答えを決めない

UnsplashEmily Morterが撮影した写真

アリバイ作りばかり

「答えが決まっていると、人は冷める」

そんなことを思う。

何だか最近は「部下との対話が大事だ!」という言説が一般的になって、猫も杓子も1on1だと言っているような気がしているけれど(僕もその1人か?)、対話をするにあたって予め「答え」を持ってそこに参加している人も多いのではないかと感じている。

対話によって生まれる過程が大事なのに、その過程は実際のところはどうでもよくて、「面談をしたという事実」「アリバイ作り」の方が大事だと捉えられている、というか。

それが端々に感じられると、人は冷めていく。

これは1on1に限った話ではない。

例えば会議も同様である。

既に答えは決まっているが、全員が「了承した」という形を取る為だけに行われるものが多すぎるような気がしている。

それならやらなければいいのに。

僕が思うのはそんなことである。

マネジメントという仕事はその「過程」にこそ意味がある。

「共に答えを作っていくその道中」にこそ価値がある。

でも、既に答えが決まっているのであれば、その過程に意味や価値はなくなる。

それが透けて見える時、人々はやる気を失っていく。

今日はそんな話である。

それでは始めていこう。

ゴールに向かう商談

マネジメントという仕事をやっていて、営業経験があって役に立っているなと感じるのが今日のような話である。

僕は商談に臨むにあたって、もちろん準備はたくさんするけれど、実際の商談の場では即興というか、その場の流れに合わせて話が転がっていくことを楽しむタイプの営業マンであった。

予め「方向性」について想定はしているものの、そちらに行かなくてもいいや、くらいの感覚でその場に居合わせていた。

でも、長らく営業という仕事をしてきて、またそのマネージャーという立場になって思うのは、案外僕のような営業スタイルを取る人というのは多くないのだなということである。

答えのようなものを持ち合わせて、そこに向かうように商談を進めていくタイプの営業マンが多いこと多いこと。

相手の話を聞いているようで聞いておらず、その商談でどのような話が出ようとも、一心不乱に予め決められたゴールに彼(彼女)らは進んでいく。

もちろん、それが相手のニーズに合っていれば問題はない。

スムーズにコトは流れていくだろう。

でも、ちょっと違う場合や大きく違う場合、その商談はいつしか対立構造のようなものになっていく。

「議論」「説得」のような会話が行われるようになる。

これは非常に良くないものだ。

ただ、こういう営業マンはとても多いし、マネジメントという仕事においても同じような傾向が見られると僕は感じている。

説得型の面談に意味なんてない

冒頭にも書いたように、例えば部下との面談をするにあたって、予め答えを用意しておき、その答えに向かって行く(脇目も振らずに)タイプのマネージャーはとても多い。

そして、面談内容も、「説得型」の形を取ることが殆どだ。

でも、彼(彼女)ら自身はそれが「説得型」であることに全く気付いていないように見える。

部下が何を話そうとも、結局は予め決められたルートに戻され、予定されたゴールに向かうような面談。

何の意味があるのだろうか?

僕はそのように思ってしまうのだ。

偶然を尊ぶ

対話というのは、「双方が手元にあるものを持ち寄った場に偶然生まれるモノ」を尊ぶところに価値があると僕は思っている。

それが冒頭に書いた「過程にこそ価値がある」という意味である。

そういう意味では、対話による成果物というのは事前には想定しえない。

成果物がある時もあるし、全くの空振りに終わることもある。

でも、だからこそ何度も繰り返すことに意味があるのである。

それがわからずに、形式的に部下と1on1をしたところで何の意味もない。

「揺らぎ」がないなら、それは儀式だ

ただ、昨今の潮流も関係しているのか、「何らかの具体的な成果物がないものは無意味だ」と皆考えているように僕には感じられる。

だから、部下との対話においても「答え」を持ち合わせて臨もうとする。

繰り返すが、答えを持ってそこに参加すること自体は否定しない。

でも、その答えが揺らいでいくことを認めないなら、対話なんて始めからしない方がいい。

それはただの「儀式」に成り下がるから。

そして、それが儀式だと部下が認識すると、もう二度と1on1に価値なんて生まれなくなるから。

客観性を重視し過ぎた結果、陥った形式主義

形式主義。

それが昨今の風潮である。

これはエビデンスやKPIなどの「客観性」を求めすぎたことによるものだと僕は考えている。

自己防衛を図るためのアリバイを皆作ろうとしている。

そして、それを見抜けない人、敢えて見に行こうとしない人が支配的になっている。

そうやって多くのモノがハリボテ化していっている。

そりゃ人々の熱は冷めるよな。

減点主義という喜劇

大事なのは体裁を整えることで、減点を避けることで、ソツなくこなしていくことであると考える人たち。

それを評価してしまう人たち。

舞台上で行われている影絵の喜劇。

僕からすれば悲劇のようなもの。

何だか暗い話になった。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

計画通りに進めないと気が済まない人たちとの旅行。

本文を読み返して僕が思ったのはそんなことです。

大事なことは、ルートから外れた横道にあります。

そこで偶然出会う人、偶然出会う食べ物、偶然出会う景色に旅行の価値があります。

観光地に辿り着くことを目的とした幼稚な旅を卒業し、偶然やランダム性を楽しんでいきましょう。