マネジメントって聴くことなんじゃないか?

UnsplashVincent van Zalingeが撮影した写真

能動性(話す)と受動性(聴く)

1on1の話題になると、一緒になってくっついてくるのが「コーチング」という概念である。

「コーチングこそが1on1の神髄である」みたいな感じ。

ただ、僕はこのコーチングが苦手である。

何度もトライして、何度も失敗した、どうにも自分には合わない、そういう印象を僕は持っている。

それが何故なのかをずっと考えていて、最近思い当たったのが、「コーチングというのは話すことなんだよな」ということである。

対して、僕が1on1において大事だと思うのは「聴く」ことである。

これは能動性受動性と言い換えてもいいかもしれない。

そしてそれは反対構造になっているとも言えるような気がする。

マネージャーにとっての能動性(話す)=部下にとっての受動性(聴く)

マネージャーにとっての受動性(聴く)=部下にとっての能動性(話す)

意味がわからないかもしれないけれど、今日はそんな話をしてみようと思う。

話すが3割、聞くが7割

僕は営業の経験が長い。

そして営業においてテンプレ的に言われるのが「話すのは3割、聞くのが7割(が良い)」ということである。

要は、自分がセールストークをガンガン展開するのではなく、お客様の話を聞きなさい、というのが、基本のキとしてまず教えられることだ。

ただ、これが出来る営業マンはそう多くない。

ましてや、「聞く」のではなく、「聴く」ことができる営業マンは殆どいない。

聴く為には好奇心が必要

ここには好奇心が関係していると僕は思っている。

先程のテンプレを部下に教えると、「ただ黙っていりゃいいんだろ?」とか「テキトーに相槌を打ってりゃいいんだろ?」と捉えたかのように、割合(比率)だけを気にする人が大半である(そしてそれすら出来ていないのだけれど…)。

でも、大事なのは割合ではなく、相手の話に関心を向ける行為そのものである。

そして、これは意識的にやるものでもない。

意識的に関心があるように装っても、それは十中八九バレてしまう。

もちろん、ある程度のスキルが身についてくると、これも自然「風」には出来るようになるのだけれど、それはあくまでも「風」であって、本当に関心があるかどうかによって、営業マンとしてその先に行けるかどうかは大きく変わってくるのだ。

マネージャーが部下の話を聴けるか否かで、チームの成果は変わる

これはある種の才能と言ってもいいかもしれない。

多くの部下と接してきて、それなりの指導経験を経てきて僕が思うのは、好奇心というのは先天的なものであり、それがない人はそれなりの所までしか行けない、ということである。

そして、それはマネジメントにおいても同様なのではないか、というのが今日の話である。

マネージャーが部下の話を聴ける(聞けるではなく)かどうか。

それがそのチームのその先(どこまで行けるか)を左右するのではないか?

僕は最近そのように考えている。

多くの部下は話を聴いてもらった経験がない

僕は毎週1on1をやっている。

そこで雑談ばかりをしている。

その度に、コーチング的な指導をきちんとした方がいいのではないか、ということが頭をもたげてくる。

駄弁っているだけでは何の意味もないのではないか?

そのように思うことがある。

ただ、9年近くもマネジメントという仕事をやってきて、それもコーチング的な試みを何度か試してみて(挫折してみて)僕が思うのは、こちらから何かを指導するのではなく、部下の話を聴くことが何よりも大事なことなんだよな、ということである。

尊大な言い方を許容して頂けるなら、それくらい部下というのは話を聴いてもらった経験がない、ということになるのかもしれない。

そして、話を聴いてもらうという経験は、チームへの帰属意識を生み、その部下の成長を促進する、とも思うのである。

部下の話に身を任せることが、部下の自発性に繋がるのでは?

これは冒頭に書いた能動性受動性にも繋がってくる。

マネージャーが話をするというのは(もちろんコーチングには聴く要素が多分に含まれてはいるけれど)、部下が聴くタームが増える訳で、もっと言えば、マネージャーが主導権を握っているというか、場を支配しているというか、そのような時間が増えることになる訳で、その積み重ねが部下の自発性を阻害しているのではないか、と僕は思うことがある。

どちらかの方向に誘導しようとしたり、何らかの示唆を引き出そうとしたり、コーチングにはそのような作為性があるように僕には感じてしまう(もっと上手にできる人はいるのだろうけれど、僕にはできない)。

でも、大事なことは、部下が話すのに身を任せること、行ったり戻ったり、支離滅裂であったり、脈絡がおかしかったり、そのような全てを関心を持って聴くことなのではないか、と僕は思っている。

そして、幸いなことに、僕は大抵の話を面白がって聴くことができる。

それこそが、部下の自発性を育み、チームを良い方向に向かわせるのではないか?

僕はそのように思うのだ。

そしてそこには細かいテクニックではなく、真正面から話を聴くということが大事であるということも言い添えて話を終えようと思う(これについてはもう少し詳しくどこかで書きたいと思っている)。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

「何か特別なことをやっているのですか?」と聞かれることがあります。

その度に「いや、別に何もやっていないんだけどなあ…」と思い、実際にそのように答えていたのですが、最近この「聴く」という概念を思いつき、それは他のマネージャーと違う所かもしれないなあと思ったので、今回はそれを文章にしてみました。

僕が感じるのは、多くの人は他人の話を聴かず、話すことに夢中になっている、ということです。

そして、話すことのスキルや、その向上こそが大事である、という概念に囚われ過ぎているように思います。

話すことに価値がある、というか。

でも、最近僕が思うのは、良い聴き手がいるから心地よく話せるんだよな、そこに価値があると思うんだよな、ということです。

そして、これは営業マン時代に感じていたことでもあります。

話し手の飽和と、聴き手の欠乏。

少ないものほど価値は高まります。

良い聴き手になっていきましょう。