが頭をもたげてくることがある。

今チームの状況が悪いのは、部下との距離が遠いからだ。

その種の考え方。

完全に否定はしない。

でも、あまり良い筋の手とは言えない。

僕はそのように思うのである。

価値観の相違

部下との距離は一定以上空けた方がいい。

それは情が移るからとかそういった理由もあるけれど、究極的には部下というのは他者であるから、である。

育ってきた状況、価値観・考え方、仕事に対する姿勢、その他諸々、当たり前の話であるが、マネージャーと部下では大きく異なる。

もちろん、昭和時代であってもそれは同様であった。

でも、その乖離は大きくなっているのだ。

バラバラの個人をチームとして機能させることの難しさ

適切な表現ではないかもしれないが、ある種の成功モデルみたいなものが崩れて、どこを目指して仕事をしていくことが「正解」なのか、がわからなくなっているのが現代である。

必ずしも出世したい訳ではない人もいるし、仕事に熱心に取り組みたい人達ばかりではない。

それをマネージャーの価値観で制御しようとすること、「こちら側」に誘導しようとすること、は不可能とは言えないまでも、かなり難易度の高いものである。

もう少し言うと、それを「矯正(強制?)」しようとすることは、ハラスメントに該当する可能性すらあるのだ。

その中で、どうやってチームの一体感を高めるのか?

バラバラの個人を、チームとして成り立たせる為にはどうすればいいのか?

そこに現代のマネージャーの悩みがあるのだと思う。

ガムテープ? セロテープ?

多くのマネージャー達は、未だに旧態依然のイメージを持って、このバラバラになった個人たちを「接着」しようとしているように僕には見える。

かつて自分が経験したようなやり方で、何とか纏まりを持たせようとすること。

気持ちはわかる。

でも、たぶん、それは不可能なのだ。

ガムテープで貼って、一見一体感があるように見えるチームを作ることはできる。

でも、所詮ガムテープなのだ。

それなら、バラバラのままでチームとしての成果を出すことを考えた方がいい。

無理やり纏めようとしなくていい。

他者を他者として尊重すること

これはある種冷たいやり方のように聞こえるかもしれない。

ドライで薄情なマネジメントに思われるかもしれない。

でも、裏を返せば、それだけ相手を尊重しているとも言えるのではないか、と僕は思うのだ。

子ども扱いするのではなく、1人の「個」としての考え方や価値観を尊重すること。

その中で、違う価値観を持った個人同士がどうやって折り合いをつけるかを考えること。

それは統一された価値観で動くことよりも難易度が高い。

でも、それこそが多様性を生み、新しいアイディアを呼び込むのだ。

他者を他者として尊重すること。

そのありのままをどうやって活かすかを考えること。

それが現代のマネージャーの仕事なのである。

僕たちは他人だ。だからこそ。

確かに簡単とは言えない。

でも、その割り切りができた時、マネジメントの方向性は大きく変わる。

ベタベタした甘えを断ち切り、高い目線からメンバーを見ることができるようになる。

距離なんて遠くていい。

仕事は仕事でしかないのだ。

でも、何らかの偶然によって、同じチームになったのであれば、できるだけ機嫌良く働きたい。

その為には、僕たちは相手の他者性を尊重し、その面倒くささも受容した上で、仕事に取り組むしかないのである。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

ネポティズム(縁故主義)とクローニー・キャピタリズム(縁故資本主義)。

最近の流行りなのでしょう。

お友達か、そうじゃないか。

内なのか、外なのか。

その選択を迫られ続けること。

イエス・サーと言えるかどうか。

従順と恭順。

友だちではなくても、仲良くすることは可能です。

外側にいても、信頼することは可能です。

大人らしく、他者の他者性を楽しんでいきましょう。