自分に甘い人たち

戦略が上手くいかない時の振る舞いとは?

マネージャーには戦略と戦術が大事だとこのブログの最初の頃に書いた。

では、その戦略や戦術が上手くいかなかった時にはどのようにすべきなのか?

マネージャーとしてどのように振舞うべきなのか?

それを今回は書いていこうと思う。

強がりと祈りの混合物

人間の性として、自分には甘く、人には厳しくなりがちだ。

特に思い入れのあるやり方に対しては、客観的な視点が欠け、主観的な思い込みが強くなる。

もう少し嫌な言い方をするのであれば、その主観性には「祈り」が混じる。

こうなったらいいな、というような願いみたいなものも含めて論旨が展開されがちになる。

もちろん、完全に第三者的な観点から、自分の戦術なり戦略の評価を行うのが難しいことは事実だ。

でも、「第三者が自分の戦略を評価するなら、どのように評価するだろうか」というような視点を持っていないと、それはただの「強がり」になってしまう。

「強がり」と「祈り」の混合物。

そんなもので継続的に成果なんて上がるはずがない。

戦略の過大評価

僕にはとても不思議なのだけれど、戦略が上手くいかない時に、その要因が自分にあるのではなく、外部にあるとするマネージャーはとても多い。

その反面、上手くいった時には大げさに自分の手柄としたがるから厄介だ。

成果は過剰に、原因は過少に、見積もられる。

要は戦略の過大評価が行われる。

結果として、あまり効果的でないその戦略がダラダラと続けられることになる。

いや、むしろ、その戦略に適合するようなことが無理やり行われるようになる。

完遂度の欠如という呪い

それは一種の「呪い」のようなものだ。

自分の戦略を成就させる為に、無駄なことが行われるようになる。

無駄なことが行われるようになれば、当然どんどん成果は上がらなくなってくる。

成果が上がらないので、更に自分の戦略に固執することになる。

負のスパイラルだ。

井の中の蛙、というか、裸の王様、というか、とにかくマネージャーとそれ以外の人(上司やメンバー)の戦略に対するギャップが大きくなってくる。

でもマネージャーは「これが正解なのだ」と言い続ける。

「成果が出ていないのは、お前たちがオレの言う通り戦略を実行できていないからだ。きちんと戦略を完遂すれば成果は必ず出るのだ」

このようにその戦略の「完遂度の欠如」が原因だと言い始めるようになる。

段々と周りの人間も口出しできないような状況となる。

本当はすぐにでもその戦略をやめて、違うことを始めるべきなのに、どんどんとその切り替えが遅くなっていく。

それが変わるのはマネージャーがいなくなった時だ。

そしてその後には荒野が拡がっている

成功は自分のおかげ、失敗は誰かのせい

僕は日本のマネジメント層に欠けているのは「検証」というプロセスだと思っている。

新しいことをみんなやりたがるし、やり始める時には大風呂敷を広げる。

上手くいっている時は別に構わない。

声高にその実績を喧伝すればいい。

でも、上手くいかない時には「それがなぜ上手くいかなかったのか」ということをもっと注意深く検証すべきだ。

現状においては何らかの「アクシデント」によって失敗したという毒にも薬にもならない総括が多い

「想定外」という言葉が示すように、我々(日本人)は未来のプロセスを詳細に描く能力があまり高くない。

このような事態になったらこうする、というような工程表を予め決めておくことができない。

その時はその時、なるようになる、みたいな思考を持ってしまいがちだ。

でも、その検証のプロセスにこそ、宝物が詰まっているのだ。

しかしながら、それを蒸し返すことはタブーとされる。

「失敗」ではなくて「データ採取」と考えよう

たぶんここには「失敗は恥」というような文化的観念も含まれていることも影響しているのだろう。

上手く言えないのだけれど、変化の速い現代において、最初から想定通りに「当てる」ことは不可能に近い。

それはGAFAMと呼ばれるような企業においてだってそうだ。

たくさんの失敗したサービスの上に現在の事業がある。

そういう意味において、「仮説」→「検証」というプロセスが速く回っているのだろうと僕は思う。

何らかの試みを行うのは、「実験」の一種であって、正確な「データ」を取る為に必要なプロセスなのだ。

それは「失敗」ではない

その違いがあまり理解されない。

上手くいかなかったものは「失敗」とラベリングされてゴミ箱に入れられる。

そして全く関係ない「新しい」ことをやり始める。

以下繰り返し。

それでは何の進歩もない

戦略を磨く為に

僕は上手くいかなかったことを上手くいかなかったという現実として受け止める必要があると思っている。

それをしないで、たくさんの言い訳を並べたところで、チームの向上はない。

リバースエンジニアリングではないが、その失敗した要因を自分なりに分析して、戦略をブラッシュアップしていく。

また新しい仮説を考えて、それを実践してみる。

そうやって戦略というものは磨かれていくのだ。

強がっても祈っても成果は出ない。

成果は実験とデータの積み重ね、試行錯誤の上にやってくるものだ。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

僕たち日本人は未来を詳細に想像することが不得手であるのに、失敗はしたくない、という(どうしようもない)欠陥を抱えているような気がします。

ではそのような欠陥をデフォルトとして僕たちにできることは何なのか?

その1つの解が「データを取得する」という考え方であると僕は最近思っています。

「これは実験で、そのデータを採取しているだけだ」というある種の免罪符を与えることで、僕たちは失敗恐怖症から逃れることができるのではないか、そんな風に考えています。

余計な忖度はするくせに、「想定外」のことばかり起きてしまうのは、明らかに時代不適合的です。

失敗ではなく、仮説の検証(データ採取)というように捉えることができれば、僕たちの社会はもう少し生きやすいものになるはずです。

どんどん実験を行ってデータを増やしていきましょう。