朝令暮改かピボットかは部下が決める

朝令暮改=臨機応変?

朝令暮改をポジティブに捉えようとする風潮があるが、ちょっと待てよ、と思う。

なんていうか、臨機応変であるとか、融通が利くであるとか、判断が柔軟であるみたいな感じでこの言葉を捉えようとしていることがあるが、それがポジティブな意味なのかネガティブな意味なのかを判断するのはマネージャー側ではない。

部下が判断するのだ。

確かにトップマネジメントであれば、自分の判断が間違っていたということを認める、方向転換するというのは、必ずしも悪いことではないし、むしろポジティブな側面を持つだろう。

しかしながら、ミドルマネジメントについてはどうだろうか?

それもその方向転換の出所が、そのミドルマネージャーの上司であって、その考え次第によって振り回されているとしたら?

今日はそんな話をしていく。

ヒラメ上司と柔軟な上司の違い

変化の速い時代において、進行方向が変わるというのはある種日常茶飯事である。

その時の風向きによって、進むべき方向を変えるというのはむしろ必要なことであるとすら言える。

ただそれが組織に浸透するかどうかは別問題だ。

面従腹背にならないように、その素早い方向転換が正しい判断であると認めてもらわなければ、「ああ、また何か違うこと言っているよ…」となってしまう。

風見鶏、になってしまう。

同じような判断をしていたとしても、そのマネージャーが上ばかり見ているヒラメ上司と呼ばれる場合と、話がわかる柔軟な上司と呼ばれる場合がある。

そしてその違いはそこにミドルマネージャー自身の「個」があるかどうか、だと僕は思っている。

「個」がないと見透かされる

「個」を持っているマネージャーは、仮に上司に振り回されて、意見を変えなければならない局面においても、同情を寄せられる。

「組織上そのように振舞わなければならないのだな」ということが根底の部分で理解されているので、方針が急に変わったとしても、瞬時に部下も動いてくれる。

しかしながら、「個」を持たずに、ただ上司に言われているだけのマネージャーの場合はこうはいかない。

部下側も「どうせまた言うことが変わるんでしょ?」と見透かしているからだ。

ミドルマネージャーの言うことに従って機敏に動いたとしても、また夕方になれば違うことを言われることが予想される状況の中では、部下は行動を変えることをためらうようになる。

口では「わかりました」とは言うものの、実際の行動に移すことはないか、移したとしても様子を伺いながらゆっくりとしたものになる。

この微妙なズレが組織のパフォーマンスの低下の要因となるのだ。

トップとミドルの乖離が「ほどほど」のパフォーマンスを生む原因となる

このような状態が繰り返されると、まずミドルマネージャーが判断を行わなくなっていく。

ただ上司から言われたことを繰り返すだけの人に成り下がる。

ミドルマネージャーは上司の言っていることの本質を探ったり、真意を探ったりすることがなくなるので、部下から「具体的にはどのようにすべきか?」と問われたとしても答えることができなくなる。

本来的にはそのマネージャーは自分の上司に尋ねるべきなのだろうけれど、何回も聞くと自分が無能だと思われるのではないか、というプライドが邪魔をして、それすらも行わなくなる。

結果として、上司(トップ)の言っていることとミドルの言っていることに差異が生まれてくる。

部下は部下で、そのようなトップマネジメントとミドルマネジメントの乖離に敏感に反応するので、「まあこの程度やっておけばいいか」というような「取り敢えず怒られない程度の仕事」をするようになる。

間に入るミドルの数が増えれば増えるほど、この「伝言ゲーム」の乖離は大きくなっていく。

当然ながら、成果は上がらない。

でもトップマネジメントはその原因がわからない。

表面上は皆トップの言うように動いているように見えるからだ。

方針転換があったとしても、その方針転換通りに動いているように見えるからだ(実際には体の向きは変わっているけれど、体重が乗っていないので、成果が上がらないだけなのだけれど)。

振り回して申し訳ない、と謝れること

では、朝令暮改ではなくてピボットだと部下に思ってもらう為にはどのようにすればいいのか?

それは「謝る」ということなのではないか、と最近は思っている。

もちろん以前にも書いたように、上司からの判断を自分なりに咀嚼して、そこに自分の意思(個)を混ぜ込むことは重要である。

それに加えて、最近思うのは、「振り回して申し訳ない」ということをミドルが表明することが重要なのではないか、ということだ。

ミドルマネージャーの中には、上司の判断をさも自分の判断のように言う人物がいる。

リスクは取らないのに、偉そうにする人(虎の威を借りる狐)がいる。

僕はそこにミドルマネージャーが軽んじられる原因があるような気がしている。

不条理に自覚的であること

少なくとも僕が部下側の人間であるのであれば、トップマネジメントの言うことを伝えるだけの人物はいらない(トップが直接部下に話せばいい)と思ってしまうからだ。

そこにミドルマネージャーがいる意味がなくなってしまうからだ。

僕は急な方向転換の話が上司から来た時には、そしてそれが繰り返された時には、部下に対して「謝って」いる。

自分の上司を制御できなかったり、性急な判断をさせてしまうようなコミュニケーションしかできなかったりすることについて、僕は謝る。

それは本当に心から申し訳ないと思うからだ。

そして彼らの協力がなければ成果というのは絶対に上がらないからだ。

不条理ほど人間のモチベーションを下げるものはない。

少なくともそれに対して僕は自覚的でありたいと思っている。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

スイッチをオフにすることは簡単なことです。

特に自分の上司があれこれ思い付きで言うタイプであれば、それに対していちいち反応せずに、とりあえず「はいはい」と聞くことで、自分の身(精神)を守ることはできます。

でも、それではパフォーマンスは上がりません。

時には上司に進言したり、波風を立てたりすることもミドルには必要なことだと僕は思っています。

感覚を麻痺させることなく、仕事をしていきましょう。