社員の不正を防ぐには?

部下が変なことをしていないか監督するのもマネージャーの仕事

今日は「管理者」としての話をする。

マネージャーの仕事の1つとして、社員の管理というものがある。

ここで言う管理というのは、「守り」の部分の話であって、要は部下が日々の業務において変なことをしていないかを監督する、ということを指す。

人間は弱い生き物である。

そして追い込まれると何をしでかすかわからない。

それを防ぐための行動管理もマネージャーの立派な仕事の1つである。

気鬱ではあるけれど、今日はそんな話をしていく。

性悪説は現実的には不可能

僕はメンバーに対して、性善説で事に当たるようにしている。

というのは、性悪説は際限なく疑いの度合いを深めざるを得ないので現実的ではない、と考えているからだ。

一方、性善説も万能とは言えないけれど、日々の業務運営の円滑化には有用である。

両方のメリットとデメリットを考量して、僕は性善説を取っている。

性善説は平時においては有効。でも…

平時においては、性善説というのは有効に機能する。

チームの雰囲気も良くなるし、能動的な行動も増えるし、良いこと尽くめのように思える。

でも、時にメンバーがミスをしてしまったり、失敗してしまったりした時に、またほんの出来心から、悪いことをしてしまうことがある。

ここで言う悪いことというのは、「悪事」と言う程ではないけれど、自分の気持ちの弱さに負けてしまって安きに流れる、例えば失敗を隠してしまう(ミスを報告しない)みたいな話のことを指す(明らかな「悪事」はまた違うカテゴリーの話だ)。

性善説は不正の度合いが低い段階で露見するので、性悪説よりはマシ。

性善説に対する批判の1つとして、このような事象が生じた時に「ほら見たことか」というものがある。

「マネージャーがメンバーを信頼していたとしても、メンバーというものは信頼に足る存在ではなく、簡単にそういったことをしでかしてしまう生き物である。だからそんな甘っちょろいこと言っていてはマネージャーとして失格である」というものだ。

この言説には一理あると思う。

確かに性善説で社員の不正を完全に防ぐことはできない。

それは事実だ。

ただ、性悪説よりはマシ、というのが僕の考え方である。

それはなぜか?

それは不正の度合いが低い段階で露見する可能性が高いからである。

どういう意味か?

以下に書いていく。

人間は弱い生き物である

これは人間観にもよるのかもしれないけれど、僕は人間というのは弱い生き物で、悪いことをしてしまう人というのは一定数存在する(それも「生来の」ということではなく、その時の環境や状況によってやってしまう)し、それをゼロにすることはできない、と考えている。

そうした人間観を前提とした場合、不正を防ぐことは不可能であるので、せめてその不正が起きた時に早めに報告を受けられるようにする、事態が大きくなる前に相談されるような関係性を構築しておく、ということの方が大事である、と僕は思っている。

取り敢えず相談してもらえる相手になる

僕の6年間のマネージャー生活において、大事を犯したメンバーはいない。

それはもちろんたまたまの幸運なのかもしれない。

ただ僕が思うのは、その事象がまだ小さい段階で相談されており、大事に至っていない、という面が大きい、ということだ。

ミスを報告するのは勇気がいる。

どうしたって、それを隠ぺいしてしまいたい誘惑に駆られるというのが人間という生き物だ。

ただ一方で良心の呵責というものが人間にはある。

この天使と悪魔が戦っている時が本人にとって一番つらい時だ。

どちらかに振れてしまえば、本人はその苦悩から(一時的には)逃れることができる。

その戦いの最中に、「とりあえずマネージャーに相談してみるか…」と思わせること(天使に勝たせること)が重要である。

相談するに値する人間であること

僕はどう贔屓目に見ても善良な人間ではないが、公平な判断を下す人間ではある、と思われているようだ。

自分で言うのもなんだけれど、相談するには値する人間である、とは思われているようである。

これは日々の言動や行動の積み重ねの結果生まれるものだし、僕に相談すれば、取り敢えず自分からその罪という重荷を下ろすことができる、というように考えて貰えている、と(自分では)捉えている。

罪を憎んで人を憎まず、ではないけれど、僕はこのような相談を受けた時に、怒りの感情は湧いてこない。

どちらかというと、同情に近い感情が湧いてきて、過去犯したことはもう仕方がないので、「さてこれからどうしようか?」という未来方向に視点を向けることが殆どだ。

叱責などは問題を解決させてからでいい。

そこがたぶん問題を未然に防げている一番の要因であるような気がしている。

怒鳴っても、罵倒しても、問題は解決しない

多くのマネージャーはこの時点でヒートアップしてしまうのだろう。

怒鳴り散らしたり、「なぜそんなことをしたんだ!」と罵倒したり、とにかく感情の揺らぎが大きくなってしまうことが多いような気がする。

これはもう生来のものだから仕方ないのかもしれない。

でも、このようなスタンスは確実に問題を悪化させる。

問題というのは、放置させれば必ず腐敗して、腐臭を立て始める。

そして腐臭を立ててからではどうしようもないのだ。

良好な関係性の構築を

メンバーの不正、コンプライアンスからの逸脱は、マネージャーのキャリアにとって致命傷になりかねない。

でもだからこそ、マネージャーはメンバーの行動を監視するのではなく、困った時にすぐに相談されるような関係性を築いておくことが重要であるのだ。

もちろんそれでもダメな時はダメなのかもしれない。

ただ少なくとも僕は6年間色々なことがありながらも、マネージャー業を続けられている。

参考になる部分があれば嬉しい。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

類は友を呼ぶ、ではないですが、不正防止にはチームの文化的影響が大きい、と僕は考えています。

これは言葉では説明しづらいのですが、何らかの不正が起こるチームには、チームに入った時に「変な感じ」がすることが多いような気がします。

そしてその「変な感じ」を作っているのは、マネージャーやその上司である上級マネージャーであることが多い、ような気がします。

その影響を受けて、メンバーの雰囲気も悪くなっていたりするものです。

風通しの良い組織を作る為には、マネージャーの心性がとても大事です。

日々鍛錬していきましょう。