調整・調整・また調整

UnsplashAdrian Swancarが撮影した写真

子どもばかりの職場

気が付けば調整ばかりやっている。

そんなマネジメントの日々にウンザリし続けている。

それが僕の日常である。

マネージャーになった9年ほど前にはこんなに調整することになるとは思ってなかったくらい、僕はそればかりをやっている。

体感的には、仕事の8割くらいが調整に費やされている、そんな毎日である。

これは「議論を着地させることができる人」が減少したことを示しているのではないか、と僕は考えている。

「引いたら負け」

そのように考える人が増えた結果、皆が自分の利益だけを主張し、議論が停滞する場面が続出することになった。

子どもばかりの職場。

そんな状況を改善する方法はあるのだろうか?

答えはまだ見つかっていないけれど、今日はそのようなことを書いてみようと思う。

それでは始めていこう。

部門間の調整

利害の対立。

関係者が増えれば増えるほど、思い通りに行くことが減っていく、そんなことは当たり前の話であり、別に珍しくもなんともない。

その中で全体最適というか、会社として最良の方向に向かう為にはどうしたらいいかということを考え、それぞれのセクションが譲り合いを行っていく。

そうやって、得をする部門が生まれたり、損をする部門が生まれたりする。

結果として、納得できない部分が残ったりもするけれど、「会社が決めたことだし、腹が立つ部分はあるけれど、仕方ないか」と矛を収めるというのが、ちょっと前までは普通だったようにも思う。

もっと言えば、社長なり、上級マネージャーなりが、「そこを何とか頼むよ」と各部門長に話をすることで、何とか形を保っていた、そんな風に僕は受け止めている。

なぜ利害の調整を同じ職階の者同士がやっているのか?

翻って現在。

この調整を上位者が行うことがめっきり少なくなってしまった。

そして、その部門間の調整を当事者同士でやる機会が増えた。

ここに僕は問題があるように感じている。

各セクションの長はそれぞれの組織の利害を背負っており、簡単に主張を取り下げると、部下からの突き上げを食らう(「なんでそんなに面倒な仕事を簡単に引き受けたんですか!」)ので、引くに引けないという事情がある。

だから、仮に会社的には違う方向に向かった方が最適であると考えていても、そう簡単には矛を収めることはできない。

そういう意味では、各セクションが対立するというのは仕方ないというか、まあデフォルト設定みたいなものである。

しかしながら、そのような状態を続けていると、議論が膠着することになる。

だから、本来的には、それら各セクションの上の階層にいる人が、各部門長と話をしながら、折り合いをつけていく必要がある。

でも、これが何故か起こらない。

僕にはそれがよくわからないのだ。

権威と責任は表裏一体

いつの頃からか、「上位者の権威」が失われていった。

それは時代の流れと言えなくもないけれど、「責任を取る」人がいなくなったことの裏表の事象である、と僕は捉えている。

権威と責任は表裏一体の関係にあって、責任を取ろうとしない人に権威が生じることはない。

結果、上位者の発言は非常に軽くなってしまった。

そして、例えば今回のテーマのような事態に陥った時に、それぞれの利害を調整できなくなってしまったように僕は考えている。

責任を取ろうとする人は死に絶えたのか?

というか、それは卵が先か鶏が先かみたいな話なのかもしれない。

そもそもの話として、そのような事態の膠着を打開しよう(責任を取ろう)と考えすらしていないのだろう。

それが透けて見えるから、権威者に従おうと僕たちは思わなくなったのだと思う。

後に残るのは、醜い部門間の対立である。

そりゃ日本が停滞する訳だ(これは言い過ぎだろう。僕は当社のことしか知らないので、きっと他の企業はもっとうまくやっているはずだ)。

利害のカオス

リーダーシップというのは、責任があるところに生じる。

その席に座っているから、リーダーシップが生じる訳ではない。

ブログの初期の頃に僕が言っていたことは、現在も全く変わっていない。

多くの人から当事者意識が失われた結果、己の利害だけを主張していてもOKというか、恥じらうことなんてないと考える(いや、考えてすらないない)人が急増した。

そして、「利害のカオス」的状況が生じることになった。

僕はその中で、何とか中を取ろうとしている。

どうにか議論を着地させて、会社が良い方向に向かうよう、それぞれの「長」たちと話を付けようとしている。

でも、やっぱりどうにもならない。

同じ階層の中で、話をしていても、やっぱり限界はあるのだ。

「あとは上位者が引き取ってくれないか」

「結論には従うから」

僕が思うのはそんなことである。

みんな倒れてる

責任感の欠如。

当事者意識の喪失。

仕事をしていて常に感じるのは、そのようなことである。

そしてそのような環境が常態化することによって、志のある人ですら気力を失い、バタバタと倒れていく、というのが珍しいことではなくなってきたように思う。

マネジメントというのは、そういう事態を打開する為に必要なのではないのか?

僕がブログを立ち上げた時の危機感は、なお一層強くなってきている。

何だか暗い話になった。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

責任を取る人への称賛と待遇改善を。

僕が最近思うのはこういうことです。

ジョブ・ディスクリプションは結構ですが、それがカオス的状況を招いた時、誰が収束させるのでしょうか?

みんなやりたい放題。

散らかし放題。

お部屋のお片づけは?

5歳児へ向けた話を僕は職場でも行っています。

同じような悩みを持つ方に共感頂けたら幸いです。