自分は変わらない。変わるのは周りだ。

UnsplashChris Lawtonが撮影した写真

行動の不変性と評価の変動性

マネジメントという仕事を続けて、もう8年以上になる。

そのことを振り返ると、毀誉褒貶、本当に色々なことがあった。

それと同時に、自分のやり方というのは別に変わっていないんだけどなあ、ということも思う。

もちろん、それなりのスキルの向上や、経験値の蓄積のようなものはあったとは思う。

でも、そこにある根源的なスタンスのようなものは何も変わっていない。

そしてそこからアウトプットされる行動についても、大差はないだろう。

それなのに、それなりの評価の上下動がある。

そして、その度によくわからない気持ちになる。

いつも言うように、マネジメントという仕事は評価が難しい仕事ではある。

計数として、分かり易くその仕事の成果が示される訳ではない。

それにしても、だ。

そんなに仕事内容と評価というのは変わるものなのだろうか?

今日はそんな話である。

誤差のような毎日

今でこそたくさんの経験をして、自分のマネジメント手法はそれなりのレベルにあると思えるようになったけれど、経験が浅い時にはそうは思えなかった。

そのような時ほど、周囲の評価が気になるものである。

本来的には自分の仕事の成果を自分である程度把握することが必要なのだろうけれど、マネジメントにおいてそんな分かり易いものはないので、何か指針となるようなものを探してしまうというあの傾向。

それにずっと付きまとわれていたような感覚を僕は持っている。

そして、何か大きなインシデントがあると、「あれ? やっぱりオレのやり方って間違っているのかな?」と更に自信がなくなってくる。

だからと言って劇的にマネジメントのやり方を変えることもできないという思いも同時に湧いてくる。

僕にできることは、ただ目の前にある仕事を淡々と片付け、自分が良いと信じる方向に一歩一歩進んでいくだけである。

それは一両日でどうこうなるものではない。

日々の変化なんてものは、誤差の範疇に過ぎない。

そんな不安定な日々をずっと過ごしてきた。

気に食わないなら、代えてくれ

ただ、最近は良い意味で開き直れるようになってきたのである。

というか、当たり前の話ではあるのだけれど、「他者の評価がどうであれ、自分にできることは変わらないし、その評価がもし悪いとするなら、さっさと代えてくれよ」、そんな考えを今僕は持っている。

もちろん、最善は尽くす。

でも、それが気に入らないなら、どうぞご勝手に。

そんな気分なのだ。

最善は尽くすが、限界もある

だからと言って、投げやりになっている訳ではない。

与えられた職務を全うする(しようとする)ことは変わらない。

ただ、限界もある。

そんな感じなのである。

わかったような口をききながら、思い上がっていただけ

僕は他人からの評価の変動が激しい。

それは幼少期から自覚的ではある。

物凄く好かれる場合と、物凄く嫌われる場合

それしか僕にはない。

中間領域はないのだ。

だから、そういう意味では、今の仕事の評価もその延長線上にあるだけ、と言えるのかもしれない。

というか、そうなのだろう。

それを考えると、僕はそうではない自分になりたいと思っていたそういう欲みたいなものに憑りつかれていた、というのが妥当なところだろう。

自分ではない、もっと素晴らしい自分。

そうでなければいいマネジメントなんてできない。

そういう想いが強すぎたような気がする。

「結局は人間性」と、さもわかったかのような口ぶりで言ってはいたものの、心の奥底ではそうなりたい、きっとそうなれるだろう、と思い上がっていたのだ、きっと。

それが今は違う。

もっと平らかな気持ちなのである。

持っているもので戦うしかない

僕はこの僕でしかない。

それは取り方によっては、生意気なように聞こえるかもしれない(というかそうだろう)。

でも、そこにあるもの、現状手に持っているもので戦うしかないのも事実である。

何か天啓のようなものがあって、急に僕が素晴らしい人間に生まれ変わる、ということはどう頑張っても起きそうにないから。

努力と評価は別物

マネージャーにできることは、今手元にある戦力を使って、最大効率を発揮させること、それだけである。

もちろん、「それだけ」と言ってもそれがなかなか大変な訳ではあるが、「それ以上」のことはどう頑張ってもマネージャーには無理な訳で、そこに囚われて(強い)自責の念を感じる必要もないのかな、と今は思っている。

できることはできるし、できないことはできない。

自分にできることを、ただ最大限やるだけ。

その結果生じる評価については、相手側の問題なので、僕にはどうすることもできない。

補正作業を続けること

当たり前のことを言っているだけだ。

でも、プレイヤーの時とは違い、自分の仕事の成果がどの程度のものなのか、それが本当に最大限(最大効率)に近いものなのか、というのはわかりづらい。

だから迷う訳だ。

ただ、8年以上マネージャーをやってきた僕が思うのは、そのように迷い続けながらも、やっぱり自分のやっていることは間違っていないよな、変わらないよな、というような「補正作業」を続けることその根本にある信念のようなものに時々立ち戻ることが大事だ、ということである。

お前らよりも覚悟はしてるぜ?

人は色々と言うだろう。

でも、そんなものはそこまで重要視しなくていい。

どうせ大して考えてなんていないのだ。

褒めも貶しもほどほどに捉えておけばいい。

こちとらそんな生半可な覚悟で仕事をしている訳ではないのだ。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

人があまりにもテキトーなことばかり言うのを聞くと、マネージャーとしてテキトーなことを部下に言ってはいけないよな、という気持ちになります。

何の気なしに言った言葉が、思いのほかダメージを与える可能性があるからです。

でも、これは一方で、予想もしないようなポジティブな反応を引き起こす場合もあります(部下に「あの時の言葉で救われました」と泣きながら感謝されたことなど)。

そういう意味では、考え過ぎるのもまた問題で、自分は自分らしくその時最善だと思うことをするしかないのかな、という至極当たり前の話に戻ってきてしまいます。

「受け止め方」は人それぞれです。

他人は他人でしかありませんし、それをコントロールするのは不可能です。

程よく自分を貫いていきましょう。