「やれよ!」でやるならマネージャーはいらない

UnsplashMaria Lysenkoが撮影した写真

マネージャーの存在意義とは?

今回の話は前回の続きである。

重複する部分もあるかもしれないが、お付き合い頂きたい。

結局のところ、マネジメントの本質は部下の行動変容を促すことである、と前回書いた。

それをもう少し違った表現に置き換えるなら、「やれよ!」という掛け声で実際に部下がやるのであれば、マネージャーはいらない、ということになる。

裏を返せば、「やれよ!」でやらないから、マネージャーがいる(必要になる)のだ。

これは文字で書くと当たり前の話のように聞こえるかもしれないけれど、重要なことである。

実際のところ、多くのマネージャーがやっているのは、「やれよ!」という号令だけだから。

それでは始めていこう。

楽なチームとそうでないチームの違い

部下が優秀であれば、マネージャーは不要である。

そんなことをずっと思っている。

マネージャーになってから8年くらいの月日が流れ、その間に様々なチームのマネジメントを経験した。

その度に、楽なチームそうでないチームの差について、否が応でも考えさせられることになった。

1人でも自分の意を理解してくれる部下がいればそのチームの運営は楽になるし、そうじゃないと色々と手を尽くす必要が出てくる。

そして、その手を尽くす際にも、何か大仰なことをやるのではなく、ちょっとしたニュアンスの違いだけでパフォーマンスを大きく変えることが可能である、ということが体感としてわかってきた。

もう少し言うならば、そうやって手を尽くせるマネージャーはそんなに多くないことも。

立場や権力に依存した号令だけ

僕から見えるマネージャーの大半がやっているのは、(やや極論にはなるが)「やれよ!」という号令だけである。

その言い方を変えるだけ、脅したり宥めたりすかしたり、そのバリエーションの違いをマネジメントと呼んでいるように僕には見えてしまう。

それもその人のパーソナリティ云々ではなく、立場や権力みたいなものに極端に依存している、というか。

それってあなたの感想ですよね?

ただ、この種の「権威型マネジメント」というのは、時代の変化と共に通用しなくなってきている。

それはZ世代を中心に、「なぜやらなければならないのか?」という至極当然な疑問や、「それってあなたの感想ですよね」という中身のない議論に対する反論が普遍的なものになってきているからだ。

その中で偉そうにするだけでは、「やれよ!」と号令をかけるだけでは、チームが良くなっていくことはない。

だったら、マネージャーはいらない。

僕はそんな風に思うのである。

北風と太陽。金と女と権力。

となると、マネージャーの存在意義は、そんな「やれよ!」という号令では動かない部下たちの行動をどうやって良い方向に変化させるか、ということになる。

これは言うは易く行うは難しである。

北風と太陽の寓話ではないけれど、やらせようとすると反発を招き、かえってやらなくなってしまうということは、日常的によく起こることであるから。

もう少し大きな話をするなら、仕事の存在意義自体が以前の時代と比べると希薄になってきており、金も女も権力も別にいらないよね、そんなのあってどうするの、という考え方が広がってきていることも関係しているように思う。

アメをもってしても、ムチをもってしても動かない人達。

それをどうやって動かしていくのか?

そこにマネージャーがいる意味があるのである。

完全成果主義ならマネージャーはいらない?

いや、そう書いたけれど、もしかしたら完全成果主義みたいな形であれば、仮にそうであってもマネージャーはいらないのかもしれない。

現状はやろうがやるまいが給料がそんなに変わらないから、多くの人たちはそこまで一生懸命働かないのかもしれない。

逆にやればやっただけ給与が変わるなら、部下は勝手に働くのだろう。

そういう意味では、大なり小なり成果主義型の給与体系の導入は理にかなっていると僕は思う。

議論がやや混迷してきたけれど、そうじゃないから、現在の給与体系が部下のモチベーションの上昇に寄与していないから、マネージャーがそこに働きかける必要が出てきてしまう、そういうことになるのかもしれない。

制度的に担保できるならそうしてしまえばいい。

でも、そうじゃないから、マネージャーがいる。

ここからはそれを前提として話を書き、まとめに入ろうと思う。

部下の腹の落とし所へのチューニング

マネージャーの仕事は、部下に腹落ちさせることである、と前回書いた。

「やれよ!」で動かすのではなく、どうやって腹落ちさせて自発的に動くようにさせるか、というのが我々の腕の見せ所である。

もう少し具体的に言うなら、部下それぞれによって、「腹の落とし所」は変わる。

刺さるポイントはそれぞれ異なる。

それをある程度チューニングしながら、部下に話をしていくのだ。

やる気よりも腹落ちを

ただそうは言っても、これは「モチベーションを喚起する」とはちょっと違うイメージなのである。

詳しくは別のブログをご参照頂きたいけれど、部下の「やる気」よりも「腹落ち」に注力した方が、現代のマネジメントにおいては有効であると僕は思っている。

どうやって部下の腹を落とすか?

それができれば、マネージャーは暇になるし、究極的にはいらなくなる。

それを願って。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

最近(というかずっと)僕が考えているのは、サッカーにおけるメガクラブの監督についてです。

超一流のプレイヤーが集まるサッカークラブでさえ、マネージャーが変わればパフォーマンスは大きく変わります。

言い換えれば、プレイヤーだけではダメ(マネージャーが必要)な訳です。

たぶん僕がこのブログの中で議論していることの大半は低レベルのマネジメントの話で、本来のマネジメントというのは、もっと違う能力なり資質が求められるのでしょう。

そういう仕事をしてみたい。

メガクラブを率いてみたい。

そんなことを夢想しながら、僕は今日もJ3で戦っていきます。

引き続き読んで頂けたら幸いです。