老害上司ジャングルで生き抜く術

老害上司はたくさんいる

人口ピラミッドのせいなのか、高齢化社会の影響なのか、要因はよくわからないけれど、世の中には「老害上司」が溢れている。

ここで言う「老害上司」というのは、過去の武勇伝など自慢話ばかりする上司、自分のやり方を押し付けてくる上司、仕事を丸投げしてくる上司、のことを指す。

世代論はあまり好きではないけれど、この種の上司は「日本の景気が良かったころに社会人を経験していた層」に多いような気がする(たまたまその層が現在マネージャー層になっているからかもしれないが)。

明らかにもう若いとは言えない僕でさえ、彼らの言動・行動には日々うんざりしているので、もっと若い世代からすれば、腹立たしくて(鬱陶しくて)仕方がない、意味がわからない、というのが実感だろう。

でも会社というジャングルには、そのような「老害上司」がたくさんいる。

今日はそこで生き抜く術を書いていく。

最初の上司が老害上司であることの憂鬱さ

会社の人口構成によっても違うのかもしれないけれど、僕の体感では、10人のうち8人が「老害上司」と言っても過言ではないと思う。

だんだんとその辺の世代が退職に伴って少なくなり、代わりに若い世代がマネージャーになりつつあるので、たぶん減ってはきているのだろうけれど、それでもまだまだ「老害上司」の割合はかなり多いように感じている。

若い世代が会社に行きたくないと感じるのは、この手の「老害上司」が最初の上司であることが原因の1つである、と僕は思っている。

(会社における)初等教育が大事であると考えている僕からすれば、最初の上司がこの手の「老害上司」であるということは、新人の将来を潰していることと同義であって、その新人が上司の振る舞いを見て、会社に対して拒否反応を示すのは、むしろ自然な反応である気さえする。

若者だけのせいではない

「最近の若者はすぐ辞める」という議論がある。

それは、堪え性がない、とか、怒られ耐性がない、とか、若い世代にももちろん要因はあるとは思う。

そしてそのような人の割合が増えている、という印象は確かに僕にもある。

でも、だ。

一番の原因は、上司が尊敬できない、ということなのではないだろうか。

日本社会の理不尽が凝縮されたようなことが、それこそ毎日のように起きているのであれば、「そりゃ会社に行きたくなくなるわな」と僕は思うわけである。

ただそうは言っても、このような「老害上司」たちが明日から素晴らしい上司に生まれ変わる可能性はゼロに等しいわけで、そのような環境においても勤め続けなければならない人だっていると思う。

そんな人たちへのアドバイスを。

成果を上げろ。

乱暴な言い方になってしまったので、以下にもう少し詳しく書いていく。

不全感と承認欲求

「老害上司」が老害上司であるのは、彼らの不全感にあると僕は考えている。

「自分の実力は正当に評価されていない。私はもっと敬意を示されるべき対象である。だからそのように振舞いなさい。なぜなら…(過去の例証へと続く)」というのが彼らの思考の理路であり、端的に言えば、「もっと認めて欲しい」ということなのだ。

でも、そのように振舞えば振舞うほど、敬意の対象からは遠ざかっていくことを彼らは理解していない。

だから、余計にその行動が強化されてしまう。

気が付けば、誰も付いてきていない状態になっているのに、それが彼らにはわからない。

そういう意味では、彼らも被害者であると言えるのかもしれない。

残念ながら、日本組織においては実力が実力のまま正当に評価されることは少ない(いや、海外だってきっと多くはないだろう)。

過去辛い思いもたくさんしてきたのだろう。

そのルサンチマンみたいなものが、きっと上司になった時に立ち現れてしまうのだろう。

だからと言って、それを次の世代にぶつけるのはお門違いである。

それは自分で消化すべき事象であるからだ。

客観的かつ証明可能な成果を

話が逸れてしまった。

成果を上げろ、というアドバイスについての話であった。

『自分の上司が「老害上司」であるのはデフォルトであるので、それに対して嘆いていても何も変わらない。だから、そのことは取り敢えず受け入れて、誰から見ても客観的にわかるような成果を上げておくべきである』というのが僕の提言だ。

他人の評価など所詮「水モノ」である。

いずれその「老害上司」も変わる。

そして評価者は何もその「老害上司」だけではない。

だから目の前の「老害上司」に対して憤ったり、その行動を変えるように働きかけたりすることは無駄とは言えないまでも、あまり効果的とは言えない。

それよりは客観的で計量可能な成果を上げておくことに力を注いだ方が建設的である(転職の可能性も広がるし)。

甘くはないぞ?

たぶん、もう少ししたら、僕を含めたもう少し若い世代がマネージャー層になっていくだろう。

その時には、たぶん現状に比べれば、もっと建設的で意味のある仕事によって評価するような世の中になっているだろう。

その時に、手持ちの成果が芳しくないものであれば、ただの「できない奴」というレッテルを貼られてしまうだけだ。

僕は「老害上司」のように甘くはない

ただ、まともに働いている人をまともに評価したいだけだ。

いい仕事をしている人を「いい仕事をしているね」と評価したいだけだ。

いつかまたそこで会おう。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

自分がおじさん世代に足を踏み入れようとしているので、おじさんたちが働かなくなってしまう要因についても何となくわかるようになってきています。

それはまたどこかで書こうと思っていますが、彼らも日本の雇用環境や雇用制度によるある種の被害者であって(45歳定年論もこの議論に入るものでしょう)、それについてはある程度仕方がないのかな、と僕は思っています。

ただ、その恨みを他者(特に自分よりも圧倒的に力のない若者)に対してぶつけるのはお門違いであるとも思っています。

前向きに働くことは困難でも、若い芽を潰すことのないように僕も働いていきたいと改めて思った次第です。

共に頑張っていきましょう。