ハラスメント・マネージャーたち

「管理職=偉い」わけではない

パワハラ・セクハラで苦しめられている人が未だに後を絶たない。

この原因の大半は、マネージャー(中間管理職)がロクでもないことによるものだと僕は思う。

(あまり世代論は好きではないが)自分がその管理職の立場となり思うのは、一定年齢以上の世代のマネージャー達は「勘違いしている」のではないか、ということだ。

端的に言えば、「管理職=偉い」と思っているかのように僕には見える。

身分制社会のように、管理職になれば仕事以外の面でも自分の方が上、下の者は思い通りに使っていい(捨ててもいい)ように、思っているように見える。

彼らの言動や行動を見るたびに、「今は江戸時代ですか?」「あなたは武士(斬り捨て御免)ですか?」と僕は思う。

いや、マジで。

体育会系部活を引きずる人たち

管理職なんてものはただの「役割」でしかなくて、「偉い」訳でも「立場が上」な訳でもない。

ずっと営業マンとして働いてきた僕からすれば、何の稼ぎも生まない「コスト」でしかない。

そういう自覚が僕には少なくともある。

そういうある種の自責の感情を抱えながら僕はマネージャーをしている。

だからこそ、勘違いしているマネージャー達への違和感は止まらない。

未だに体育会系の部活の「先輩が偉い」「4年生は神」みたいなイメージを社会人になっても続けているような人がマネージャーを気取っている。

そういう奴に限って仕事が全然できなかったりする。

いや、「そういう奴だからこそ」パワハラ・セクハラをしてしまうのではないか?

今日はそういう話だ。

満たされない感情がハラスメントを生む

儒教の考え方は、「(年)上を敬うことであって「(年)上は敬えではないと僕は思う。

矢印の方向性が違う。

あくまでも下から上への矢印だ(その逆ではない)

下の立場から見て、上の者を大切に扱うというあくまで能動的なものであって、それは強制されるものではない

でも、能力や人望がない上の立場の者はこの下から能動的な矢印を感じることができない

そこに満たされない思いが生じる。

「オレは尊重されて然るべきなのに、そのように扱われていない」という欲求不満が生じる。

本来はその時点で自責すべきであるのだけれど、自意識が肥大化しているこの種のマネージャー達は、それを下の者のせいにする。

捻じれた感情がパワハラやセクハラという形で具現化する

鬱屈した感情の捌け口として。

マネージャーは確かに褒められない、けれど…

マネジメントという仕事は成果がわかりにくい仕事だ。

手触り感が乏しい職務だ。

チームが好業績を上げたところで、それはマネージャーの手柄とはならないし、日々強いストレスにさらされるし、部下のケツは拭かなきゃならないし、確かに鬱憤を晴らしたいという気持ちになるのもわからないでもない。

「あんなに苦しい思いをしてマネージャーになったのに、なぜこんな仕事をやらされているのか?」

そう思う感情に僕も共感しないわけではない

本当に日々辛いことばかりであるのも事実だ。

でも、それを自分より弱い立場の者にぶつけるのは筋違いであると思っている。

私生活の恨みもON

もう少し言うと、その仕事面での欲求不満感情に加えて、私生活での満たされなさを載せて、それを解消しようするから余計に厄介だ。

そこには恨みつらみが全て乗っかっている。

人生の報われなさが累積されている。

「妻には煙たがられているし、娘には嫌われているし、もう出世も大して望めないし、仕事でも成果が出ないし、給料は安いし、ボーナスは下がるし…」

そんな風に僕には見える。

下り坂の時代を生きてきたので…

先程の世代論を絡めて言うのであれば、僕の感覚と違うのは、「自分はそのように遇されて当然だ」という感情だ。

たぶん彼らは「いい時代」の残像を追っているのだろう。

高度経済成長バブルも僕には関係のない話だ。

生まれてからずっと右肩下がりの時代を生きている。

人生なんて「その程度のもの」で、有り合わせのもので満足するしかないよね、とある種達観している。

自分の身の程も知っている。

他人を押しのけたり、羨望を集めたり、そもそもそういう欲望がない

もう少し冷めた言い方をすると、そんなに他人に対して興味がない

ハラスメントをするほど、他人に関わり合いたくない

僕の問題と彼の問題は違う

できない部下は僕にとってはデフォルトで、その「できなささ」僕の問題ではなく、彼の問題だ。

それを「マネージャーなんだから何とかしろ!」と言われても、「はいはい」とは言うものの、正直僕には関係のない話だ。

そういう意味において、僕には彼を叱責する理由がない。

パワーを行使する意味を感じない。

淡々とそのメンバーを使って成果を上げることが僕の仕事であり、彼らのようにウェットな人間関係は不要だ。

僕とそのできない部下はあくまでも職場における一時的な関係で、仕事上たまたまそこに居合わせたに過ぎない。

もちろん仕事なので最善は尽くすけれど、それはあくまでも仕事なので、それ以上もそれ以下もない。

当然、私生活も関係ない。

それで成果が上がらなければ、僕の能力が足りない訳で、首にしてもらって構わない。

僕はそう考えている。

仕事と感情を切り離す

このように僕はとてもドライで冷たい人間だ。

でもたくさんのハラスメントの記事を読むたびに、「どっちがいいのだろう?」と思うのも事実だ。

「こういう風潮が日本社会をダメにしてるんじゃないか?」とすら僕は思っている。

欧米礼賛に与するわけではないけれど、もう少し仕事というものを「感情」から切り離した方がいいのではないか、と僕は考えている。

仕事は仕事でしかない

でも仕事というのは大切な人生の一部でもある。

適切な距離感を保ちながら僕はこれからも仕事をしていこうと思う。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

みんな他人に興味がありすぎ。

そして暇すぎ。

僕は色々なウェットな現場を目にしたり耳にしたりするたびにそのように思います。

満たされない生活を送っている人は、自分の相対的なポジションを把握することでしか、幸福を感じられないのでしょう。

そして相対的なポジションを上げる為に、自助努力するのではなく、相手を貶めるという安易な道を辿ってしまうのでしょう。

僕はウェットな人間関係が苦手ですし、威圧的に振舞えるほど自分に自信がありません。

他人は他人でしかないという冷たい人間観も持っています。

でもだからこそマネージャーには向いているのかもしれません。

ハラスメントに悩んでいる方には本当に同情しますが、僕みたいなマネージャーがいることも事実です。

この状況を少しでも変えられるように、僕はこれからも淡々と成果を出していくつもりです。

めげずに頑張っていきましょう。

(というか、相手が本当に相手にするに値しない場合は逃げることも必要だと思います。

 下らない人と関わるのは本当に消耗するので)

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