感覚論をねじ伏せる為には四則演算で十分だ

UnsplashBekky Bekksが撮影した写真

しょうもないデータばかりでウンザリするぜ

データが少ない。

欲しいデータが手に入らない。

「DXだ!」とか「ChatGPTだ!」とか世間では騒がれているが、僕の手元には必要な情報が全く入ってこない。

その中で、皆が感覚論で話をしている。

いつも言うように、マネジメントにおいては、最初の立ち位置をどこに定めるのか、ということはとても重要である。

自分たちは今どのような状況にあるのかを客観的に見て、これからどの方向に向かうべきなのかを定めて出発しなければ、見当違いのゴールに辿り着いてしまうから。

大事なのは何よりもまず現状認識なのである。

でも、客観的な現状認識をする為には、それなりのデータが必要になる。

もちろんそれが整えられた、スーパーなデータであれば言うことはないのだけれど、残念ながら現在の状況ではそんな素晴らしいデータは手に入るはずもなく、「アリもの」でやっていくしかない。

そしてそのアリものを、足したり引いたり掛けたり割ったりするだけでも、感覚論を打ち破ることはできる。

今日はそんな話である。

足し算わかる?(煽り)

足し算と引き算。

掛け算と割り算。

この中でも、足し算と割り算の違いがわからない人がとても多いように感じている。

表現を変えるなら、増加「額」と増加「率」の違いがバシッとわかる人は殆どいない。

「んなアホな!」と思われるかもしれないけれど、本当にそう思うのだ。

前年対比の増加額と増加率

チームの状況、現状認識をする上で、昨年と比べて今年がどうなのかを知ることはとても重要である。

もちろん、今年はまだ途中なので、取り敢えず現在までの状況はどうなのか、ということを調べることになる訳だ。

その際に、昨年対比の増加額と増加率で物事を考えるのは、別におかしな話ではないと思う。

そして、ここまでは大体の人はできるのである。

おかしくなるのはその先の話だ。

あれ? 計算結果は?

計算すれば、増加額はいくら増加率は何%ということが数字として出てくる。

ただ、それがどのような意味を持っているのかがわからない人が結構いるのである。

そして、その出てきた数字を差し置いて、感覚論で物事を語ったりすることになる。

悪いことに、その感覚論が大勢を占めたりもする。

なんだこれは?

その度に僕はいつもそう思うのである。

アタマ悪いの?(煽り)

例えば、増加額が悪くても増加率は悪くないことがある。

それは分母の問題で、何と比べて現在がどうなっているのかを知るのが「率」の話である。

この比べる対象(分母)によって、「率」というものの性質は変わっていく。

そして、その分母の変化がある一定以上になっていくと、途端に思考が停止して、「でも全然額が伸びていないじゃん!」と謎のことを言い出す場面が訪れる(それも結構な役職の方から)。

その度に「ええと…」と僕は思う。

そして「今まで話をしていたように、確かに額は良くないかもしれないけれど、この数値(分母)から考えた場合には、必ずしも率は悪くないとは言えますよね?」と返す。

そこで一旦納得した様子を見せる。

でも、また説明が続くと、数字が増えていくと、「額が全然増えてない!」とまた原点に戻ってくる。

「今までの時間は何だったんだ?」と僕は思うことになる。

足し算と割り算の違いもわからないのか?

生産性が低いのは経営能力がないからでは?

「日本人の生産性が低い」という議論は、どの話題にも顔を出してくるけれど、そしてそれは「長時間労働が原因だ」という結論になることが多いけれど、僕は「そうか?」と思う時がある。

「単純に経営能力が欠如しているだけなのでは?」と思う時がある。

上記のような四則演算の話すら理解できない人達が組織の上層部にいることが、日本の生産性が低い原因なのではないか?

そう(偉そうにも)思ってしまうことがある。

データがあっても、解釈できなれば無用の長物

僕が自分でマネジメントという仕事を長くやってきて、それなりの成果を出し続けられているのは、感覚論だけでやっている人は四則演算すらわからない(対して僕はわかる)ということに起因しているような気さえしている。

冒頭に書いたように、本当はもっと精細なデータが欲しい。

それがあれば、更に差を付けることができる。

裏を返せば、DX的なデータが手に入ったとしても、この種の人たちには使いこなせない(豚に真珠状態)のだろうなとも思ってしまう。

そしてタイトルの回収をして、今日の話を終えようと思う。

四則演算は理解されない。でも、成果なら理解されるはずだ。

「感覚論をねじ伏せる為には四則演算で十分だ」という言葉を見れば、「四則演算を基に説明すれば理解してもらえる(感覚論を打破できる)」というように読めるかもしれない。

でも、上記したようにそれは不可能だ。

だから、ここにはもう少し言葉が必要となる。

「感覚論をねじ伏せる為には四則演算(を基に成果を出すこと)で十分だ」

仮説構築。仮説構築。仮説構築。

成果は雄弁だ。

簡単な議論すら理解できない人も、成果を出せば、何も言わなくなる。

そして、(残念なことに)四則演算ができれば、大多数の人よりも優位な立場に立てるのが日本社会の現状なのだ。

データを。

それを足したり引いたり掛けたり割ったりすることで仮説構築を。

さすれば、自ずと成果は出る。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

マネジメントとは仮説構築だ。

何だか最近そんなことを思います。

そして手元にあるデータを足したり引いたり掛けたり割ったりするだけで、大抵の人には圧勝することができる。

なんてヌルい社会だ。

これは換言すれば、もう少しデータを効率的に使うことができるようになれば、日本社会は劇的に変わる可能性があるということです。

社会のディープラーニング化?

そこまで行かなくても、社会の四則演算化?

それだけでもだいぶ違うのでは?

生意気なことばかり言っていますが、僕はただまともな議論がしたいだけです。

呆れずにこれからもお付き合い頂けたら幸いです。