締めるとこ締めときゃ、まあ何とかなるよ
部下の全てを管理したい人たち
部下の管理をどれくらい厳密にやるか?
マネジメントの議論になると、厳密=是、杜撰=否、というのがもう前提条件として入っているような気がしている。
でも、僕が言いたいのは、もう少し緩くても大丈夫ですよ、ということである。
というか、メリハリが大事、ということである。
僕から見える多くのマネージャーは、全方位において部下をきちんと管理しなければならないと考え過ぎているように見える。
もちろん、その気概は素晴らしいと思う。
ただ、それは不可能だ。
部下の一挙手一投足を管理することはできない。
勤務時間中、全ての部下に張り付いている訳にはいかないから(分身の術の使い手であれば違うかもしれない)。
でも、これを逆に捉えて、全部は監視できないけれど、それに近いことを実現したい、という人も多い。
これをマイクロマネジメントと言う。
今日はそんなマイクロマネージャーに対するアンチテーゼである。
性善説・性悪説・性弱説
性善説と性悪説。
部下の管理はこの2つの考え方のどちらを取るかによって、その道が分かれる。
これに最近では、性弱説というものが加わる場合もある。
性弱説というのは、「人間は積極的に悪いことをしようと思っている訳ではなく、その弱さによって、悪行をなしてしまうことがある」というような考え方である。
ただ、いずれの考え方を取るとしても、マネージャーが部下の行動を管理(という言葉が適切かどうかという議論はあるけれど)しなければならないというのは変わらない。
では、どのように部下の行動を管理するのがいいのか?
部下に悟られているか否か
最近僕が考えているのは、「部下に管理されていることを悟られなければ何でもいいんじゃない?」というとても大雑把なものである。
こう考えると、別にマイクロマネジメントだって許容範囲にはなる(もちろんマイクロマネジメントは部下に管理されていると悟られる確率は高い。というか悟られるからマイクロマネジメントと言われる訳で、これはトートロジーに過ぎないのかもしれない)。
その上で、「ここだけはダメ」というようなクリティカルな部分だけを締めておけば、後は何とかなる、というように僕は考えている。
チェックリストによって部下の行動を管理する?
僕が出会ったマネージャーの1人に、「チェックリストを活用しています」とドヤ顔で言う人がいた。
それは部下の行動に関するチェックリストであり、そこにはズラリと30項目(例えば営業の事前準備においてできているものは何か、商談の時にできているものは何か、というようなものだ)くらいが並んでいた。
おう…、と僕は思った。
確かに、アプローチ方法としてはわからなくはない。
多くの部下の行動を、ある1つの指標に基づいて、出来ているかできていないか判断したい、という気持ちはわかる。
それによって、自分の客観性を疎明したいという感情もそこにはあるだろう。
ただ、それってどうなのだろうか、と僕は思ってしまう。
もっと嫌な言い方をすると、そのチェックリストをコンプリート出来たとして、望ましい部下が誕生するのだろうか。
僕にはよくわからない。
コスパを求める時代
もう少しこの話を続けていくと、このようなスタンスは現代風ではあると僕は思う。
教える側も、教わる側も、何らかのガイドラインというか、レジュメというか、これをこのようにやればこうなれます、というような目安が欲しい、というのが現代という時代なのだろう。
大事なのはコスパ(タイパ)であるから。
でも、マネジメントという文脈においては、それはあまり有効ではないし、下手をすれば悪手かもしれないと僕は思う。
というのは、それは画一性を尊重する態度(多様性を否定する態度)に繋がるから。
単線的・工業的なイメージ
もちろん、上記のマネージャーの意図は違うと思う。
営業パーソンとしての基礎を確立する為にはどうしたらいいのか、という善意に基づいたものであることは間違いないだろう。
ただ、そこに潜むのは、工業的な思想である。
そして単線的なイメージである。
インプットとアウトプットを適切に行えば、コレコレのものが出来上がりますという考え方。
わからなくはない。
でも、マネージャーの仕事はそうではいけないのだと僕は思う。
成長は単線的に為されるのか? それを管理するのがマネジメントなのか?
マイクロマネジメントとは工業的な考え方(テイラー主義?)に基づいているものである。
僕にはそう思える時がある。
それは上記したように、人間の成長(進化)というのは単線的に為されるというような考え方が前提にあり、そこで上がる成果も単線的に向上していくと考えられているような気がするからである。
そしてそれを管理するのがマネジメントである、と。
マネジメントとは?
そしてこのような生産管理的なイメージは、マイクロマネージャーだけでなく、多くのマネージャーにも見られる側面であることも事実である。
ただ、僕がマネジメントという仕事をしてきて思うのは、そのやり方では限界があるし、何なら限界までも到達することは殆どないよ、ということである。
大事なのは、部下を、そしてチームを、等比級数的に伸ばすことである。
その為には、「管理」という概念自体を変えなければならない。
少なくとも、雁字搦めにすることがマネジメントではないはずだ。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
チェックリストが苦手です。
また、何らかのシラバスに基づいて進んでいけば、このような利得が得られますという考え方も苦手です。
でも、この2つはコスパやタイパを考えると、必須のものであるように思われているような気がしています。
無駄なことはやりたくない。
最短距離を最高速で駆け抜けたい。
その気持ちはよくわかります。
ただ、それによって出来上がるものは、画一的なものなのでは?
僕はそう思ってしまいます。
これはマネジメントも同様です。
型に嵌めたい欲望は僕にもよくわかります。
でも、それで出来上がった人と僕は仕事をしたくはありません。
チェックリストから外れる人を尊ぶようなマネジメントをしていきましょう。