キャリアとしてマネージャーを経験することは有用か?

マネージャーの次のステップとは?

今回のタイトルは現在時点の僕自身が一番疑問に思っていることだ。

だから結論というものはなくて、ただの思弁的なものを書き連ねるような形になるはずだ。

次のキャリアの方向性について僕は今悩んでいる。

マネージャーを5年間経験して、次をどうしたらいいのか、よくわからないでいる。

もちろん僕は一介のサラリーマンなので、会社が人事的に決めたらそれに従うだけなのだけれど、それでも方向性というか、意思というか、どうなりたいか、について考え続けている。

そもそもの話として、僕はこのマネージャー職というものも希望していた訳ではない。

会社としてある程度の年齢になれば管理職になるのが当然でしょ、という考え方があるので、管理職になったに過ぎない。

もっと言えば、今の職だって、この職業に就きたい、という明確な意思があったわけではない。

色々な会社に就職活動をして、たまたま受かった、それだけの話だ。

そういう意味では、自分の意思で、積極的にキャリアを選んでいく、という考え方自体が僕には全く当てはまらないのかもしれない。

ただ流されるままに生きている。

そんな感じだ。

たぶんそんな人間だから今後のキャリアについても明確にならないのだろう。

マネージャーを経験して身の程を知った

「どんどん出世していって、部長や社長を目指す!」みたいな野望は僕にはない。

というか、器的に不可能だと思っている。

それがマネージャーをやってみてわかったことだ。

身の程がわかった。

そういう意味では、本稿のタイトルに対する答えとしては「有用だ」と言うことができる。

色々なことを書き連ねてきたけれど、マネジメント業は換言すれば「人をいかに効果的に動かすか」ということに尽きると思う。

そして当たり前の話であるが、人を動かすには人間をよく知らなければならない

人をよく知るためには、ある程度時間軸を長めに取る必要がある。

それがマネージャーになって僕が理解したことだ。

もちろん、マネージャーでなくとも、仕事というものは他人との協働関係の下で進められることには変わりはない。

でも、マネージャーというのは、その仕事上の協働関係以上に踏み込んだ人間関係に触れなければ、成果を出すことはできない。

そしてその踏み込んだ人間関係は、流動的でドロドロとしている面倒くさいものだ。

更に言えば、個々人の価値観やベクトルは多種多様で、そのキャリアの背景や今後の展望もそれぞれ異なっている。

そんな人たちをどうにかして同じ方向に向かせて、目標に向かって動かしていく、それがマネジメント業だ。

綺麗ごとだけじゃない。

冷徹な論理と、温かい感情と、その両方がなくては務まらない。

それは実際に経験してみなければわからないことだ。

「自称」本物のマネージャー

そして、もう少し付け加えるとするならば、それを体得している人とそうでない人の見分けが付きづらいということだ。

「本物」のマネージャーと「偽物」のマネージャーがいる。

でもそれをキャリア的に、対外的に証明するものはない

「自称」本物として、説明するしかない。

そういう意味では、マネージャーのキャリアというのは社内的な有用性しかないのかもしれない。

転職市場においてそれがどのように評価されるのかはわからないが、個人的には評価されづらいものであるように感じている。

専門的な、他社横断的なものではない気がしている。

だからこそ、僕は悩んでいるのだろう。

僕はマネージャーとして成長したのだろうか?

この5年間のマネージャー経験は、少なくとも僕自身の主観的なキャリアにおいては物凄く重要な期間だった。

僕はマネージャーを経験してビジネスマンとして大きく幅が広がったと思っている。

それは断言できる。

でも一方で、それを客観的に疎明するものは何一つない。

5年前の僕と、今の僕の違いをどのように説明したらよいのか、それがよくわからない。

計量的でもないし、免状が貰えるわけでもない。

ただ僕が、自分でそう言っているだけに過ぎない。

自分では「本物」だと思っているけれど、誰かが証明してくれている訳でもない。

手に職というか、汎用性のある職種の方が、キャリア形成上は有利であるように感じている。

僕が今手に持っているものは、抽象的で観念的でふわふわしたものに過ぎない。

それを大げさに「有用です!」と吹いて回っているだけに過ぎない。

それが一番の悩みどころだ。

結局盆百なマネージャーの一人でしかない自分

だからこそこのブログを始めて、言語化することで何かがわかるかもしれないと思っていたけれど、わかったのはとても曖昧なものの総体でしかマネジメント業を説明できないということだ。

というか、人間を効率的に動かすのがマネジメントだと定義している時点で、それは自明だったのだろう。

人間は曖昧な生き物だ。

それを扱うのがマネージャーだ。

大変な仕事ではあるものの、それなりにやりがいもある。

そしてある程度の成果を出してきた自負もある。

でもそれらは「自称」に過ぎない。

そしてその微細な差異をわかる人は多くない。

あまたの盆百なマネージャーと一緒にしないで欲しいと思いつつも、きっと僕もその1人に過ぎないのだろう。

それが僕の現在位置だ。

案の定、纏まりのない話になってしまった。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

最近はマネージャー業について考える際に、戦国時代や三国志の武将のようなイメージを付帯させることが多いような気がしています。

一兵卒であった人が軍功を立てて、武将になっていく。

その武将がたくさんの人達を率いていく。

彼らを手足のように動かしながら、大きなミッションを達成させていく。

武将に様々なタイプがいるように、マネージャーのスタイルもそれぞれで良いと思っていたのですが、そこで本質的に求められるものが人間としての器の大きさ(人間性)であることがわかってから、「ああこれはオレには無理だ」と感じてしまっているのが現在の立ち位置です。

力量を外形的に明示するものは何もない中で、自信を喪失しながら、僕は今日も優秀なマネージャーを「自称」し続けています。

迷っているマネージャーの方たちに共感していただける部分があれば幸いです。