共通言語の構築は困難だ

今回はあまり役に立たない話なので、パスしてくれて構わない

今日は愚痴めいた話になってしまいそうだ。

初めから断っておく。

マネジメントに関する話を期待してくださっている人には申し訳ないけれど、何か有用な話をできる自信がない。

なので、そういう人は今回はパスして頂きたい。

ただ一方で、今現在マネジメント業務を実際に行っていて、日々様々な理不尽さに直面している人には、同じような立場の人間がいるということを知ってもらうことで、慰めの一助になるのかもしれない。

相対的優位性を感じてもらう為の材料にはなるかもしれない。

まあ、何でもいい。

とにかく書いていこう。

共通言語という土台があってこそ言葉は力を帯びる

マネジメントにおいて、言語というものはとても大事である、と僕は考えている。

言語の使い方次第で、マネジメントの可能性というものは、ある種無限大に広がっていく。

歴史の教科書に出てくる偉人たちの言葉のように、それは人々を鼓舞させ、未来を想像させる。

実際にそれによって歴史が変わることだってある。

マネジメントというものを広範に捉えると、それは人を動かす術みたいなもので、そこには言語が必要となる。

もちろんここで言う言語というものは、それに付帯する熱量や想いみたいなものが含まれた総体(言霊みたいなもの)を指す。

そしてその総体をそのままの純度で伝える為には、双方に共通言語が必要となる。

共通言語という土台があってこそ、言葉というのは、言葉以上の力を発揮する。

前段を端折れるか

仲間内における隠語定型のパターンというのは、自分達が仲間である、ということを分かり易く伝える為の毛繕いみたいなものだ。

それが浸透していると、前段を端折ったところから話を始められる。

ただ、それが共通化していないと、この前段を話すところから話を始めなければならない。

今日の話はここが焦点となる。

話がスッと通る人と通らない人

ご経験がある方も多いと思うけれど、スッと話が通る人とそうでない人がいて、「そうでない人」に対してはこの前段を理解してもらうことに労力の大半を注ぐ必要がある。

本当は本題に早く入りたいし、その話が主題であるのに、その前のところに力を注がなくてはならないし、大抵の場合はそこで力尽きてしまう。

というか、面倒になってしまう。

何でこんなことすらわからないのか、と思ってしまう。

僕たちはいつまでも分かり合えない。

そんな日々に僕は疲れてしまった。

迷路に迷い込む言葉たち

僕の言葉は中空に浮かび、行き先を失って、ポトリと地面に落ちる。

そしてそこで朽ちていく

僕はその成れの果てみたいなものをじっと見て、でも何とかこの感情や状況を伝えたいと思って、更に言葉を尽くす。

でもその言葉も迷路に迷い込み、出口を見失う。

あるのは「理解できない」という相手の凝視だけ。

光のない、ビー玉みたいな目がそこにあるだけ。

僕はため息をついて、その席から立ち上がろうとする。

没交渉だ。

無意味だ。

僕はそう思う。

言葉が届かない人は一定数存在する、そんなことは百も承知だけれど…

この世には言葉が通じない人が存在する

同じ日本語話者であっても、その言葉が届かない人というものが存在する。

そんなことはわかっていたし、今更改めて書かなくたって百も承知であった類の話だ。

ただ、あまりにも酷すぎる。

残るのは徒労感だけ。

浪費してしまった取り返しのつかない時間だけ。

シュールなサイレント映画

マネジメントに注力できる環境というものが如何に幸福であったか、最近よく思う。

僕の現在の仕事はマネジメント業務以外の、このような意思疎通・摺り合わせに忙殺されて(いや、それすらも包含するのがマネジメントなのかもしれない)、本当に疲れてしまっている。

僕は簡単な言葉をシンプルに使いたい。

忖度や配慮や遠回し、そういうものを取っ払ってしまって、早く先に進みたいのだ。

前段は不要なのだ。

いつまでもそこに留まっていたくないのだ。

ただ現状は踊り場にいるだけ。

シュールなサイレント映画みたいに、スクリーンの向こうで、僕は相手に向かって、熱心に手ぶりを交えて、熱弁を振るっている。

唾が飛ぶ様子が見えるようですらある。

相手は首を傾げたまま、訝しげに僕を見ている。

そして欧米人のように肩をすくめる。

嘲笑うような表情がその顔に浮かぶ。

「このアジア人は何を言っているのだ?」

僕は肩を落とす。

それぞれが違う方向に歩いて行く。

暗転と場面転換。

また僕は違う相手に向かって、同じ仕草を繰り返す。

相手も同じ仕草を繰り返す。

以下、繰り返し。

無限に繰り返し。

次回はもう少し役に立つ話を

きっと僕は疲れているのだろう。

そして見当違いの努力を続けているのだろう。

話せばわかる、なんて幻想だ。

共通言語の構築なんて、おとぎ話だ。

わかっている。

わかっている。

それなのに、なぜこんなに疲れるのだろう?

僕は青臭い幻想に浸って、叶いもしない夢想に酔って、無駄な努力を続けている。

いつか理解される時が来るのではないか、という甘い夢を捨てきれずにいる。

ただ、それも終わりだ。

幼児のようにいじけている訳ではないし、最善は尽くしたのだ。

僕にできることはやったはずだ。

あとのことはあとのこと。

僕のことではない。

次回はもう少し明るい話をする。

役に立つ話をする。

約束する。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

今回はだいぶ愚痴めいた話になってしまいました。

読み返してみても「疲れている」感じが伝わってきますし、本来的にはブログとしてアップすべき内容ではないのかもしれません。

でもマネジメントという業務の範疇には「こういうこと」も含まれていますし、むしろ「こういうこと」の方が心身には応えるのかもしれないな、それが参考になる(共感してくださる)人もいるのかもしれないな、と思って、今回は載せてみました。

もしあなたが「こういうこと」に疲れているとしたら、僕もその仲間の1人ですし、僕も同じように苦悩しています。

共に頑張っていきましょう。