過剰な期待をしない

UnsplashJon Tysonが撮影した写真

勝手に期待して、勝手に裏切られたと思っているだけでは?

期待をするから裏切られる。

というか、勝手に期待をして、勝手に裏切られたと思っている。

要は独り相撲のようなものだ。

そして、それがマネジメントをする上で大きなストレスにもなっている。

だったら、期待するのをやめてみたら?

もしくは、完全にやめなくても、今よりも期待することを少なくしてみたら?

それが今日の話である。

それでは始めていこう。

コスパが悪いものは不要?

「マネジメントという仕事にはメンタルを安定させることが重要で、メンタルを安定させるためには過剰に期待をしない方がいい」

これが今日の話の要旨であり、結論である。

だから、ここから下に書くものは、蛇足的なものである。

蛇足的なものは不要?

コスパ(タイパ)が悪い?

まあ確かに。

それが最近の主流ではある。

でも、まあそう言わずに、たまには無駄なことをしてみるのも悪くはないのでは?

というか、そのような無駄が、マネジメントという仕事においては有用になったりもするのでは?

期待の成就

何だかどうでもいいことを書いているように見えるかもしれないけれど、これは実は今日のテーマにも繋がっている話である。

期待というのは、直線的なもの、というイメージが僕にはある。

自分からその対象までを結んだ一本の矢印。

それが期待をするという行為である。

そして期待に応えるというのは、それが逆に向かう(対象から自分に向かって矢印が向いてくる)ということである。

結果生まれた双方に矢印が向き合っている状態。

それが期待が成就した状態となる。

期待の矢印の太さや多さ

でも、往々にしてそういうことは起こらない。

ましてや、マネジメントという仕事においては、そういう事態は滅多に起こらない。

具体的に言うなら、自分から対象までの矢印は伸びているのだけれど、対象から自分までの矢印が来ることは殆どない。

結果、僕たちは(勝手に)失望したり、怒ったりしている。

もちろん、これは期待をするな、ということを言いたい訳ではない。

期待がなければ、人生は味気ないものになってしまうから。

ただ、その矢印が太すぎたり、多過ぎたりすると、それはそれで疲れてしまうのでは?

僕はそのように思うのである。

曲線の矢印の時間軸性

もっと言えば、「その矢印が直線でなくてもいいのでは?」とも思っている。

先程の遠回りの話(どうでもいいこと・無駄なこと)のように、「ある対象に向けた曲線の矢印があってもいいのではないか?」と僕は思うのだ。

また、ここから敷衍して、自分から対象に向ける矢印だけではなく、対象から自分に向く矢印が曲線を描いていて、自分が望んでいる時間軸よりも遅れて届くこともあるのではないか、という風に僕の思考は進んでいく。

期待とは相互に直線的かつ最短距離的なものなのか?

上記したように、僕たちは期待を相互に直線的かつ最短距離的なものとして捉えがちだ。

望む速度で相手に到達しているのだから、相手からもその速度で自分に向いてくるべきである、という考え方というか。

れがマッチしないと、その速度が合わないと、僕らは失望してしまうというか。

でも、僕がマネジメントという仕事をしていて、というか仕事というものをしていて思うのは、そのような期待(僕からすれば過剰な期待)が報われることは殆どないよ、という現実である。

ただ、これはネガティブな感覚を持って仕事に取り組みなさい、どうせ期待は叶わないから、というようなニヒリスト的なことを言いたい訳ではない(もちろん、その要素が全くないとは言えないけれど)。

「もう少し時間軸を伸ばしてみたら?」というのが僕からの提言である。

寄り道の可能性を考慮してみる

相手(ある対象)からの矢印は、僕たちにはコントロールできない。

でも、もしかしたら、それは既に出発をしていて、途中どこかで寄り道をしているから、まだ到達していないだけかもしれない。

それを僕たちは遅いと苛立っている。

なんて奴だ(なんて会社だetc.)と憤っている。

気持ちはよくわかる(僕もよくそう思ってしまうから)。

ただ、もう少し待ってみてもいいのではないか?

僕は最近そのように考えている。

応答は確実されている(はず)

何らかのラグ。

ネットにおけるレスポンス速度みたいに、僕たちはちょっとでも期待からの遅延があると、そこに苛立ちを感じる生き物である。

でも、応答は確実にされているのだ。

まだ届いていないだけ。

そのように考えることは、人生に少しだけゆとりをもたらしてくれる。

相手はコントロール不能

これは返信や既読、そのようなものにも当てはまる。

もちろん、こちらの期待通りになったらいいなとは思う。

でも、相手には相手の尺度がある。

そしてそれはコントロール不能なものでもある。

だから、「そこに拘泥しても仕方がないのでは?」と僕は思ってしまう。

たぶんどこかの経由地にはあるはず

部下が思ったように成長しない、会社が望むようなポストを用意してくれない、他部署は我儘ばかり言っている。

マネジメントをやっていると、このような事態が頻発する。

そしてその度に「やってらんねえな!」と思う(僕もそうだ)。

でも、それは僕が勝手にそう期待しているだけで、それも過剰な期待をしているだけで、もっと遠くの方から見たら、その不満は見当違いな場合だってあるのではないか?

「荷物は出発地を出ました」

「いまは○○配送センターで保管中です」

そのような通知を得られないから、いつまでもその荷物が届かないことにイライラしているだけなのでは?

本当に荷物は出発地を出ていなくても、もしかしたら道中にあるのではないか、と考えることで、もう少し仕事がし易くなるように僕は考えている(考えるようにしている)。

何かの参考になれば幸いである。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

マネジメントには「待つ」という行為が必要です。

そしてその待つという時間軸は、自分が思っているよりもだいぶ長い。

だから、僕たちは「先手を打って」しまいがちです。

ただ、それをもう少しだけ待ってみる。

そうすると、見える景色が変わってくる。

僕はマネージャーになってから、そのように感じています。

プレイヤー時代の速度至上主義を捨て去り、もう少し気長にやっていきましょう。