脱「井の中の蛙」的育成論

UnsplashJack Hamiltonが撮影した写真

エコーチェンバー的若手社員の増加

井の中の蛙大海を知らず。

若手社員の育成をやっていると、よく思うことである。

そしてその思いは年々強くなっている。

それはただ単に、僕がおじさんになっているからかもしれない。

でも、何というか、「それだけが原因ではないのでは?」とも思うのである。

それがSNSの普及によるものなのか、教育制度によるものなのか、僕には判断しかねる。

ただ、フィルターバブル的というか、エコーチェンバー的というか、「自分にとって心地よい情報しか知らない(知りたくもない)」世代が増えてきて、視野が明らかに狭くなっている、そんな印象を持つのである。

最終的には、「働く」という行為は個人の価値観に依存するものであるのは確かだろう。

でも、そこに刺激を与えるのは、外の世界を知らせるのは、僕たちマネージャーの最低限の仕事なのでは?

そんなことを思ったので、今日は育成論について書いていこうと思う。

感じ良いが物足りない

小粒な若手が増えたな。

新入社員や若手社員が僕のチームに来るたびに思うことである。

良く言えば「まとまっている」、悪く言えば「殻に閉じこもっている」、そんな印象の若手が多くなった。

彼(彼女)らは総じて感じが良いし、仕事をそつなくこなせる。

ただ、「突き抜け感」はない。

全くない。

そこに僕は物足りなさを感じるのだ。

「返し」が面白いかどうか

営業マン的な目線で言うと、ちょっと前までは一目置くというか、若手であっても侮れないなと思うようなメンバーが時々いたのだけれど、そのようにこちらが「んっ?」と感じる人はいなくなってしまった。

何というか、テキトーに対応しても大丈夫な感じなのだ。

僕は新人教育において、「レスポンス(返し)」をすごく大事にしていて、これが上手にできる人は営業も上手く行くし、そうでないと厳しい、そのような判断基準を持っている。

その意味で言うなら、この「返しが面白い若手」は激減してしまったように思う。

そして、(僕は残念だと思うのだが)彼(彼女)らは、別にそれを何とも思っていないようなのである。

イエス・ベースド・コミュニケーション

クローズドな環境で育ってきて、異物とあまり交わったことがないような感じ。

そして、生物がそうであるように、そのような馴染みのない環境に置かれると、上手く適応できない、結果淘汰圧にさらされる、そんなことを思うのだ。

これは(以前にも書いたかもしれないけれど)彼(彼女)ら世代のコミュニケーションが「Yes」を前提としたものになっているからだと僕は思っている。

この「Yes」は、「いいね」でも「グッド」でもいい。

要は、「肯定」をベースにコミュニケーションが構築されているように思うのだ。

確かに肯定をコミュニケーションのベースにすれば、人間関係は良好に進む(ことが多い)。

でも、「何かが生まれる」というような事態は生じづらい。

僕はそんな風に思うのである。

目立つ=晒される

相手を否定しないこと。

それは彼(彼女)ら世代の長所であると言える。

と同時に、「悪目立ち」という言葉を蔓延させてしまっているようにも感じる。

何かに秀でることは「目立つ」ことと同義で、「目立つ」ことは「晒される」ことと同義になるから、「良くないこと」となる、そんな印象を受けるのである。

下方にも上方にもぶれずに、平均値(中央値)近傍であること。

それが彼(彼女)らの行動指針であるように僕には見える。

平均点で「いいね!」は押せない

それはそれで悪いことではないのだろう。

そして、最終的には価値観の問題である、とも言える。

でも、平均値近傍で「いいね!」とされてしまうと、営業を生業とするチームではなかなか厳しいのも事実である。

それをどうやって打破するか?

それを書いて本稿を終えようと思う。

肌で感じる経験を

キーワードは「体感(体験)」だと僕は思っている。

ネット上(SNS上)の情報ではなく、フィジカルに外の世界を感じてもらうこと。

この経験が一つのきっかけになるのではないか、と僕は考えている。

そして、この外の世界の体験は、あまりにも自身の身の丈と離れすぎていてはいけない。

昭和時代であれば、高ければ高い刺激ほど好ましい、という感じであったと思うけれど、彼(彼女)ら世代はそれだと自分事から切り離してしまうので、ちょっと背伸びするくらいが丁度いい。

それが身近な世代であれば、尚のこと望ましい。

社内インターンなのか、兼業なのか副業なのか、出向みたいなものなのか、やり方は様々だと思うけれど(そしてそれは会社がやるべきことなのかとも思うけれど)、実際にその場に行って、一緒に仕事をしてみる(差を感じる)という経験が、彼(彼女)らには必要であると僕は思っている。

外の風を浴びる、というか。

想像力を働かせることは期待できないから

もちろん、それをやったからと言って、何かが劇的に変わる訳ではない。

でも、少なくとも、想像力だけで彼(彼女)らが超克する(超克することを期待する)ことは起こらない。

想像上のライバルと競う、それにより自分を高める、なんて思いもよらない。

だから、実際に経験させる。

それが「井の中の蛙」から脱するきっかけになると僕は思っている。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

ネットにあることが全て(ネットは全能)。

若手と話をしていると、そのような印象を受けることがあります。

一方、僕のようなおじさん世代は、ネットは話半分で受け止めるべきだと思っています。

虚実混交というか、でもその嘘も面白いというか。

そのような「ネタ性」みたいな、裏の笑いみたいなものは、若手社員には通じず、彼(彼女)らはそれをガチで受け止めているそこから先の世界は存在しないような印象を受けます。

MR(複合現実。我々の世代)とVR(仮想現実。若手の世代)。

彼(彼女)らの世界は、作られたオープンワールドゲームみたいで、世界の果てが決まっている、でもそれに彼(彼女)は気づいていない(考えもしない)、そんな風に僕は思う時があります。

世界を作るのはオレたちだ、とまでの勇ましさは流石にありませんが、現実というのはネットと入り混じっているし、変容していくものなのだ、とは感じています。

トリビアルなことを幾ら知っても(検索してわかった気になっても)、知性にはならないぜ?

現実を知らせ、変容を促していきましょう。