文句ばかり言う部下への対処法
ボランティア感覚のお仕事
権利と義務のバランスが崩れている部下が増えているような気がしている。
何かにつけて「ハラスメントである」と糾弾する風潮が強まった結果、義務の履行を怠り、権利ばかり主張する人が増えている。
もちろんハラスメントは論外である。
ただ、ボランティア感覚で仕事をするのもまたどうかと思うのだ。
ジョブ型雇用論というのもこの辺の線引きをきちんと定めたいという、双方の意向(被雇用者側だけでなく)が合致したものではないかと僕は考えている。
そんな環境の中で、文句ばかり言って(権利ばかり主張して)、仕事をしない部下(義務の履行をしない)にどのように対処すればよいのか、を今日は書いていく。
妥当な格差をつける
結論から言うと、「わからせる」ということだと思う。
わからせる、というのは、曖昧な査定方法をやめて、成果に基づく処遇を前面に出し、明確な格差を生じさせる、という意味である。
そしてそれは賞与のみならず、定例給与の部分でも、である。
それによって、「妥当な格差」をつけることが必要なのだと僕は考えている。
プロセス部分を後順位にする
もちろんその為には、仕事の範囲をある程度明確にしなければならない。
現在のように、グレー領域の仕事がたくさんある状態は望ましくない。
それを率先してやっていることのみをもって良しとするのではなく、成果を評価基準の第一位に据える。
プロセス部分を後順位にする。
それでだいぶ変わってくると思う。
評価していないことをきちんと伝える
これを基に、「評価していない」ということをきちんと部下に対しても明言する。
なかなか気鬱な話ではあるけれど、マネージャーはマネージャーでここから逃げてはならないのだ。
何となくの言葉でお茶を濁すのではなくて、きちんと査定に基づいた(低)評価を伝える。
その繰り返しが重要なのだと思う。
試合に出られないことには理由がある
こういう話をすると、「人の評価など恣意的である」とか「成果とは具体的に何を指すのか?」というような反論が出てくる。
それは確かにその通りだと思う。
でも、「人事評価」とは元来「そういうもの」なのではないだろうか?
もう少し丁寧に言うと、例えばあるプロスポーツ選手が試合に出られない状態が続いているとして、その結果年俸が下がるとして、それは問題だと言えるのだろうか?
その選手は能力があって、チームにも貢献しているのに、なぜ試合に使われないのだろうか?
監督が嫌っているから?
それも理由としてはあるだろう。
でも、もう少し先に議論を進めると、監督だって自分の処遇がかかっているのだ。
チームの順位が下がれば、解任されるリスクを負っている訳である。
そのような状況の中でも、その選手を使わない、ということは、そこに何らかの理由があるはずである。
大事なのは成果を出せる蓋然性が高いかどうかだ
好き嫌いももちろんあるはずであるが、それを覆すだけの能力がないということもまた事実なのである(厳しい言い方にはなるが)。
ましてやそのチームの成績が良好なのであれば、わざわざその選手を使う必要もない訳だ。
それに対して「正当に評価されていない」と考えるのであれば、それを監督に伝えるべきだし、チームメイトにも話すべきである。
もっと言うと、そのチームから出て、他チームからのオファーを受けるという手もある。
能力は高くても、監督に嫌われていなくても、チームの戦術に合わない、ということはよく起こることであるからだ。
でも、重要なのはその人が「成果を出せる(可能性が高い)」かどうかである。
そうでなければ、そのチームはおろか、他チームからも声は掛からない。
この部分を文句ばかり言う部下は履き違えていると思う。
市場に問えば?
仮に成果に基づく処遇に納得できないのであれば、それを市場に問うこともできるはずだ。
労働市場はプロスポーツ市場ほど流動的ではないにせよ、ある程度「妥当な水準」には落ち着くはずである。
それで転職なり、起業なりすればいい。
厳しい言い方にはなるけれど、給与を得るというのはそういうことだと思うのだ。
権利と義務の妥当なバランスに基づいた対価を
勘違いして欲しくないのは、これは「社畜万歳!」ということを主張している訳ではないことである。
「権利と義務」の妥当なバランスに適応し、その対価を得るか、それに納得できないなら、それなりの対応をする、そういう意味である。
それも労使双方において。
バランスはあるけれど…
労働というものに「カネ」が付帯する以上、ウェットな評価をやめて、もっとドライにすべきである、と僕は考えている。
もちろん限度はあるし、バランスは考慮すべきだ。
ただ、というのが今日の話である。
頑張らなくても報われる状態
日本社会が停滞しているのは、「頑張っても報われない」こともあると思うけれど、「頑張らなくても報われる」という要素も大いにあると僕は思っている。
というか、「尖ると叩かれる」なら、誰が尖ろうとするのだろうか?
相対評価をやめ、他人がどうであるかに拘泥せず、「仕事に対しての成果」を基準とする。
それによって、多少の格差が生じるのはやむを得ないと割り切る。
やや暴論のきらいはあると思う。
でも、そのくらいやってみなければ、この停滞感からは脱出できそうにないのだ。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
マネージャーをやっていて本当にうんざりするのが今日の話です。
僕は解雇権までは行かなくても減給権は欲しいなと思っているのですが、そういう話をすると「過激派だ!」と罵られるようです。
僕が願うのは真っ当に働いている人が真っ当に評価される社会です。
もちろんその「真っ当度合い」には恣意性が働くとは思うのですが、そのバランスは今よりも改善できるはずです。
成果を基準に働いていきましょう。