チームを効果的に動かすためには性善説であたるしかない

マネージャーに見えているのはごく一部に過ぎない

チームメンバーの一挙手一投足を全て管理することはできない。

当たり前の話だけれど、これをわかっていないマネージャーは多い。

そういう人がきっとマイクロマネージャーになるのだろう。

全部意のままに操りたい、自分の思い通りにしたい、そういう願望に共感できないわけではい。

でもそれは不可能だ。

どうやってもマネージャーが不在の時間は生じるし、その時にメンバーがどのような形で行動するかはコントロールできない。

営業マンが訪問先でどのような話をするのか、マネージャーが空席の時にデスクではどんな話が行われるのか、それらは全て「文化」が左右する。

(文化をどうやって醸成するかについては次回書こうと思う)

マネージャーから見えるのは彼らの行動のほんのわずか一部だ。

そして重要なのは見えないその大部分の方なのだ。

マネジメント=マイクロマネジメント?

「では、その見えない部分をどうやってマネジメントすればよいのか?」

これはとても重要な問いだと思う。

一つのアプローチが前述したマイクロマネジメントだ。

その空白の部分をできるだけ少なくしようとする手法。

「遊び」の部分をできるだけ少なくしようとする手法。

それによってコントロールできる範囲を増やし、マネジメントを効率化したい。

というか、結果がでていないチームであれば、「部下達が怠けているはずだ」「サボっているはずだ」「変な話し方をしているはずだ」と思ってしまうのも仕方ないことだ。

もっと言うと、自分ではマイクロマネジメントはしたくないと思っていても、さらに上の上司から「全然管理できていないじゃないか」「マネージャーとしての仕事をしろよ」と言われると、この形になってしまう人もいると思う。

そのくらい「マネジメント=マイクロマネジメント」になっているマネージャーは多いと思う(本人に自覚があるかどうかは別として)。

マイクロマネジメント=性悪説

この風潮を変える為には、こういったマイクロマネージャー達よりも結果を出さなくてはならない

結論から言うと、僕はそれができた。

その秘訣は「性善説」で部下を捉えるということだ。

マイクロマネジメントは「性悪説」に基づいている。

人間の本性は悪であり、監視の目がないと悪いことばかりする。簡単に怠けるし、サボる。

それを防ぐために色々な規則や制約が必要だ。

それを行うのが組織であり、マネージャーだ。

そういった考え方だ。

まあ、そうだよな、と僕も思う。

部下達を見ていると、仕事というのはあくまで生活費を稼ぐための糧であり、勤務時間内にそこに留まっていればいい、というような水準で働いている人も多い。

仕事に全精力を注げとまでは思わないけれど、こういった「ただそこにいるだけの社員」を働かせる為に、マネージャーがなぜ努力しなくてはならないのか、そういう感情にもとても共感する。

でも先ほども申し上げた通り、「全部監視するのは不可能」なのだ。

一挙手一投足、それこそ箸の上げ下ろしまで見続ける訳にはいかない。

部下は何人もいるし、マネージャーの時間は有限だからだ。

だから、マイクロマネジメントには限界がある。

これは価値観とか信条とかを度外視しても、マイクロマネジメントが有効ではないことの証明になると思う。

(議論を突き詰めていくと、マネジメント自体も有効ではないという結論になりそうだけれど、それはまた別の機会に書こうと思う)

功利的に性善説を利用する

ではどうするか?

部下を信じるしかない。

ここには性善説というポジティブな人に対する見方ももちろん関係しているけれど、功利的に考えても、そうせざるを得ない、というのが僕のスタンスだ。

何人もの部下×マネージャーに見えない時間=膨大(かつ勤務時間の大半)

ただこれだけである。

別に部下が善であるという信念があるわけではない。

というか、人は元々良いことをするので、それを信じていれば仕事はうまくいく、というようなそんなたいそうなものではない。

ただ現実的に考えるとこうせざるを得ないという感じだ。

性善説で部下を捉え始めると、マネージャーの仕事はだいぶ軽くなる。

細部は部下に任せて、全体観を示すことに特化できる。

ここがマネジメントの肝であり、僕が戦略に時間をかけろという所以である。

重要な仕事に特化するために性善説を活用する

マネージャーになってつくづく思うことだけれど、本当に仕事が多すぎる。

1つ1つは大したことないものであるものの、あらゆる方面の仕事をマネージャーはやらなければならない。

目標の達成、部下の育成、労務管理、会議資料の作成、上司への報告、戦略の立案、行動管理、部下の評価、営業、トラブル対応、キャリア指導、コンプライアンス対応、などなど、本当にたくさんある。

マネージャーというのはそういうものなのかもしれない。

でも効率的に仕事をしてパフォーマンスを上げる為には極力重要な業務に注力する方が良い。

というか、部下でもできることであれば、部下に任せてしまった方が手っ取り早い。

「でもそんなことしたらめちゃくちゃにならないですか?」

僕の回答はこうだ。

「そうならないように文化を作ることが大切だ」

「じゃあ、その文化とやらはどうやって作るんですか?」

次回はそれについて書こうと思う。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


編集後記

そもそも論として、「マネジメントってなんなんだ?」ということを最近よく考えます。

「あらゆることがマネージャーの仕事の範疇である」というような言説は現実を言い当てているとは思いますが、何というか会社にただ便利使いされているだけのような気もしています。

中間管理職という言葉がネガティブな語法として使われたり、誰も管理職になりたがらないというのは、こういった「面倒な側面」がフォーカスされているからであるように思います。

OJTという言葉が形骸化してしまった現在において、マネージャーの責任の範囲は無限といっても言い過ぎではないくらい拡大してしまっています。

その肩の荷を下ろすのは簡単なことではありませんが、できるだけ戦略に特化した方が成果は出やすいというのが僕の実感です。

一筋縄ではいかないことは承知の上で、僕は最近そんなことを考えています。