部下に阿る必要なんてない

UnsplashStephanie Harveyが撮影した写真

そんなに気を遣う必要ある?

みな部下に気を使い過ぎ。

そう思うことが増えた。

それがハラスメントへの意識向上によるものなのか、360度評価への恐怖によるものなのか、すぐに部下がやめてしまうことに対する予防措置によるものなのかわからないけれど、何重にもオブラートを被せた発言が職場に飛び交っているのを見ると(聞くと)、「そんなに気を遣う必要なんてあるのかね?」と思ってしまう。

もちろん、言い方等々には気を付けるべきだとは思う。

昭和仕様ではなく、令和仕様にアップデートすべきだとは思う。

ただ、それはあくまでも表現の問題であって、中身というか、本質的なところは大きく変えてはいけないのではないか(時代錯誤な価値観がNGであることは言うまでもない)。

もう少し突っ込んで言うなら、部下に気を遣うのは、上記のような外部の問題に見せかけて、単純に嫌われるのが怖いだけなのではないか。

そんなことを考えてしまう。

嫌らしい言い方をするなら、そこに潜むのは「自信のなさ」だ。

自分の実力、人望、その他諸々に自信がないから、部下に必要以上に媚びたり、阿ったりするのだろう。

これは翻せば、自信を付ければ、そのようなマネジメントスタイルを取る必要はないことを意味する。

今日はそんな話をしてみようと思う。

自信のないマネージャーとそこに付け込む部下(というクソみたいなループ)

外形的な権威が剥がれて、マネージャーは生身で勝負せざるを得なくなった。

結果として、大して実力のないことが露見され、部下からも軽んじられることで、自信を喪失していった。

そうやって到来したのが、ヘラヘラ系マネージャーの大繁殖時代である。

非常に単純化した表現ではあるが、僕はこのように今の時代を捉えている。

そして、手っ取り早く評価(や体面)を保つために、彼(彼女)らは部下にすり寄っていく。

すり寄られた部下は勘違いをしていく。

このようなループ。

プロフェッショナリズムとは?

もちろん、それが内輪だけに留まるのであれば、何も言うことはない。

いつまでもその箱庭の中で、ぬくぬくと生活を続ければいい。

でも、残念ながら、そこには外部が存在する

そして、外部はそれなりに厳しいものでもある。

外部環境の中でやっていくほどの実力がないマネージャーとその部下の量産。

それを優しさだと勘違いしている組織。

これが日本全体で起きているのかもしれないと想像すると、僕は暗澹たる気持ちになる。

もう少しプロフェッショナリズムというか、厳しさを求めてもいいのではないか、と思ってしまう。

そして、それはきっと時代錯誤ではないはずだ。

厳しさを求める為には高度なスキルがいる

では、そのようなある種の厳しさを求めるにはどうしたらいいのだろうか?

確かに現代において、部下に厳しさを求めることはそれなりのリスクがあることは理解できる。

そこには高度なスキルが求められるのは事実である。

そういう意味でも、僕たちマネージャーは今まで以上に実力を付ける必要があるのではないか?

正論過ぎる?

ただ、これはあまりにも正論過ぎると言えなくもない。

実力があるならそれに越したことはなく、それがないから皆オロオロとしている訳であって、「それを言っちゃあおしまいよ」的な話なのかもしれない。

「言っていることはわかるけれど、そんなに簡単に実力なんて身に付かないから困っているんですよ!」

そのような発言(反論)。

確かに。

当を得ている。

第三の道はないのか?

では、ちょっと角度を変えてみよう。

「あなたの今現在の実力のままで、そこで日々感じることを言葉に換えて部下に話すことは、何か問題を生じさせることなのだろうか?」

「そこで部下が不快に感じたり、ハラスメントだと受け取ったりするような話し方以外の選択肢として、オブラートグルグル巻きトークではない方法はないのだろうか?」

僕はそんなことを思ってしまう。

「ハラスメントor ハラスメント対応言語」ではない、第三の道とは?

フラットな言葉を

実力がなく、自信を喪失する、その気持ちはよくわかる(僕もかつてそうだったし)。

でも、だからといって、マネジメント自体を放棄するような方法論は違うと僕は思う。

そんな際に心掛けるべきなのは、「自分の考えをフラットに言語化すること」である。

ハラスメントが正の方向、ハラスメント対応言語が負の方向(正負はどちらでもいいが…)だとすると、自分の考えをフラットに言語化することは±0の方向であると言える。

それはどちらにも偏っていない言葉(声明)である。

僕はもう少しこの種類の言葉を発言の中に混ぜ込むべきだと考えている。

自分の意思を混ぜ込むこと

何故だからわからないけれど、日本の職場においては自分の考えを表明することはあまり良いことではないと捉えられている(ような気がする)。

それを少しだけでも破ってみる。

ただ、そこに反抗とか、批判とか、そのようなものを混ぜる必要はない。

あくまでも自分がどう思うのかということを入れていけばいいのだ。

そして、そのような態度(と継続)は、あなたのマネジメントに一定の強さをもたらしてくれる。

一部の部下はあなたのそのような態度に一目置くようになる。

それが自信に繋がったりもする。

部下に阿ったところで、事態は何も変わらない。

リスクを取り、自分の考えを(少しずつでも)表明していこう。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

誰かが言ったような言葉。

そればっかり。

ポリティカルにコレクトネスな言葉の氾濫。

そういうの、もういいから。

コレクトな言葉は確かにコレクトなのかもしれません。

でも、コレクトじゃない言葉がコレクトな場合だってあります。

というか、自分が考えていることを言葉に換えることは悪なのでしょうか?

あなたの言葉はあなたから生じたものであってもいいはずです。

もっと自分を混ぜていきましょう。