腹落ちしていないのなら言わない方がいい

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信頼は1日にして成らず

人間というのは不思議なもので、その言葉が本心から出たものなのか、そうでないものなのか、ということを結構な確率で正しく見分ける。

その瞬間瞬間は成否の判断をしていなくても、無意識下ではそのプロセスは確実に進行している。

その積み重ね、エビデンスの累積によって、言葉を発した人物が信頼に足る人物なのか、そうでないのか、を判断するようになる。

そして一度定着したその人間観はそう簡単に変化しない

この人の言うことは(どんな言葉でもある程度は)信頼できる、この人の言うことは(どんな言葉も大体は)信頼できない、というように固定化していく。

更に悪いことには、凋落は簡単に起きるが、挽回はなかなかできない、ということだ。

言葉の通り、信頼は1日にしては築けないし、一瞬にしてなくなってしまう。

そんな脆く儚い信頼性というものをどのように維持していくか?

それが今回のテーマだ。

無理やりにでも自分を納得させるよう苦闘する

僕が心掛けているのは「自分で腹落ちしていないことは言わない」ということだ。

これは「自分の思っていることは全て本心だ」ということを意味しない。

そこまで硬直的になってしまうと、マネージャーは何も言えなくなってしまうからだ。

マネージャーは組織の意向を代弁しなければならないことが往々にしてある。

そしてその組織の意向はマネージャー個人の考え方とは異なることが多い。

その葛藤の中でマネージャーは部下を効果的に動かして成果を上げることを求められる。

青臭い理想論だけでは生き残っていくことはできない。

ではどうするのか?

自分を腹落ちさせるように「持っていく」のだ。

そしてそれすらもできないことは言わない、という原則を設けるのだ。

ある組織の意向に対して、最大限良い方に解釈して、自分自身を何とか納得させるような方向に持っていく。

自分の言葉を最大限活用して、組織の意向を換骨奪胎して、無理やり腹落ちさせる。

そこには目には見えないけれど、マネージャーの苦闘の跡が残る。

その苦闘の跡が言葉に重みを加える。

すると、部下の方では「ああ、マネージャーも本心ではそう思っていないけれど、組織的にはこれをやらないといけないのだな。じゃあ、本意ではないけれど、やってやるか」というように解釈してくれる。

これを日々繰り返していく。

こうして信頼できるマネージャー像が出来上がっていく。

それでも越えられない一線は越えない

こうなればチームマネジメントの第1章は終わりだ。

良いスタートを切れる。

後はそれを持続していくだけだ。

でもそれは簡単なことではない。

時に、どのように言葉を駆使しても自分を納得させられない指示が下りてくるからだ。

この指示に対しても自分を騙せるように努力するのだけれど、どうしても越えられない一線がある場合には、この線は越えない方が良い。

それによって組織や上司に睨まれるような事態になったとしても、だ。

これは難しいのだけれど、チームマネジメントの射程というのは存外長い。

無理やり納得できない指示を飲み込むことは、組織や上司に対してはプラスに働くが、チームマネジメント上はマイナスに作用する。

その悪影響はじわじわと効いてくる

その指示内容の開始や終了時にはそれは見えないくらい微細なものだけれど、毒物が全身に回るようにチームの動きが悪くなっていく。

その変化はとても緩やかなものなので、「調子が悪いのかな」「外部環境のせいかな」というようになかなかそれが原因だと気付くことができないのが厄介なところだ。

そして気付いた時にはチームはガタガタになっている。

少なくともどんなマネージャーの言葉も部下には響かなくなっている。

前述したように、そこからの挽回は不可能に近い。

マネージャーを交代させるような外科手術的なことを行わないと、チームの状況を改善させることはできない。

そしてこれがまた組織の狡いところなのだけれど、このような状態になったとしても、組織や上司がその責任を取ることは「絶対にない」。

その上手くいかない要因はすべてマネージャーのせいになる。

簡単に言えば、「ダメなマネージャー」という烙印を押される。

元々は組織や上司の意向を叶えようとして、自分を殺してまで意向を遂行しようとしたはずなのに、そんなことは1ミリも酌量されない。

梯子を外されて、地獄の底まで真っ逆さまだ。

最後の拠り所となるのはチームだ

5年間マネージャーをやっていてつくづく思うのは、マネージャーを助けてくれるのは組織ではなく、チームだということだ。

もちろんこれは全てチームの方を向いてマネジメントをすべきだ、というような子供じみた話ではない。

でも組織とチームの間に立たされるマネージャー業務においては、最後の最後における拠り所はチームからの信頼感だということを念頭に置いておいた方がいい。

上司や組織は、それこそトカゲのしっぽ切りのようにマネージャーを簡単に断罪してくる。

責任を擦り付けてくる。

言いがかりのようなそんな場面において、自分を抗弁してくれるのは、チームの成果であり、チームメンバーだ。

そういう矜持を持ちながら仕事をしていれば、マネージャーは必ず成果を出すことができる。

成果を出せば、簡単にマネージャーを切ることなんてできなくなる。

辛ければ辛いほど、キツければキツいほど、僕はこれを呪文のように唱えながら仕事をしている。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

ビジネスの現場において、自分の言葉に責任を持つ、ということはあまり重要視されていないのかもしれません。

みんな軽薄な言葉を駆使して、空中戦を繰り広げています。

そしてその結果責任には誰一人として取ろうとしません。

そういう意味では、言葉に重みを付けられるマネージャーというのは、それだけで価値があるように思われます。

どんな仕事でもそうですが、差別化というポジショニングはとても有用だからです。

「変な奴」というのは言わば誉め言葉です。

ブルーオーシャンでどんどん遊びましょう。