直接やり合わない若者たち
上手にケンカした経験がないのでは?
今日はおじさんから見た(独断と偏見に満ちた)若者論を書いていこうと思う。
僕はマネジメントという仕事を9年くらいやっているけれど、この3年くらいで特に強く感じるのが、「相手に対して違和感があっても、直接それを表明しない傾向」についてである。
これは字面だけ見ると、ある種「日本人的」であると言えなくもない。
でも、僕が言いたいことはそれとはちょっと違う。
「違和感や不満の表明を、第三者にはそれなりの苛烈さをもってする」ところにある種の病理みたいなものを感じるのだ。
これは「裏垢」みたいなイメージでもある。
表面的には和やかな関係性を築いているように見せながら、陰ではボロクソ。
もっと言えば、第三者的な人に対してはボロクソに言うけれど、本人には何もしない。
そのような傾向。
これは「上手にケンカできない」ことが関係しているような気がしている。
「上手にケンカした経験がない」こと。
それは割と社会で生きていく為には苦しいことなのではないか?
今日はそんなことを書いてみようと思う。
オレに言わないでよ
マネージャー経験が長くなるにつれて、同僚や部下が年下である割合が増えてきた。
そして、冒頭に書いたようなことを感じる機会が増えた。
それは良い意味で受け取るなら、「不平不満を打ち明けて貰えるような関係性を築けている」ということになるのかもしれない。
それくらい僕には様々な方向から、多種多様な愚痴が押し寄せる。
また、その愚痴の内容自体、全く的外れとも思わない。
それなりに妥当というか、まあ言わんとしていることはわかる、そんな感じの話ばかりである。
でも、ここで僕が疑問に思うのは、それをなぜ直接当人には言わないのか、ということである。
言い換えれば、なぜオレに言うのか、ということである。
以下、もう少し詳しく書いていく。
異なる意見を持つ者との断絶
人間が集まれば、不和が生まれる。
それはある種仕方のないことではある。
歴史の教科書を見なくても、人間がそのようなことばかりを繰り返しているのは明白ではある。
でも、近年の傾向には特徴があると思うのだ。
それは(やや誇張して言うなら)「異なる意見を持つ者は人格的に問題がある」「だから関わり合いを持ちたくない(どうせ言っても無駄だから)」という傾向である、と僕は思っている。
相手の主張を理解すること=妥協?
ここには「対話」がない。
もっと言えば、「相手の主張を理解しよう」とか「擦り合わせていこう」という発想すらないように感じられる。
そのような行為は「妥協である」と感じている、というか。
そして「妥協はよくないことだ」と考えている、というか。
これが継続すると、フィルターバブル状態というかエコーチェンバー状態というか、どんどん自分の意見に固執したり、心地の良いものしか許せないというような状態になっていく。
それならそれで没交渉のままでいればいいのに、と僕は思うのだけれど、相手サイドへの不平不満はやっぱりあって、第三者である人には言いたい(その人を取り込みたい)、というような傾向も保持しているから厄介なのである。
幼児性の発露
「相手を説き伏せるのでも、論破するのでもなく、意見が異なる者たち同士の間でも、それなりの折衷点を探ることは可能だ」
人間不信である僕ですらそう思うのに、どうも若者たちはそう考えてはいないように僕には見える。
そして、それを僕なりに解釈し、厳しいことを言うなら、そこには「幼児性」が潜んでいるということになるのかもしれない。
子どもが親に言いつけるように、問題を丸投げするように、彼(彼女)らはそのことに対して主体的に関わることを放棄しているように僕には見える。
でも、「解決した問題」という果実は得よう(得たい)と思っているというか。
これではリスクとリターンが合わない。
リスクとリターンが合わないということは、どこかでそのリスクを負っている人がいる、ということでもある。
そのような責任転嫁。
それを僕は幼児性と呼びたいと思う。
幼児的な管理職
そしてそのような幼児性を保持したまま、それなりのキャリアを重ね、その中には管理職になったりする人も出てきている。
ただ、その管理職同士が話をしても、全然着地点が見つからないのだ。
その結果、僕がその間に入り、仲裁役みたいなものとして扱われることになる。
それぞれの意見を聞き、「それってこういうことなんじゃないの?」と翻訳したり、「こういう話であれば納得的じゃないの?」と落とし所を探ったりする。
その度に、「なんかおかしいぞ?」と僕は思う。
そして、これって管理職としては結構厳しいのではないか、とも思ってしまう。
対人関係の失敗も大事では?
もちろん、寝技に持ち込むというか、日本人的な「中を取る」ということが、もろ手を挙げて素晴らしいことである、とは流石の僕も思わない。
でも、それなりの背景を持つ人たちが集まる会社という組織において管理職という仕事をするのであれば、好むと好まざるとに関わらず、そのようなスキルがあった方が有用ではあるように思うのだ。
そして、それは、(残念ながら)失敗することでしか身に付けられない種類のスキルでもある。
今すぐ身に付けることはできないかもしれない。
でも、上手にケンカできないことはやっぱりマズいことだよねとは思って欲しい。
僕はそう思うのである。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
スマートな若者たち。
「誰とでも上手に人間関係を構築できる」
そのような評価。
世間一般ではそうなのかもしれませんが、僕は眉に唾を付けながら、この話を聞いています。
というのは、「単純に踏み込んでいないだけじゃね?」と思ってしまうからです。
人間はある程度以上の距離まで近づくと、結構面倒くさいことになる。
でも、対話を重ね、その面倒くささを乗り越えると、たとえ嫌な話であったとしても受け入れて貰えるような関係性が構築できる。
このような経験が若者たちには(圧倒的に)足りないような気がしています。
にこやかに(ヘラヘラと?)過ごすだけなら誰でも可能。
でも、それだけでは仕事は成り立ちません。
上手にぶつかっていきましょう。