最近の形容しがたいキモさについて

言語化しづらいものを言語化してみる
これはウチの会社だけなのかもしれないけれど(そうであることを切に願っている)、最近の社内の感じが表現しづらいくらい絶妙にキモいので、今日はそれを文章化してみようという試みである。
というのも、僕は「筆舌に尽くしがたい」とか「言葉にならない」というものを、何とか言語化しようとすることに意味があると考えるからである。
これはちょっとだけマネジメントにも関係している。
名選手が名監督になりづらいのは、自分の感覚を言語化する訓練が少ないからである。
名選手は感覚の通りに体が動くし、それで上手くいくことが多いので、敢えてそれを言語化する必要がない。
でも、これは裏を返せば、上手くいかない人の理由がわからないし、それを伝える術を持たない、ということにもなる。
だから、監督になった時に、伸び悩んでいる選手に対して適切な指導ができないのである。
そういう意味で、今回の話も「形容しがたい」と言って逃げるのではなく、何とか言語化して、成仏させてしまおうと思っている。
多くの人にはあまり役に立たないかもしれないけれど、取り敢えず始めていく。
日本社会のテンプレ?
最近感じているキモさとは何か?
無理やり言語化するなら、それは「どうでもいいことを、さも凄いことであるかのように吹聴すること。そして周囲もそれを脳死的に礼賛すること」である。
結構な表現であるが、実際にそうなのだから仕方がない。
そして書いてみて、ふと思う。
これは当社だけではなく、日本社会の典型的なパターンなのではないか、と。
実力主義ではないこと。本質的ではないこと。
僕は社会人になってからずっと日本企業に勤めている。
そして、時折、戦前の日本ってきっとこうだったのだろうなあ、と思う時がある。
もちろん、僕が想像する戦前の日本というのは、書籍やメディア等を通じて得た浅はかな知識であることは否めない。
でも、そこに底流しているある種の気味の悪さのようなものはそこまで大きくズレてはいないだろうとも思っている。
それは実力主義ではないことと、本質的ではないことが関係しているような気がしている。
いや、日本に限らず(外国であっても)、組織というのはそういう傾向を帯びるのかもしれない。
「官僚的である」というのは、きっとどの組織でも見られる傾向であることは間違いないだろう。
ただ、その程度というか、度合いというか、グラデーションの濃さというか、それが強いのが日本組織(社会)の特徴なのではないか?
そのように思うのである。
庶民の強さは素晴らしいが…
これは「実力とはなんぞや」ということをきちんと計量できないことが関係していると僕は思っている。
もう少し端的に言うなら、実力があることを見抜けない人が組織内の上層部に多い、ということになるのかもしれない。
そしてそれは実力がなくても何とかなってしまう日本社会の根本的な強さにも関係していような気もしている。
よく言われるように、日本社会においては、そこに暮らしている平凡な人たちにそれなりの強度があるから、指導層がそこまで優秀ではなくてもどうにかなってしまう側面があるとは思う(世界最強の軍隊とは、「アメリカ人の将軍、ドイツ人の将校、日本人の下司官」であり、世界最弱の軍隊とは、「中国人の将軍、日本人の将校、イタリア人の下司官」、という例えのように)。
それは素晴らしいことであるのは間違いない。
ただ、あまりにもさ、と思う時が僕にはある。
実力とは何か、本質的とはどういうことか、を計量するのは難しいけれど…
実力がなくても、本質を見抜けなくても、それを上手に礼賛することができれば、報われる社会。
それも1人ではなく、集団でそれを行うことによって、内輪でその論理を再生産し続けることができる社会。
低生産性の議論の根底には、このような社会に対する諦め(呆れ)があるように僕は思っている。
長時間労働が原因なのではなく、デジタル化の遅れが原因なのではなく(もちろんそれらもあると思うが)、虚しさや馬鹿らしさがその根底にはあるのだ、きっと。
もちろん、実力が何であるかとか、本質的であるとはどういうことかということを、計量的に疎明することはとても難しいことであるのは事実だろう。
そして、そもそもそれが実力かどうか、本質的であるかどうかというのは、主観的な要素が避けがたく混入してしまうものであるというものその通りだろう。
たださ、と僕は思うのである。
もうちょっとどうにかならんもんかね?
思い出補正? I know.
そして、それは(思い出補正にはなってしまうけれど)僕が入社した頃には、まだ残存していたようにも思うのである。
本質的でないものに対して、「それおかしくね?」というような上司がそれなりにいたように思うのである。
その人たちはどこに?
ガチ感に吐き気がしそうだ
「いや、きっと、そこにいる人達だって、そのキモさに自覚的であるはずなのだ」
「でも、仕方なく、組織的上昇を図るためにやっているだけなのだ」
そうなのかもしれない。
でも、僕にはそうではなく、ガチに見える。
きっと心から、それが本質的であり、素晴らしいことであると信じ切っているのだ。
宗教的熱狂。
鳴りやまない拍手。
僕だけがそこで下を向いている。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
実力を可視化するデバイスが欲しい。
メタクエストでも、ビジョンプロでも何でもいいから、どうにか実装してくれんかね?
僕はそんなことを思う時があります。
ドラゴンボールに出てくるスカウターのように、実力が可視化されたら、こんなに面倒くさいことを考えなくてもいいのに。
結果として、僕の実力が0と測定されたら、それはそれでスッキリするし。
まだ上昇志向とか権力志向とかそういうものを前面に出してもらった方がマシです。
そうじゃないから、そこに僕は恐怖を感じるのです。
優秀な人たちが出す優秀な解。
僕は未だにそれに馴染めないでいます。
乗り物酔いみたいな気持ち悪さを恒常的に抱えて、僕は働いています。
共感して頂ける人がいらっしゃったら幸いです。