ミスが多い方が良い組織である
自作自演
ミスが「多い」方が良い組織?
ミスが「少ない」ではなくて?
自作自演みたいな書き出しになっているが、そうなのだ。
書き間違いではない。
ミスが「多い」組織の方が良い組織なのである。
それはなぜか?
それはミスがミスという形状のまま、数多く正直に報告されているからだ。
そしてミスがミスという形状のまま、数多く正直に報告できるということは、心理的安全性が確保されている、ということだからだ。
今日はそんなことを書いていく。
ミスとは統計的事象である
僕はミス(人為的ミス)を確率論から考えている。
人間が行うあらゆる事象について、ミスは必ず生じるものだ。
もちろん、個人個人によってその精度は異なるけれど、試行回数が増えれば増えるほど、ミスの数自体は増えていくのが当たり前である、と考えている。
だから、ミスは絶対になくならない。
統計上そういうものであるからだ、というのが僕の思考の前提としてある。
ここをまずご理解頂きたい。
「生」のミスと「腐った」ミス
とすると、マネージャーがやるべき仕事というのは、ミスをなくすことではなくて、ミスがミスのまま早急に報告・共有される体制を構築すること、になる。
ミスというのは、「生」の状態であれば、大きな影響を及ぼすということは殆どない。
適切に対処すれば、それはすぐに片づけられるものである。
ただ、人間は弱い生き物であるので、往々にしてこのミスを放置してしまう(もしくは隠ぺいしてしまう)ことが生じる。
隠ぺいならまだマシかもしれない。
時に、それを改ざんしたり、嘘を混ぜ込んだりする。
すると、もうミスは「生」の状態ではなくなる。
色々な面倒くさいものが付帯し、「腐った」状態になる。
こうなってしまうと、対処はとても大変になる。
本当と嘘の境目がわからなくなるし、それぞれがそれぞれの形で進化を遂げるので、原型がわからなくなってしまう。
だから、マネージャーとしては、ミスをミスのまま、できるだけそのままの形で報告してもらう必要があるのだ。
ミスの大半は「ごめんなさい」でどうにかなるもの
もちろんミスは少ない方が望ましいとは思う。
でも先程書いたように、僕はミスは起きるものだ、と思っている。
そして、(やや図々しい言い方になるけれど)大抵のミスというのは「ごめんなさい」でどうにかなるものでもあるのだ。
これをできるだけ素直に言えるような環境を作ること。
これがマネージャーの仕事である。
心理的安全性の重要性
心理的安全性、については以前このブログ内(「心理的安全性を醸成する」)でも採り上げたので、詳しくはそちらをご参照頂きたいが、簡単に説明すると、「職場で何を言っても大丈夫だ(拒絶されたり、罰せられたりしない)」と思えるような心の状態のことを指す。
ミスがミスのまま報告されないのは、「怒られたり」「罰せられたり」すると思うからだ。
それもかなり激烈な形で。
だからミスが放置されてしまう。
責任感の強い人や、完璧主義の人ほど、このような傾向に陥りがちである。
でも、それはマネージャーの普段の振る舞いによってある程度は抑制することが可能である。
それは簡単に言えば、ミスを報告された時に「普通」でいる、ということだ。
棒読みでミスを受け入れる
モノの本によれば、ここで「ミスを報告したこと自体を褒めなさい」ということが書いてあったりするけれど(そしてたぶんその方がいいのだろうけれど)、僕の場合は正直言ってそこまではできていない。
「あ、そうなんだ(棒)。じゃあどうしようか」というような感じ、他の仕事と変わらないような感じ、で受け止めることが多い。
それはそのように意識していないこともないけれど、どちらかというと、本当に「まあ、ミスなんてものは起こるよね」と心から思っているからである。
そして、自分の力をもってすれば、対処することは簡単である、と考えているからである。
(もう少し嫌らしい言い方をすると、僕の場合は自分の昇進というものにあまり重きを置いていないので、部下がミスしたところで、それが自分のマイナスになるというように考えない、のが一番大きな要因なのかもしれない。上昇志向の強い上司ほど、部下のミスを嫌がるからだ)
粛々と対処すること
あまり褒めたものではないが、僕自身担当者時代にはたくさんのミスをしてきた。
それこそ信じられないようなミスもしてきた。
その時の心の状態というものは、たぶんどのマネージャーよりもわかっている。
だから、正直言って怒れるほどの立場ではないのだ(共感はするけれど)。
マネージャーのすべきことは、ミスを個人の責任にすることではなくて、組織の問題に置き換えて、それに粛々と対処することである。
そしてそれを次回以降の教訓とすることである。
そういうことが「当たり前」の環境であれば、ミスというのは小さいものを含めて数多く報告されるようになる。
逆に言えば、組織において心理的安全性が確保されてないと、ミスが表に出てくることは少なくなる。
更に言えば、その1つ1つがとてもヘビーになる。
あなたの職場の健康度はミスの(報告の)数によって測ることができるのだ。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
マネジメントにおいて怖いのは、熟成され発酵された状態で事後的にミスが露見することです。
本文にも書きましたが、この状態からリカバリーするのはとても難しい。
だから、普通の会話と同じようにミスが出てくることが望ましいと僕は考えています。
「てへぺろ」で良いとまでは言いませんが、そのくらいの軽さを持ってミスが出てくる環境の方が、仕事の質も上がってきます。
1つ1つのミスに対して感情を波立てることなく、平常心で対処していきましょう。