絡み方・任せ方

UnsplashJan Gengeが撮影した写真

自分1:部下9(or 自分2:部下8)の仕事割合

プレイングマネージャーについて語る時、付いて回るのが「部下にどのように仕事を任せるのか?」ということである。

これは裏を返せば、「自分がどのくらい仕事に絡むのか?」ということにもなる。

体感的にはどのような比率であるか、皆さんは考えたことがあるだろうか?

もちろん、仕事内容によって、その階層(レイヤー)によって、部下に任せるか自分も絡むのかという割合が変わってくるのは事実だろう。

でも、それらをひっくるめたとして、全体的にはどのくらい部下に仕事を任せていると感じているだろうか?

僕の体感は、1:9(自分1:部下9)である。

「マジ?」と思う人もいるかもしれない。

「盛ってるでしょ?」と感じる人もいるかもしれない。

確かに、多少盛ってる気がしないでもない。

ただそれを補正しても2:8(自分2:部下8)くらいである。

それは「マネージャーの仕事は判断だけでいい」と僕が考えているからである。

「実務」は部下に任せておけばいい。

今日はそんな話である。

実務と判断

仕事には2種類ある。

このような口ぶりで話し出す輩の言うことには注意をして頂きたいけれど(○○には2種類ある、と世界を2分化するあのやり口だ)、僕はそう考えている。

その2種類とは、「実務」「判断」だ。

今日のテーマに即して言い換えるなら、実務は部下に任せればいいし、判断は自分が行えばいい(結果的に、それが絡むことになるから)、ということになる。

そして、仕事において判断が必要になる比率はそんなに高くない。

結果、マネージャーが仕事全般に関わる場面(比率)は少なく(小さく)なる。

それが冒頭に書いた意味である。

マネージャーの仕事(判断)は退屈だ

ただ、ここに問題が1つある。

それは「判断は面白くない」ということである。

責任ばかりがあって、実感がないのが判断という仕事だ。

重ねて言えば、先ほども書いたように、判断をする場面はそもそも多くない。

となると、マネージャーの大半の場面は暇であり、いざ(判断という)出番が来ても大して面白くもない。

ここにプレイングマネージャー論における根源的な問題があるような気がするのだ。

それは大雑把に言うなら、「マネージャーの仕事は退屈である」ということである。

判断の中にも実務に近い性質を持つものがある

「いやいや、何を言っているんだ! 私はめちゃくちゃ忙しいぞ!」

そのように仰るマネージャーはたくさんいると思う。

気持ちはわかる。

ただ、その忙しさの内訳については考えてみても損はないはずだ。

もしあなたの忙しさが「実務」によって埋め尽くされているのであれば、それを部下に任せられる可能性があるかどうかについて、検討してみる価値はある。

一方で、「判断」で忙しいというのであれば、それは仰る通りで、改善の余地は乏しいと僕も思う。

ただ、ここにも注意点がある。

あなたが「判断」と呼ぶものは、本当に「判断」という性質を持った仕事なのだろうか?

言い方を変えるなら、あなたがする必要がある仕事だろうか?

その判断は、実は実務に近い性質を持っていて、あなたのすぐ下の部下であれば(例えば係長など)、行えるものではないだろうか(多少の訓練期間は必要だとしても)?

このように考えていくのである。

すると、あなたが今考える「判断」というものの中にも、「実務」と呼べるものがあるはずである。

何だか詭弁を言っているような気持ちになるけれど、それが組織が階層的になっていることのメリットであるのだ。

暇であるという罪悪感

でも、多くの忙しいと仰るマネージャーは(それもプレイングマネージャー的性質を持ったマネージャーは)、この棚卸し作業があまりできておらず、結果的にマネージャー自身が仕事に絡むことが多くなっているような気がする。

それは(繰り返しにはなるけれど)、判断という仕事だけをやっていると「つまらない」、だからそれをやってしまう、でもそうは認めたくない、という感情があるのだ(無意識的にではあるだろうが)。

手触り感や充実感が判断という仕事にはないから。

暇でいることに罪悪感を覚えるから。

大まかな指針を示しておこう

最後に、部下に仕事を任せる際のアドバイスを書いて本稿を終えようと思う。

それは「判断軸」を示しておくということである。

「大まかな指針」と言い換えてもいい。

そこから外れなければいいと先に言明しておくこと。

部下に裁量を与える為には、これが絶対に不可欠である。

これなくして、部下が行った仕事に対して、事後に難癖をつけるようでは、部下が自発的に行動することはなくなる。

そりゃそうだろう?

「何であんな球を投げたんだ!」と事後に怒られることが想定されるのであれば、部下は一球・一球投げる前に監督の顔色を伺うようになる。

これを防ぐ為に、先にストライクゾーンを明確にしておくのだ。

あとはどんな球種を投げても、球速であっても、咎めないこと。

もっと言えば、多少ストライクゾーンから外れたとしても、その範囲内に投げ込もうという気持ちがあったのであれば、ボール球でもOKとすること。

そのようなスタンスが部下に自発性を呼び込むのだと思う。

忙しいなら、部下に仕事を任せるしかない。

それ以外何か方法ある?

僕はそう思うのである。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

実務と判断。

そして判断の中にも実務的な性質を持つものがあること。

それらも含めて部下に任せること。

さすれば、マネージャーは暇になる。

その暇である罪悪感から逃げないこと。

このような論理展開。

個人的にはうまく書けたなと思っています(文章の巧拙はさておき)。

僕たちが忙しぶるのは、暇であることに罪悪感があるからなのでは?

そしてそのような罪悪感は、他者から無能だと思われるのではないかという被害妄想込みなのでは?

判断で付加価値を出すのは難しい?

それならもしかしたらマネージャーは向いていないかもしれません。

判断から逃げずに仕事をしていきましょう。