部下に求める基準を下げる

もちろん基準を下げるべきではないが…
今日はあまり望ましいとは言えないけれど、日々仕事をしていく上で大事な心構えについて話をしてみようと思っている。
それがタイトルでもある「部下に求める基準を下げる」ということである。
これは字面通り、ネガティブな印象を与える言葉ではある。
そして、「べき論」で言うなら、基準を下げるべきではないと思ってはいる。
ただ、実際問題として、現在のような環境において、マネージャーがそれなりに機嫌良く仕事をしていくためには必要な考え方なのではないかとも思っている。
僕自身もそうであるが、他者に対して苛立ちを覚えるのは、その他者が自分が求める水準に達せず、また達していないことを意識すらしていないからであるような気がしている。
だったら、その基準自体を下げてしまえばいいのでは?
非常に消極的な考え方だし、とても望ましいとは思えないけれど、そうでもしないと日々前向きに仕事を続けていくことは難しいから。
今日はそんな話である。
それでは始めていこう。
エネルギーの発出がマネジメントの邪魔をする
「若さが邪魔をする」
若手マネージャーを見ていたり、また自分自身の若い時を振り返ったりする度に、そんなことを思う。
以前にも書いたことであるが、たぶん若さという性質はマネジメントという仕事には合っていない。
プライドや見栄や向上心、承認欲求、地位や名誉や異性への欲望、そんなものが溢れているのが若い人の特徴である。
そしてそれを叶えるべく邁進していこうというエネルギーもある。
それはある種健全なことではある。
でも、そのエネルギーが外に向くと(今日のテーマであれば部下に向くと)、往々にして厄介なことになる。
例えば部下に対して「なぜこんなこともできないのか!」という考えに繋がっていく。
それが日々積み重なっていく。
まあ気持ちはよくわかる。
おじさんになった今だって、そのように思わないことがないと言ったら嘘にはなる。
でも、あまりにもそのような考え方が支配的になると、マネジメントというのは上手くいかなくなるのも事実である。
だから若さはマネジメントに向いていないと思うのだ。
マネジメントを合理化する為に
これは「他者への期待」と言い換えてもいいのかもしれない。
「他者に期待するから、その裏返しとして、それが裏切られた時には苛立ちを覚える」
人として当たり前の感情である。
でも、マネジメントという仕事を、ある種合理的に(冷徹に)進めていきたいと思うのであれば、このような感情は邪魔にすらなる。
感情が波立っていると、判断が歪むし、仕事の精度が落ちるから。
そうならない為の方法の1つとして今日の話がある。
それが「部下に求める基準を下げる」ということである。
感情をどうやってコントロールするか
僕はマネージャーになってから、(とても不遜ではあるが)「他者というのはこんなにも仕事ができないものなのだな」ということを嫌という程味わってきた。
そしてそれを改善すべく努力することは、全くの無駄とは言えないまでも、非常に効率が悪いということも体感してきた。
そんな僕が辿り着いた答えが、「部下に求める基準を下げる」ということである。
これは期待値を下げることで、自身の感情をコントロールすることと言える。
また、どのように仕事を回していくかという考え方自体を変えていくことだとも言える。
以下、もう少し詳しく説明していく。
半分水が入ったコップ
よく言われる話であるが、コップに半分水が入っている状態を見て、「水が半分入っている」と考えるか、「半分しか入っていない」と考えるかは、事実ベースでは変わらないのに、世界の捉え方においては大きく変わる。
今日の話も似たようなことである。
もちろん、部下の仕事の精度が上がり、自分の求める水準に達したらいいなとは僕も思う。
でも、それは起こりづらい。
「仕事の精度」というコップがあって、半分水が入っているのが現状であり、きっとそれは将来も続いていくだろう。
そして、それはある種コントロール不可能であるとも言える。
となると、この半分水が入っている状態をどう捉えるか、が重要になるように思うのだ。
「部下に求める基準を下げる」というのは、このコップに水が半分入った状態を、「まあ半分は入っているし、悪くはないか」と捉える心持ちのことである。
事実や現状は変わらない。
でも、捉え方はコントロール可能である。
捉え方を変えても、現状は変わらない
これは言い換えれば、「ネガティブにこれを捉えたとしても、現状は変わらない」とも言える。
だったら、ポジティブに(もしくはフラットに)捉えてもいいんじゃない? というのが僕からの提案である。
たぶん「なぜこんなにも仕事ができないのか!」と思っても、部下が仕事ができるようにはならない。
だとしたら、その考え自体があまり意味をなさない。
とするなら、そのような仕事の精度であっても、メンバー全員そのような状態であっても、チームがワークするような仕組みを作ってしまう方に意識を向け、力を注いだ方が建設的なのでは?
僕はそのように思うのである。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
「捉え方を変えることで世界が変わらないなら、その捉え方自体に意味はないのでは?」
分かりづらい文章ですが、そんなことを考える時があります。
「部下は仕事ができない」というのはたぶん普遍的な事実です。
そして、それをポジティブに捉えようがネガティブに捉えようが、その事実は変わりません。
「だったら、ポジティブに捉えた方が感情のコントロールをする上で有用なのでは?」というのが今日の話です。
悲しい話ではありますが、部下への期待値を下げていきましょう。