上昇志向のない若手をどうマネジメントするか?

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上昇志向がない人間が管理職に

「近頃の若者は…」というのはいつの時代にも繰り返されてきた言説だ。

その文脈の中で語られるものの1つに「近頃の若者は上昇志向がない」ということがあると思う。

今回はそのことについて書いていく。

若者でもない自分自身がそもそも「上昇志向」がないので、自分のことを書いていくとこの若者たちの気持ちがわかるような気もする。

ここで言う「上昇志向」という言葉には、「出世したい」というような権力欲や、「買いたい」という物欲や、「モテたい」という色欲みたいなものが含まれていると思う。

出世すれば給料が上がるし、給料が上がれば欲しいものが買えるし、ある程度女にもモテるだろう。

でもそれに付帯する「面倒なこと」も比例的に増えていく。

これを天秤にかけた場合に、多くの若者はこの「面倒なことを避けたい」が勝つのだと思う。

実際に僕もそうだった。

はっきり言って、管理職になる時は嫌で仕方なかった。

もちろん昇格させてもらったこと自体にはとても感謝しているし、その人に対しては足を向けて寝られないくらいの恩義を感じているのだけれど、「これは困ったな…」というのが僕の気持ちでもあった。

これは僕自身が自分のペースで仕事をしていたいという性分であり、責任を負いたくないという逃げの気持ちや、自分の心の度量への自信のなさ、というものが含まれていた感情だったと思う。

昇進すればするほど面倒なことも増えてくる

5年を経た今でも、管理職に向いているとは全く思えないし、「これから更に上を目指していくぜ!」みたいなギラギラした気持ちもない。

上に行けば行くほど、その種の「面倒なこと」は増えていくだろうし、なんというか気ままに働いていたいという気持ちが僕にはある。

そういう意味では、僕は「上昇志向」を持てない若者にシンパシーを感じると言っても過言ではないと思う

(歳もかなり離れているので、「同一視しないでくれ」と言われるかもしれないけれど…)

僕は結局上昇してきたいというのは、承認欲求の一形態でしかなくて、それもどちらかというと、「カネ」や「名誉」や「権力」みたいな「オス寄り」の欲求なのだと考えている。

この種の欲望がないとは言い切れないけれど、そこに纏わりついてくる面倒事を勘案した場合、「大変そうだなあ…」という気持ちのほうが強くなってしまう。

それよりは、給料が少なくても自分の好きなように働いていたいし、仕事以外のものを大切にしていたい。

でも僕はマネージャーになってしまった。

ここに僕のマネージャーとしてのジレンマがある。

楽しそうにはとても見えないマネージャー達

はっきり言ってマネージャーは面倒な仕事だ。

常に人間関係がついて回る。

人間関係というものに対峙しないと、成果は出ない。

かといって、人間関係に対峙したからといって、成果が出る訳でもない。

そしてそんなに給料が良い訳でもない(これは会社によって違うだろうけれど…)。

更に言うと、僕だけでなく、多くのマネージャーも楽しそうに仕事をしているようには見えない。

皆死んだような顔をして働いている。

それを見た若手が「現状維持」になるのは仕方ないような気もする。

「ああはなるまい」と思うのは当然のことのような気がする。

そういう状況下で、そういう若手がたくさんいる組織で、マネージャーは仕事をしなくてはならない。

そこに対して不満を言っていても、現状は変わらない。

だから、そういう人達をマネジメントしていくことをデフォルトとして考えた方が良い。

白けた職場で、上昇志向のない人たちと共に働くということ

あなたもきっとそういう状況でマネジメント業務に勤しんでいるはずだ。

上司からはケツを叩かれ続けているけれど、部下はみんな白けていて、昭和時代のような一体感を求めるのは不可能だ。

そこで必要なのは「仕事は仕事でしかない」という割り切りだと思う。

「部下は部下でしかない」「職場における関係性でしかない」という冷めた目だと思う。

僕はその部下自身ではないので、別にやる気がなかろうが、上昇志向がなかろうが、そんなものは知ったこっちゃない。

そいつが仕事に対して充実感があろうがなかろうが、そんなものは関係ない。

それはそいつの問題だ。

一方で、マネージャーはそういう人を上手く使いながら成果を上げなければならない。

そういう人を「変える」のではなく、その状態を「活かして」「使う」しかない。

そういう意味では僕は冷たいマネージャーであると思う。

でもその冷たさがなければ、はっきり言ってこの時代にマネージャーなんてやっていられない。

期待すれば疲れるだけだ。

だから何も期待せずに、仕事にやりがいなんて求めようとせずに、その特徴を活かすことに全力を注ぐ。

ありのままの状態で、「どこが使えるのか」を徹底的に洗い出す。

人間性がどうとか、好き嫌いとか、そんなものは関係ない。

どこが「戦力になるのか」を冷徹に見る。

それを組み合わせる。

それだけだ。

偶然を期待しながら(期待しないで)仕事をする

そういう冷めた人間関係の中で仕事をしていく。

僕もそうだし、彼らもきっとそれを望んでいる。

寂しさがないと言えば嘘になるが、きっとそれでいいのだと思う。

「熱さ」は不要だ。

その中で1人でも共感できるような部下がいれば、そういう部下ができれば、そいつに対して自分の中に残っていた情熱を注げばいい。

そういう部下とは上司部下関係を離れてもつき合っていける。

そのくらいのスタンスで良いのだと思う。

少なくともそもそも「上昇志向」がない僕に「上昇」を強要できるはずもない。

でもそんな僕を見て、「仕事って楽しいかもしれないな」と思ってくれるのであれば、こんなに嬉しいことはない。

そんな偶然を期待して。

いや、期待しないで。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

上昇志向という言葉には、(最近特に)傍若無人とか自己利益の追求のようなニュアンスが付いてしまっているような気がしています。

そのような「はしたない」大人たちを見て、若手が「ああはなるまい」と思うのは自然なことだと僕は思っています。

それに組織内における上昇がどれ程の意味を内包しているのか、という根源的な問題もそこに加わって、「働き方」自体の概念が大きく変わってきているのが現在ではないか、そんな風に考えています。

組織という枠に囚われず、仕事というものに真っすぐに向き合っていくのが理想ではあるのですが、それもなかなか難しい。

目に見える範囲で、手の届く範囲で、いい仕事ができるように頑張っていこうと思います。